第四十話 イース・バックハウス 4/4
「話の続きをさせていただいてもいいでしょうか?」
そう言われて、イースは身構えていた緊張をフッと解いた。
肩の力が抜けると、それまでいかに強い力で体を硬直させていたのかがはじめてわかった。観念したのだ。
すると、自然と口調が普段の言葉になっていた。
「本物のエルネスティーネではないとわかった私に、あなたはまだ話があるというのですか?」
ミリアはうなずいた。
「むしろ好都合だと思っている私の非礼をお許し下さい。姫とこうして出会えたのはマーリンのお導きかもしれません」
そう言ってまたにっこりと笑った。
そんなミリアを見ると、この人は本当にいつも笑っているのかもしれないなとイースは思った。
「冗談はさておき、変わり身と言っても、姫はもはや本物となんら変わりません。私が考えるに、おそらく姫は幼少よりエルネスティーネ姫本人としてエルネスティーネ姫と共に育ってきたものとお見受けします。それも、エルネスティーネ姫の代わりとしてではなく、もう一人のエルネスティーネ姫本人として。つまり、シルフィードにはエルネスティーネ王女はずいぶんと以前から二人いたというのが正解なのでしょう。なぜなら、姿形は似せられてもちょっとした仕草や癖、さらには物言いや表情などの微妙な違いは本人にはわからなくとも周りの人間には大きな違和感として映ります。お二人は幼少の頃よりお互いを見ながら気がついた癖や仕草をそっくり真似る事もされてこられたのでしょう。あなたがエルネスティーネであるのと同じように、エルネスティーネ姫はあなたでもあると言えるでしょうね」
イースはため息をついた。
「あなたはずっと私達を見ていたのではないですか?」
ミリアはしかしそれには答えなかった。
「今の推理が当たらずとも遠からずと言う事であれば、これから私がお話しすることはすなわちエルネスティーネ姫に話そうがあなたに話そうが同じ事」
実のところミリアの推理はほぼ完璧であった。
たった一度のエーテルの漏れから発覚した「変わり身」だが、それだけの材料でここまで考えが及ぶ相手に、もはや小娘である自分の小手先の嘘や言い訳は通用しないであろうとイースは観念した。
「今となっては、もはやエルネスティーネ姫には……その話は伝わらぬとしてもですか?」
ミリアは優しくゆっくりと、そして大きくうなずいた。
「変わり身であれば私がこれからお話しする計画には、むしろまたとない役者であると言えます。それに申し上げたはずです。私の目の前にいらっしゃる姫はエルネスティーネ姫と同じなのだと。それに、本物のエルネスティーネ姫……いえ、風のエレメンタルには私はいずれお会いできるでしょう」
イースは深くため息をついた。そして確信した。この男の心は私などには計り知れない物質でできている、まったく種類の違う人間に違いないのだ、と。
「そちは……いえ、あなたは不思議な方ですね。強固な護衛と鉄壁とも言われる高位のルーンによって結界を張られたこの王宮の深部にいとも簡単に入ってこられるだけでなく、侵入の目的は私との話だとおっしゃる。そしてその正体はあろう事かドライアドの、確か王位継承権までお持ちのやんごとなき公爵殿とは。これは夢だと信じ込みたいくらいです。いえ」
イースははじめてクスリと笑った。
「今夜のことを話したとしても、誰も皆、私の夢としか思わないでしょう」
イースの言葉から気負いがまったく消えた。王女としての言葉遣いではなく、一人の若い娘としての語り口に替わっていた。
ミリアにはその声がことのほか心にしみた。
「御意。ここは実に強固な守りがなされています。いろいろと悪い噂の絶えないドライアドの後宮でさえこれほどの備えはありますまい。ですからご安心を。おそらくここの結界を抜けてくることができる人物はファランドール広しと言えど何人も居ないと私が請け合いましょう。大ルーナーの誉れ高いバード長、サミュエル・ミドオーバ大元帥とは相当な力をお持ちだという噂は額面通りだとお見受けしました」
ミリアの言葉を聞いてイースは少しおかしな気分になった。簡単に入ってきた男に「ここの守りは鉄壁だ、私が保証する」と真面目な顔で言われても……。
(まったく……)
イースは心の中でため息をついた。
金色の瞳をもつ不思議な青年は、出会ってわずか十分程度でイースの持っているすべての秘密を暴いてしまった。
わずか十歳の頃から数えて七年もの歳月をかけて周到に準備を行ったはずの彼女の目的と役目は突然にして宙に浮くことになったと言っていい。
だが、その相手はまだ一人だけである。
とはいえイースの心の中には不思議と敗北感や喪失感はなかった。それは目の前にいるミリア・ペトルウシュカ公爵と名乗る涼しい目をした闖入者が、少なくとも自分やエルネスティーネ、そしておそらくはシルフィードの敵ではないように思えたからだった。
王女の寝所に雑作もなく侵入できた賊である。イースに危害を加えるなり誘拐をする目的であればおそらく(いまだに信じられないことではあるが)それを雑作もなくやってのけるだろう。
そしてミリアは賊には見えなかった。公爵と名乗るだけの品と礼が間違いなくある。まして一人の人間としての優しさが溢れているようにイースには感じられた。
イースが浅い眠りの中で部屋の異変に気づいて目を覚まさなければ、おそらくミリアは少女の眠りを妨げる事などせずに、自然に目を覚ますまでじっと待っていたにちがいない。
(そう。じっと待って……)
そこまで考えてイースはハッと気がついた。
(それはつまり、寝相の悪い私があられもない姿のままベッドの上で寝返りを打ったりする様をも一部始終見られてしまうと言うことではないか……)
そこまで考えるとイースはまたもや顔を真っ赤に沸騰させてしまった。
イースは思った。
自分自信で思っている程、私は冷静でもなんでもないのだと。
(私はまだネンネの娘なのだな……)
そう思った瞬間に自分を情けなく感じるよりも、むしろ気持ちが軽くなった。
それはおそらくこの王宮に来て以来初めて得た感覚のように思われた。
(この人は本当に……不思議な人だな……)
イースは赤面したままで、改めてミリアの顔を見やった。
目の前に片膝を付いて控えているミリアの穏やかな顔を見ると、それはまるで実の兄に見守られているような錯覚をいだいた。
(このような状況で馬鹿なことを考えるものだ……。そして突然顔を真っ赤にした私が何を考えているのかをもこの人はお見通しなのだろうな……)
そこまで考えるとイースは自嘲するようにもう一度小さくため息をつくと、ミリアに言った。
「うかがいましょう。ペトルウシュカ公ミリア様」
「恐れ入ります。イスメネ・バックハウス姫」
イースは自らの本名を突然告げられても、もう驚きはしなかった。それどころか自然に微笑が浮かぶのが自分でもわかった。
まったくこの男は何もかもお見通しではないか、と。
「イースと……」
「はい?」
「イースとお呼び下さい」
「御意」
「イスメネは十歳の時に死んだ者にくれてやった名。イースは附名ですが、母が付けてくれた、この世では呼ばれることのない名なのです」
「なるほど」
そう言ったミリアの優しいの目の中にうっすらと憂いが混ざったようにイースは思った。
「お母様はツゥレフ島のご出身でしたね」
シルフィードではおそらく使われる事はなく、公式にも残ることのない附名。それは死後の名とも呼ばれ、ツゥレフ島の民族のみに残る風習だった。それをもミリアは知っていた。
イースは自分の名の意味を知っている目の前の青年に、このときすでに信頼に近いものを感じていたのかもしれない。
そもそもイースがエルネスティーネの変わり身だと知った後、その変わり身である少女の正体をピタリと言い当てる事は驚愕に値する。さらにその母親の出身地の特殊な風習までにも思いを巡らせる事ができる。
つまりミリアの洞察力はそれだけの知識に裏打ちされたものだという事である。
もう何年も前に、それも幼少の頃に他界したイスメネ・バックハウスという娘の存在など、シルフィードの王侯貴族の歴史や動向を広く深く知っていなければ頭に浮かぶこともないはずである。ましてやその知識の中から断絶した伯爵家の病死した幼女の生まれた歳がエルネスティーネに正しくたどり着く事ができる人物がお膝元のシルフィードですらいったい何人いることか……。
イースには国家間の軍事的な戦略や展望などは深く知ることも理解することもできなかったが、今この時点でこの男をシルフィードの敵にするなどと言うことがあってはならないと言うことを直感していた。同時に、もしこの男がドライアドの軍を司る立場の人間だとすると、ドライアドとは想像している何倍も強いに違いないことも。
「お話を。ペトルウシュカ公」
「では単刀直入に申し上げましょう」
メガネの奥の、その金色の瞳でまっすぐにイースを見つめ、ミリアは言った。
「姫のお命を、いただきたい」
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