第四十一話 それぞれの覚悟 2/6

 ティアナが今回の経緯とアプリリアージェが立てた今後の計画を伝えると、ハロウィンは即座にほぼすべての状況を把握し、エルネスティーネがいる本隊の指揮を請け合った。ティアナも彼の命令系統に組み込まれる事について何の反論もしなかった。アプリリアージェの命令であり、彼女の指示は信頼できるとわかっていたからだ。もとよりハロウィンはアプリリアージェをして全幅の信頼を置いているという人物だ。飄々として腹が読めず、多少性格が気に入らないとはいえ作戦下においてそれは関係のないことだと割り切れるだけの余裕はティアナにもあった。また全貌ははかりようもないが、ランダールの例の火事騒ぎの際に片鱗をみせたルネ・ルーの水の精霊の力はエルネスティーネを守るにあたり、力強い存在だと確信もしていた。

 とはいえ、疑問が全くないわけでもない。もちろん調達屋の件である。

 ベックの存在には完全に納得してはいなかったのだが、アプリリアージェの決定を信じる事で容認する努力をしているようだった。

 

 当のベックはエルネスティーネとルネを残して部屋から出た際、自分を睨み据えて別室に去った白髪が特徴的なティアナには最初からどうにも苦手意識をもっていた。

 覚悟はしていたものの、事あるごとにあからさまに睨み据えられると、やはりいい気分でいられるはずがなかった。とはいえ居心地が良かろうが悪かろうがどちらにしろこの宿で明け方までは時間をつぶす必要があった。

 ベックは大きく伸びをすると、ついでに深呼吸をした。

 店を出てからこっち、緊張続きで萎縮した筋肉がどうにかならなかったのが不思議なくらいなのだ。体を伸ばして、ようやく人心地をついた気分になった。


「あの」

 後ろから突然声をかけられて、ベックは弛緩していた気持ちが一瞬でまた緊張側に振り切れた。

 反射的に後ろを向くと、そこには肩まである栗色の髪のデュナンの娘がいた。右の耳の上に付けた木製のレリーフの髪飾りが目に入った。シェリル・ダゲットだった。

「お疲れでしょう? お茶が入りましたので、よろしければどうぞ」

 ベックはその娘の清楚な表情に吸い寄せられそうな気分になった。アプリリアージェやエルネスティーネ、それにティアナと言ったアルヴ族の女性ばかりを嫌と言うほど見つめ続けていたベックの目にはデュナンのシェリルはそれ程美人には映らなかったが、利発そうに輝く珍しい鳶色の瞳と、そのどこか悲しそうな表情が気になった。

 ベックからすれば特殊人間の集まりと言っていいこの集団で、初めて自分と同じ普通の人間に出会った気分になった。つまりベックはシェリルの顔を見てほっとした気分になったのだ。

「あの?」

「あ、ああ」

 ベックはシェリルの顔に見とれていた自分に気付くと、あわてて視線を逸らした。

「ええっと、お、俺はベック。ベック・ガーニーだ。ウーモスで調達屋をやってる。なんかいろいろあって今日からお仲間だ。よろしく頼む」

 シェリルはそこではじめてベックに笑顔を見せた。ベックはその笑顔を見て、鼓動が高まるのを感じた。

(お、おい、どうしちまったんだよ、俺……)

「私はシェリル、シェリル・ダゲットです。こちらこそよろしくお願いします」

 そう言ってシェリルはぺこんとお辞儀をした。ベックはシェリルのその仕草にも心を奪われている自分に混乱していた。

「どうしました?」

 自分をぼんやりした表情で見つめるベックに、シェリルは異変を認めて手を伸ばした。

「え、ええ?」

「顔が赤いですけど、熱でもあるんじゃないですか?」

 シェリルは遠慮がちにベックの額に手を置いたが、ベックははじかれるように後ずさった。

「いや大丈夫。いろいろあってちょっと興奮しているだけだから」

「そうですか?」

 シェリルは怪訝な顔を向けたが、すぐに自分の仕事を思い出した。

「さあ、お茶をどうぞ。冷める前にいっしょに頂きましょう。皆さんもいらっしゃいますし」

 微笑むシェリルに、ベックは素直にうなずいた。その時にはベックは既に突然心の中に生まれた違和感の正体を自覚していた。

 一目惚れ……。

 話には聞いていたが、まさかそれが自分に訪れるなどとは夢にも思っていなかった……。

(今日は俺にとって生涯で一番思い出深い日になるかもしれないな……)


 ベックにとってシェリルの言う「皆さん」というのは本隊のリーダー役をしている例のひげ面のアルヴの男と、近寄りがたい殺気を纏っていた同じくアルヴのあの女の事という認識だった。

 それだけにその面々と顔を突き合わせてお茶をすするという状況を想像すると、喜色満面でという訳にはいかなかったが、少なくともシェリルともう少し話が出来る機会はありそうだった。だから彼は、お茶につられたというよりはシェリルがいたから大部屋に足を向けたのだった。

 大部屋には居間があり、そのテーブルにはすでハロウィンもティアナも座っていた。ハロウィンは目をつぶって腕組みをし、右手でトレードマークの豊かなヒゲをさすっていた。ティアナはそんなハロウィンをすぐ横で不機嫌そうに見据えており、二人ともシェリルの言いつけを守ってまだお茶には手を付けてはいなかった。

「お、お邪魔します」

 その場の雰囲気に呑まれまいと、出来る限り平静を装って声をかけたつもりだったが、明らさまに居づらい雰囲気が漂っているのにはベックは閉口した。

「いつまで突っ立っている」

 部屋に入ったところでじっとしているベックに、イライラした声でティアナが言った。

「あ、いや」


(こいつには逆らわない方が良い)

 客商売だけに、ベックは相手の持つ性格というか匂いのようなものに敏感だった。その経験とカンが警鐘を鳴らしていた。『ティアナには下手に逆らうべきではない』と。

「では失礼して」

 ベックは丸テーブルの空いた椅子に腰をかけた。ちょうどティアナから一番遠い位置、つまり対面になる場所だった。対面は対決構図のようなものでお互いの親交を深める為にはいい位置関係とは言いかねたが、別にティアナと仲良くなろうなどという意図は今現在のベックにはなかった。とりあえず穏便に時間を過ごせればいいのだ。


 そんなことよりも彼には考えることが多すぎた。

 ル=キリアと賢者エイミイの件はひとまず置くとして、今彼が気になっているのは「本隊」のアルヴィンの少女、つまりは一国の王女様の事だった。

 当たり前だが、ベックはいまだ王族と呼ばれる人間を実際に見たこともましてや話したことなどもなかった。それだけにエルネスティーネとの出会いは彼に、いや彼の人生に大きな衝撃を与えていた。

 ここへ来てから王女であるエルネスティーネの様子をじっと眺めていて、その言葉や行動に彼はある種の感動を覚えていた。

 髪を切ると言い出した強い決意に満ちたあの瞳の深い緑色の輝きが今も脳裏によみがえる。勿論、はじめはただ髪を切るだけに大げさな事だと思った。だが、それはデュナンであるベックの考えだ。種族だけでなく国も違えば住む環境も身分も全く違う人間同士の価値観など同列で比較しても始まらない。問題なのはその決意の大きさと深さなのだと言うことを、エルネスティーネの言動で改めて気づかされたのだ。

 ベックはその感動を通じて改めて今日の一連の出来事をじっくり反芻する余裕ができてきた。

 

 もとはと言えば、アルヴの無愛想な青年と極めて珍しい瞳髪黒色のデュナンの二人連れが彼の店にいくつかの品を頼みに来た事が発端だった。

 興味本位で彼らの姿形を情報網に問い合わせると、程なくしてアルヴの方がシルフィードの戦没名簿に載っているはずのファルケンハイン・レインという秘密部隊ル=キリアの一員ではないかという答えが返ってきたのだ。

 それというのも、最近、近辺でいくつかの血なまぐさい事件があり、ル=キリアの一員に似た一行が目撃されているという先行情報があった為に照会に対する回答が早かったのである。ベックが問い合わせた件は彼の手を離れ、独立した情報としてすぐにウーモスの他の調達屋の耳にも入り、程なくしてウーモスにル=キリア一行が滞在し、どこに泊まっているのかも特定できてしまったのだ。もちろん、調達屋は請われればその情報を金で売る。スプリガンが得たル=キリアの情報はおそらくそうやって手に入れたものであったのであろう。

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