第四十話 イース・バックハウス 3/4
シルフィードとドライアドの二大大国による戦争はシルフィード側に立つ人間の認識と言うよりはおそらくファランドール全体が予感しているものであったろう。だが、無礼なこの闖入者はその程度の戦争ではないという。
イースの問いにミリアはうなずいた。
「今度の戦争は先の大戦である千日戦争とは根本的に異なる戦争です。ドライアドとサラマンダ、それにシルフィードの間で済むものではなく、新旧両教会も積極的に介入を行うことになるでしょう。さらには永世中立を掲げるウンディーネすら巻き込まれ、事を起こさざるを得なくなります。これは文字通り、有史始まって以来の大規模な、言わばファランドール大戦になるでしょう」
イースは笑顔の向こうにあるミリアの不思議な色をした優しげな目をじっと見た。細い縁のメガネ越しに見えるその金色の瞳は深く澄んで曇りがない。イースの目にはたとえミリアが畏れを知らぬ侵入者であったとしても心根が己の欲によって汚れた、ただの賊とは思えなかった。
「たとえペトルウシュカ公であったとして、なぜ一介の地方貴族の分際で、そちがそれほどのことを言い切れる?」
「それは王女自身がよくご存じなのではないですか?」
「何のことだ?」
「時です」
「時?」
「時代と言い換えた方がいいかもしれません。今度の戦争はエレメンタルがいる時代に勃発するものです。それは普通の戦争とは根本的に違うものなのです、王女。いや、風のエレメンタル様」
イースは風のエレメンタルという言葉に思わず息を止めた。
そしてこの男の目的はエレメンタルの力なのだということがようやく合点できた。
「言っていることがわからぬ。シルフィードから出ることのない風のエレメンタルがいったいどうして世界戦争に関わるのだ?」
「シルフィードには風のエレメンタルしかおりませぬ、エルネスティーネ姫」
「どういう事か?」
「伝説によれば、同時代に出現するエレメンタルは四人居ると」
「もとより、その伝説は知っておる」
「他の三名は他国におります」
「ドライアドや教会にエレメンタルがいると申すのか?」
「まだ詳しいことは申し上げられませんが、他の三名はシルフィード以外で確認されております」
イースは実のところ、風のエレメンタルと水のエレメンタルの存在を知っている。ミリアの口ぶりではそれに加え、炎のエレメンタルと地のエレメンタルの存在をも知っているという風に聞こえる。
仮にそうだとすれば、彼はエレメンタルの探索に出たエルネスティーネ一行に先んじていることになる。だがしかし、エルネスティーネの事はともかく、イースにはあのルネ・ルーの事をミリアが知っているとは思えなかった。
「嘘を申すな」
イースは凛とした声をミリアに発した。
「嘘、とおっしゃいますと?」
「トボけるな。そちが全てのエレメンタルの居所を把握している訳がない」
イースのこの一言にミリアは内心ニヤリとした。
「我らシルフィードが他のエレメンタルの所在を知らぬなどとは考えが浅い」
「ほう」
イースは自らがしゃべった後のミリアの反応を見て(しまった)と思った。いらぬ事までしゃべったことに気づいたのだ。
「なるほど、シルフィードは水のエレメンタルを知っていると言うことですな」
イースはまた顔が赤面するのを感じた。
「そ、そうは言っておらぬ」
「ふふ。エルネスティーネ姫は人が良すぎますな」
その言葉に反応したイースに、ミリアはまたもや片手を上げて制した。
「風邪を召します」
「あっ」
イースは思わず今度はミリアの目前で仁王立ちになっている事に気付いた。慌ててそのままベッドに座り込むと、マントを拾い上げて羽織った。
羞恥で再び顔が燃え上がるように熱くなった。
「伝説通りエレメンタルが強大な力を持っているとすれば、その力に対抗できるのは、エレメンタルしかおりませぬ。今度の大戦はそのエレメンタルの力を手に入れた陣営が勝利するに違いないでしょう。その点、シルフィードには最低一人のエレメンタルがすでにおります」
「エレメンタルは戦争の道具ではない」
「それはエレメンタルが決めることではないのですよ、姫さま」
「エレメンタルの力は人間や一国の思惑のために使われることはない。少なくとも風のエレメンタルは」
イースの必死の抗議に、しかしミリアは寂しそうに首を振った。
「風のエレメンタルのお考えはそうでしょう。しかし炎のエレメンタルや地のエレメンタルが姫さまと同じ意志を持っているなどとは考えない方がよいでしょう。ましてや、シルフィードの国民が炎のエレメンタルの業火によって全て焼かれようとしている時に風のエレメンタルはそれを止めようとしないとでも?」
「炎のエレメンタルがシルフィード国民を虐殺するとでも申すのか」
「言い換えましょう。たとえば、炎のエレメンタルと地のエレメンタルが共同し、アルヴ族を根絶やしにしようとしたらいかがなされます?」
「なんと申した?」
「かつて、アルヴ族がピクシィに対してそうしたように……」
「黙れ!」
イースはミリアの言葉を強い調子で遮った。その瞬間、締め切られたはずの部屋の中を一陣のつむじ風が舞い、ミリアの髪が大きく揺れた。そしてその風が収まったと思った時、ミリアの頬に一筋、鋭い剣で薄く切ったような傷が生じた。
風のフェアリーであるイースの感情の高ぶりが風のエーテルに反応し、その怒気と呼応して空気を刃に変え部屋を巡った。その一部が敵対している相手、つまりミリアの頬をかすめたのだ。
ミリアはメガネを指で押し上げる仕草をすると、一歩下がって深く一礼した。
「そちは我を怒らせに参ったのか?誰と話をしているのかはわかっておるのであろう?無礼が過ぎると今ここでその首を切り落とすことも我は可能なのだぞ」
ミリアは礼をしたままの姿で答えた。
「ご冗談を」
「冗談などではない。そちが今申したのだぞ?エレメンタルの力の強大さを」
「そう、エレメンタルの力は強大です」
「ならばわかっていよう。この部屋に入ったときからそちの命は我の手にある」
イースにとっては一世一代のはったりであった。だがミリアには全く動じた様子がない。
「それは姫が本当のエルネスティーネ王女であったなら、でございますな」
その一言にイースは凍り付いた。
ミリアはようやく顔を上げてイースの目をじっと見つめた。メガネ越しのその鋭いまなざしに、イースは心の中をすべて晒しているような、かつて経験したことがないような言いようのない心細さを味わった。
だが、イースは一体自分がどこでへまをしたのかが全くわからなかった。
「おとぼけにならなくても結構です。もっとも、この私ですらつい今し方まで姫がエルネスティーネ王女だとすっかり思いこんでおりました。普通の人間にはまず姫の変わり身がばれることはありますまい」
イースはその言葉で理解した。「違う」と取り繕っても、この男に対してはもう無駄であることが。
この男は見抜いたのだ。
……だが、なぜ?
いつ?
「なぜわかったのかといいたそうですね」
イースの心の中を見透かしたかのようにそう言うと、ミリアは厳しい表情を和らげて、もとの柔和な顔になった。
「おそらく本物の貴族だけが持つ気品と気高さを備え、そして澄んだ色の風のエーテルを姫は纏っておられた。ですから先ほど申しましたとおり私もすっかり騙されておりましたが、あいにく姫は先ほど不用意にフェアリーの力を漏らしてしまった」
「それが?」
(それがどうしたというのだ?)
イースにはミリアが言わんとしていることは皆目見当が付かなかった。
「姫は弱かった」
「え?」
「そうです。姫からはとてもではありませんがエレメンタルと言えるほどのエーテルは感じませんでした」
ミリアの言葉にイースはムッとした。
「そちにはそのようなことがわかると申すのか?ばかばかしい」
「こう見えて私もフェアリーの端くれでございます、姫」
そう言うと、ミリアは右頬に出来たばかりの切り傷をそっと指でなぞった。
すると不思議なことに切り傷はまるで壁の隙間を同色の漆喰で埋めたかのように消え去ってしまったのだ。
イースは目を見張った。
「ファランドールは広い。相手の力が見える……そんな便利な道具も存在しているということでございます、姫さま」
そう言ってミリアは、メガネの真ん中を指で押して位置を直して見せた。
イースは唇を噛んだ。そして合点した。
なんと間抜けな事をしでかしてしまったのだろうかと自分を責めてみてももう遅い。制御していたはずのフェアリーの力を漏らしたことが失敗だったとは……。
いや、フェアリーの力を計る事ができる呪具があるなどと、イースはついぞ聞いたことがなかったのだから、無理からぬ事ではあった。
フェアリーの能力は先天的なもので、その能力は使う力の大小にかかわらず一定のエーテルの圧力を持つと言われている。その力の大きさを見る事ができる呪具をこの男は持っているというのだ。それは戦う前に相手の力量が推し量れるということである。ずいぶんと都合のいい呪具だな、とイースは思ったが、ミリアの言っていることは正しかった。
風属性のフェアリーだと言ってもイースはごく弱い力しか持ってはおらず、風のエレメンタルなどとは比べるべくもなく、その力は全くもって大したことがない。
さっき怒りにまかせて見せた風の刃がせいぜいだったのだ。
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