第三十九話 神の空間 3/5

「なるほど。君はあの事件を知らないのか……つまりここ数年は賢者会と直接に関わっていないということだね」

「申し訳ありません」

「いや、そう言うことを僕に謝られても困るな。その辺は賢者会の問題であって僕の管轄外だしね。なるほどそうか。とにかく彼女は今は僕の弟子っていう事になっているんだ」

「大賢者ならともかく、三聖が弟子を……ですか?」

「いろいろあってね」

 【蒼穹の台】はそう言うときびすを返した。

「邪魔をしたね」

「え?」

 立ち去ろうとした【蒼穹の台】に、思わず声をだしたエルデだった。

「ん?どうした?」

「それだけ、ですか?」

【蒼穹の台】はエルデにそう問われて不思議そうな表情を浮かべた。

「言っただろう? 僕は偽賢者に会いに来たんだ。「二藍」をして混乱させたほどだからよほど上手に化けたんだろうし、だったら興味もあるからいろいろ聞いてみたいこともあったんだけどね。でもいざ会ってみたら本物の賢者だった。だったら僕の方にはもう何も用はないさ。もっとも【二藍】はもとより僕でさえ知らない賢者がいるというのは驚きだったけどね。彼女が偽物だと思うのにも一理あると言う事はわかって欲しい」

「はあ」

「そもそも君が名前を名乗りさえしていればややこしいことにはならなかったんじゃないかな?」

「それは……」

「まあ、名乗りたくないのは君の勝手だし、僕にすら名乗れないだけの相応の事情があるみたいだしね。それに実際君の名前なんて僕には興味はない。要するに結果としてはただの時間の無駄だったという事だから、後はさっさと帰るだけさ。それとも……」

 そこまで言って【蒼穹の台】は言葉を切った。


 そして次の瞬間、その顔に劇的な変化が起こった。一同はそれを見て固唾を呑んだ。

【蒼穹の台】の額の目が開かれたのだ。紛うかたなきマーリンの眼、真っ赤な賢者の徴がそこにあった。

 その第三の眼に呼応して緑色だった二つの瞳も燃えるような赤に色が変わった。

【蒼穹の台】はその三つの赤い眼でエルデを見据えた。その様子を見て、アプリリアージェを始め、その場に居た者は全員、それは【蒼穹の台】がエルデに対してとった威嚇行為だと確信し、再び一気に緊張が走った。

「【二藍の旋律】のしでかした無礼を師である僕に償ってほしいとでも?」

「できれば」

 だがエルデは周りの緊張をよそに、その威嚇に臆することなく何の迷いもない眼差しをまっすぐに相手に向けて落ち着いた声で即答してみせた。

【蒼穹の台】がそのまま去ろうとしたことで、その場にはようやくある種の安堵感が芽生えていたが、エルデの行為は、まさにその場の空気を一変させた。

 いや、【蒼穹の台】がマーリンの眼を開いた瞬間に、その場にはたとえようもない恐怖のようなものが充満していたのだ。空気はすでに変わっていたという方が正しいだろう。その証拠に、アプリリアージェだけでなく、テンリーゼンの腕を見てもわかるとおり、その場にいた全員が得体の知れない恐怖とおぞましさに鳥肌を立てていたのだ。

「ふーん」

 あまり表情を変えなかった【蒼穹の台】だが、エルデの一言で明らかに目つきが変わっていた。

「一応念の為……というよりここは君自身のためにも聞いておく。君はあの【二藍の旋律】よりも当然、上位なのだな?」

【蒼穹の台】の口調が変わった。

 それに合わせてエルデも恭しくうなずいた。

「マーリンの名に懸けて」

 

 アプリリアージェの目にはこの緊迫した空気の中にも関わらず、エルデの態度が先ほど見た絶望感に支配されたものとは打って変わってずいぶん余裕があるように見えた。初期の混乱を脱しただけでなく、次の手をも打てるだけの戦術ができあがっているような、そう、まるでいつものエルデの様子なのだ。

 だが一行に何の危害も加えることなくその場を立ち去ろうとした底の知れない怪人を、あえて引き留めてまで挑発するだけの価値のある賭なのかは不明だった。

 そう、エルデはあえて挑発したようにアプリリアージェには見えた。

 それがエルデの持つ生来の負けず嫌いから出た意地のようなものでないとは言い切れなかったが、アプリリアージェにしてみればこの舞台には自分の出番がないことは歯がゆいながらもわかっていた。観客はただ舞台の上の役者を見守るだけの存在なのだ。少なくとも幕が下りるまでは。

 ましてやこの最高潮ともいえる場面で野次などは許されるものではないだろう。それこそその場で首をはねられても文句は言えまい。


「ふん」

 険しい表情になった【蒼穹の台】はエルデのその態度を第三の赤い瞳で値踏みするように少し眺めていたが、そう言うと少し表情を和らげた。

「君は面白いね。僕の正体を知った上で敢えて僕に対してそういう強気な態度がとれるのは人間としては珍しいよ。そして賢者としては有り得ないと言っていい」


『エ、エルデ!』

【黙れっ!】

『こんな時に黙っていられるかよっ』

【マーリン正教会の三聖が一人【蒼穹の台】 奴が噂通りの性格なら、これでええんや】

『噂って?』

【そして、その噂はこれまでの行動を見る限り、間違いない】

 

「まあいい。どうやら君の言葉には一切の嘘がなさそうだ」

 

【「【蒼穹の台】は、言葉の嘘と真実を見抜く。やましき者、かの者の前では黙して語るべからず」】

『え?』

【師匠が言うてた。あいつの能力の一つや】

『心が読めるのか?』

【いや、ちょっと違う。言葉の真贋が見えるんや。そやから奴はその気になると常に質問を投げ続ける。でも、俺はさっきから嘘は全くついてない】


「では僕は君の求めに応じて賢者の掟に従おう。上席に対する下席の無礼は本人もしくはその一族が償う。彼女の一族は師である僕一人だけだから、すなわち君が求めたものを妥当だと僕が判断できたら、それを行おう」

 

【「【蒼穹の台】が主(あるじ)は我らが法のみ。かの者を支配するは他に在らず」】

『なんだ、それ?』

【有り難いことにコイツはくそ真面目っちゅう事や】

 

 エイル……いやエルデは顔を上げてまっすぐに【蒼穹の台】を見つめた。

「では、恐れながら……」

 そう言ったエルデは口を手で覆うと、続く言葉は声を低くして【蒼穹の台】だけに聞こえるように話した。


「妙な願いだな。それくらいならまあ、断る理由は存在しないが……」

【蒼穹の台】はエルデの依頼を一通り聞き終わると、困惑した表情を隠さなかった。

「普通は相応の「呪法の解」とかそういうものを求めるものだが、かといってそういう決まりがあるわけでもないしね。受ける方が許諾すれば問題はない」

「はい」

「なるほど、そのあたりの掟の文面も君はすべて知った上で僕に頼んでいるってことだね」

「おっしゃるとおりです」

「ふーん。さっきの言葉を撤回しよう。僕はちょっと君に興味が出てきたよ」

【蒼穹の台】は首をかしげて少し思案する様子を見せたが、すぐに精杖を掲げ、エルデの前に示した。

「この【蒼穹の台】、我が名に懸けて汝の要求を遂行せん」

「感謝します」

【蒼穹の台】はうなずくと精杖を下ろした。

「念のために言質(げんち)を取っておきたいんだけど、君の依頼が間接的に我が法に悖(もと)る事はないんだろうね?」

「我が真の名とマーリンの名に懸けて」

 エルデの答えに【蒼穹の台】は声を出して笑った。

「ははは。今度はマーリンより自分の名前を序列の先に持ってくるとは、君はなかなか愉快なヤツだな」


 一同が初めて聞く【蒼穹の台】の笑い声だった。そしてその笑いが一体何に向けられたものなのかがわかっている者はおそらく本人とエルデの二人だけだったに違いない。

「本当に君は面白いな。どうでもいいと思っていたけれど、どうしても君の名前を知りたくなったよ」

「……」

「身構えなくてもいいさ。僕は楽しみを先に取っておく主義だからね。今日はもうずいぶん楽しんだ。こんなに楽しい気分は何十年ぶりかな」

「……」

「また会えるといいね」

【蒼穹の台】はそう言うといったん踵を返したが、立ち去らずにゆっくりとエルデの方を振り返った。

「あ、そうそう。君は僕の事を知っていたのに、最後まで僕の事を『猊下』とは言わなかったね。それに」

 アプリリアージェには、【蒼穹の台】のその一言で再びエルデに緊張が走ったような気がした。だが、エルデの返答を待たず、【蒼穹の台】は後ろを向くとゆっくりとエイル達から離れていった。

「さっきはああ言ったけど君とは運命的なものを感じるから、いやでもまた会うことになる気がするよ」

 遠ざかりながらそう続けた【蒼穹の台】だが、その言葉を言い終わったとたんにその気配が消えた。次の瞬間、それを待っていたかのようにエルデが何かを唱えた。一つではない。いくつかのルーンを続けざまに唱えていた。それはかなりの早業で、アプリリアージェが声をかけるタイミングよりも早かった。

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