第四十一話 それぞれの覚悟 1/6

 ル=キリアとエイルが、スプリガンを引きつけるために作戦を開始した後、エルネスティーネのいる通称「本隊」にも少し変化が見られた。


「本当にいいんだね?」

「決心を鈍らせるような事をお聞きにならないで下さい」

 ハロウィン・リューヴアークの問いに、やや怒気の混じったエルネスティーネ・カラティアの声が応えた。

 ハロウィンの右手には細身の懐剣が握られ、それはろうそくの光で黄色く光っていた。そしてその左手はエルネスティーネの見事な長い金髪を一房、握っていた。


 ル=キリアが出立してから一時間程たった頃だろうか。エルネスティーネは宿の一室でハロウィンに背を向ける格好で椅子に座っていた。

 エイル達の宿からティアナが戻り、彼らのとるべき道を告げられた後、エルネスティーネは顔面を蒼白にしてしばらく自室に閉じこもった。そして十数分経った後、厳しい表情で皆のいる大部屋に現れると、髪を切る事をティアナに申し出た。

 だが、依頼を受けたティアナは「私には絶対に無理です」とそれを固辞した。

 ティアナとしては当然の態度であろう。アルヴ系の種族は髪をことのほか大事にする。そこには良いエーテルが宿ると昔から信じられているからだ。

 だがエルネスティーネの決心は固く、ティアナが話にならないと解ると、ハロウィンにその役を半ば強制的に押しつけることに成功した。


「私、覚悟が足りませんでした。エリーとして暮らした王宮を後にして、ネスティとしてこうして旅に出る事で新しい自分になったような気でいました。でも、それはただの思い上がり……呼び名を変える事が覚悟だなんて、私は恥ずかしくて死にそうです。実際の私は着ている物がドレスから旅装束に替わっただけ。中身はこの通りエリーのまま。言葉遣いもまだあまり上手ではありませんし、お気に入りの髪型を変えることすらせずにそのままで過ごしていたのですから」

 そう言って皆に頭を下げた。

「私は愚かでした。皆さんにすまない気持ちで一杯です。ごめんなさい」

 それはもちろん、調達屋の情報収集能力がアプリリアージェをはじめとするル=キリアの構成員について、その姿形の特定をすることすらできるという事実を告げられた事を受けての申し出であった。


 思い起こせば、エルネスティーネは旅に出る際にハロウィンに髪型を変えてはどうかと言われていたのだ。

 だがバード長たるサミュエル・ミドオーバ大元帥の

「なに、そこまでするには及ぶまい。なぜならここには本物のエルネスティーネ姫がおられるのだからな。よもや別の場所にエルネスティーネ姫がフラフラしているとは誰も考えまいよ」

 という一言でその場では何もせずに旅に出ることになった。

 そしてエルネスティーネは本心では髪を切らずに済んだことに対してほっとしていたのだ。ハロウィンの言葉にハッとし、その通りだと思ったのと同時に、髪を切ることに対する悲しみがこみ上げてきていた時にサミュエルに助け船を出された事を感謝すらした。

 しかし……

 そもそも命を投げ出す事すら厭わないとまで心に決めた旅である。そこまでの覚悟があるにもかかわらず、髪の毛をどうこうする事にためらいを感じるなど、まさに笑止千万と言って良かった。

 エルネスティーネはその時の自分を心の中で恥じていたのである。

 ティアナから突然告げられた話は衝撃であったが、エルネスティーネにとってはいままでの自分から一歩踏み出す大きなきっかけになっていた。


「私はもともとエルネスティーネには短い髪型の方が似合うと思っていたんだよ。では、気が変わらぬうちに私好みに切ってしまうかな」

 ハロウィンは努めて自然な事のようにそういうと、一房掴んでいたエルネスティーネの髪を持ち上げた。

「気など変わりません。甘えたエリーとは今夜で本当にお別れです。思い切り短くして本物のネスティにして下さいな」

 エルネスティーネはうつむくことなどせず、まっすぐ正面を見据えてそう言った。

 ティアナにはその姿がどうにも不憫でならなかった。ティアナとて一種の変装にもなる髪型の変更には以前から賛成だったのだが、髪を纏めるなり三つ編みにするなり、違う方法がいくらでもあるように思えた。長い時間をかけて伸ばしてきたエルネスティーネの見事な長い金髪が無くなるのかと思うと人ごとではなく、自らの一部が切り取られるような気持ちになった。

「じゃあ、この辺で一端切るよ。あとはルネに綺麗に揃えてもらうといい。彼女は器用だからね。いつも私の髪を整えてくれているんだ」

 エルネスティーネはうなずいた。

 そのエルネスティーネの横顔をチラリと見やると、ハロウィンは右手に持った懐剣をスッと髪の下側にあてがった。その次の瞬間、金色の滝の中から白く光る刃が見えたかと思うと、ハロウィンの左手には一束の金髪が握られていた。

 エルネスティーネは無表情で通そうとしていたが、一通り切られた後の短くなった髪がハロウィンの手を離れ、両頬に頼りなく戻ってきた感触に、思わず唇を噛んだ。

 ハロウィンは傍らにいる心配顔のルネ・ルーに軽くうなずくと、その場所を彼女に譲った。

 ルネはあらかじめエルネスティーネの後ろに置いてあった踏み台に立つとハサミを手に、エルネスティーネの髪をさらさらと撫でて見せた。

「うーん、どんな髪型にすル、ネスティ?」

 ルネ・ルーは努めて明るい声でそう問いかけた。だが、エルネスティーネの横顔を見てその問いに答えられないであろう事を察知すると、すぐに言葉を続けて早速ハサミを入れ始めた。

「あ、とびきり可愛い髪型を思いついタさかい、私に任せてくれル?」

 エルネスティーネは何も言わず小さくうなずいた。声を出してしまうと何かがあふれそうで……つまりはそれが今のエルネスティーネにできる精一杯の意思表示だった。

 ハロウィンはエルネスティーネのその様子を見て、部屋にいたティアナと、もう一人のそばかすだらけのデュナンの青年、そう、調達屋ベック・ガーニーに目配せした。

 ティアナは珍しくハロウィンと意見があった事に違和感を覚えながらもここは素直にうなずいた。ベックも軽くうなずくと、意図を汲んでハロウィンの後ろから部屋を辞した。


 調達屋ベックは自分の店を出る時と同じようにエルデに姿を消すルーンをかけられ、誰にも気付かれることなくティアナと一緒にこのホテルに辿り着いていた。アプリリアージェの指示で、明け方までは「本隊」とそこに居ろ、という事だった。もちろんアプリリアージェの指示はベックの身を案じての事だったが、同時に下手にベックに動かれてそこから情報が漏れることを恐れたのだ。ベックのその後の事はハロウィンに委ねるという意味もあった。

 アプリリアージェからベックに対しては他にいくつかの指示……いや命令があった。

 ほとんどはエイルという女のような名前をした珍しい黒い目の少年ルーナーのルーンを受けろという物だったが、それはルーンというよりも様々な耐性を得るための呪法のような物だった。その証拠に、脇腹や腋に呪印と呼ばれる班が出来たのを確認させられた。

「大丈夫。体に害はありませんよ。…………たぶん」

 アプリリアージェはそう言って無責任に笑っていたが、もちろんベックとしては一抹の不安がないわけでもなかった。とはいえ状況を考えるとそれはしょうがない事だとはわかっていた。

 エルデが行った事はいくつかある。魅了ルーンへの耐性、命の危機が迫った時に記憶を失う呪法、自白剤、自白ルーンへの耐性と逃避呪法など、およそ副作用の博覧会のような恐ろしげな術ばかりだったが、あの場で命を失うよりはマシだった。

 それよりも驚いたのは彼にしてみればかなりの大物と言えるル=キリアの目的、いやその仲間の顔ぶれだった。

 アプリリアージェはベックを配下にするに際し、持っている秘密を彼におしげもなく開示した。それはどれもこれも酒の席でできあがった酔っぱらいが語る与太話のようなものばかりで、俄には信じがたい話だった。

 黒い目の子供が賢者だと聞かされて思わず大笑いしそうになったものの、シルフィード王女ばかりか未発見と言われている水のエレメンタルも「仲間」なのだという。それも目と鼻の先の宿にいるのだと告げられて一体それを誰がすぐに信じられるだろう。

 だが、話が事の説明に及ぶ段になってそれらが全て本当の事だと理解するにつれ、ベックは瞳髪黒色の少年が賢者だと聞かされた時に敢えて見せた苦笑を引きつらせる事になった。全身の毛穴から冷や汗が吹き出て、それが肌着に染み込み皮膚に張り付き、ただただ気持ちが悪かったのを今でも思い出す。

 そう。気付けばとんでも無い大事に巻き込まれてしまっていたのだ。

 だが、それでも彼はもう覚悟は決めていた。

 狭いウーモスの話ではない。サラマンダすら飛び越えてファランドールを包むような大事に巻き込まれるのだという高揚感が、想像できる恐怖を上回っていたのだ。ベック・ガーニーという若者はそういう気質の人間なのだった。

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