第三十九話 神の空間 4/5
「本当にあれが【蒼穹の台】なのですか?」
「想像もしていない姿でしたね」
「俺、マーリンの三聖って言うと勝手にヨボヨボの怪老人を想像してたんで思いっきり驚きましたよ」
「アルヴィンやダーク・アルヴにヨボヨボな外見をした者なんていませんよ」
「そういえばそうですね」
降って湧いたような異常事態が去ったことでようやく緊張感が解けた一同は口々に質問をエイル……いや、エルデに投げつけた。
「俺も実際に会うのは初めてやけど、あれぞまさしく本物の三聖の一人、【蒼穹の台】や。もっとも普通の賢者は一生会うこともないような文字通り雲の上の人やけどな」
「でも、これでエイルが本物の賢者だと言うことを俺たちも確認できたわけだな」
「【蒼穹の台】のお墨付きですからね」
「しかも賢者エイミイ殿の席次は相当上位だそうだな」
「失礼なやっちゃな。俺の言葉だけでは信じられへんかったって事かいな?」
「いや、そうじゃなくて第三者の認知は信用に厚みを加えるというか……」
「ほんなら聞くけど、俺とアイツがグルで一芝居打って信憑性かせいでたとしたらどうや?」
「まさか、さすがにそれはもうないって。悪かったって言ってるじゃないか」
「彼は、【蒼穹の台】はその本物の賢者であるエイル君をして、手も足も出ないほどの存在なのですか?彼は一体どんな力を持っているんです?」
「そう。エイルが止めていなかったら、あの時俺は奴の足を攻撃していた」
エルデはそう言ったファルケンハインの方を向くと深いため息をついた。
「見栄を張ってもしょうがないから正直に言うけど、今の俺では【蒼穹の台】の前では薄紙一枚程の防御壁にもならへんやろな」
「そんなに?」
「俺たちが一斉に攻撃を仕掛けても、か? 一応言っておくが」
アトラックの言葉をエルデは手を挙げて途中で遮った。
「ル=キリアの名声は知ってる。ここにいる四人がその中でも精鋭揃いやっていうことももう充分わかってる。でも、そこのお人形さんの矢が【蒼穹の台】の精杖で払われる時には、全員がこの世から消えてなくなってるやろうな」
「そんなまさか。それじゃあ奴はまるで神みたいな……」
「『神の空間』そこではまさにあいつは『神』やな」
「え?」
アプリリアージェはエルデの言葉に思い当たる記憶があった。
「エイル君がルーンを唱えようとした時に彼が言った『無駄です』というのはそれのことですか?」
エルデはうなずいた。
「さすがリリア姉さん、察しがええな。【蒼穹の台】が作った『神の空間』に俺たちが足を踏み入れた瞬間にもう勝負はついてたって事や」
『「神の空間」って?』
心の中のエイルの問いかけに、エルデは言葉に出して応えた。エイルの疑問はここにいる全員の疑問に他ならないからだ。
「さらに、あそこは一種の『エア』でもある」
アプリリアージェとテンリーゼン・クラルヴァインがすぐに反応した。
「エアですって?」
エルデはうなずいた。
「でも、あれは……」
「超自然現象。でも【蒼穹の台】はそれを任意に作れるんや」
「まさか……」
「まさかって言われても作れてしまうんやからしょうがないやろ。現に今、俺たちはそこにおったんやから」
エルデはそういうと深いため息をついた。
「でも、俺も実際に体験するまで信じられへんかった。それが正直なところや」
『だから、そのエアって何だよ』
「「エア」って、非エーテル地帯の事ですよね?」
アトラックが確認を取るようにファルケンハインの方を見た。
「ああ。滅多に出現しないが地磁気の変化やアイスやデヴァイスなどの天体の位相、異常気象など様々な要因で不規則に出現するごく狭い空間の事だな。幸い俺はまだ出会ったことはないが」
ファルケンハインは珍しく素直にアトラックの問いに丁寧に答えた。
『それって、つまり?』
【そこでは俺たち全員丸腰ってことやな。ティアナ姉さんのキャンセラ能力がある空間って言うたらわかりやすいやろ】
『そうだな』
【始末の悪いことにエアの場合はルーナーだけやのうてフェアリーにも影響する。そらそうやな。エーテルがないんやから】
「念のために聞いておきますが」
アプリリアージェはなにやら少し思案していたが、エルデに向かうと声をかけた。
「【蒼穹の台】が私達を攻撃してくる可能性はないのでしょうか?」
「この先、っちゅうことか?」
アプリリアージェはうなずいた。
「先のことは誰にもわからへんけど、俺の知る限り、【蒼穹の台】はガチガチの法の番人やから意味もなく攻撃してくることはないと思う。だからさっきもこちらから手を出さへん限り何もしようとはせえへんかったやろ?」
「言い換えると、意味……その法に照らして大儀があれば敵になるということですね」
「そう言うことやな。さっきの場合やと先に攻撃されたら身を守る為に行動は起こす、ということや」
「我々が今行なっていることは問題がないと?」
「【蒼穹の台】が守る法っていうのは賢者が勝手に作った自分たちの法やから、いわゆる国際法や各国の法律とかとは全然別物や。そう言う意味で今現在俺たちが賢者の法に触れている部分はない、と俺は思う」
「賢者の法をエイル君は勿論知っている?」
アプリリアージェの問いに、エルデはうんざりしたような表情で答えた。
「賢者やからな」
「そうですね。我ながら愚問でした」
「興味があるなら、あとで記憶力自慢のアトルに全文言うて聞かせとこか。いわゆる憲法みたいなもんやからたいした量やないし。ただ、不用意に人の前でそれを言うて、たまさか賢者に見られたりするとややこしゅうなるから取り扱いは最重要機密級でお願いしたいところやけどな。それでええなら」
「了解です。一応、お願いしておきます」
エルデはうなずくと、さあ戻ろうと言ってきびすを返して歩き出した。
一行は一瞬戸惑った。今まで向かっていた方向とは逆だったからだ。彼らは今の今まで例の偽の庵に向かって歩いていたのだが、エイルは急に向きを変えたのだ。
だが、アプリリアージェが何も言わずにエイルの後に従ったのを見て、他の三名もそれに続いた。
「それで、あの三聖の一人におまえは一体何を頼んだんだ? 奴はあの時ばかりは何とも言えない苦虫を噛み潰したような顔をしていたが」
ファルケンハインにそれを聞かれると、エルデは耐えかねたように笑った。
「くくく」
「ん?」
エルデとテンリーゼン以外の三名はエイルの笑いを見ると互いに顔を見合わせた。
「ふふ。さすがにあのまんまやと悔しかったから、腹いせに三聖と呼ばれる重鎮に雑用を申しつけたったんや」
「雑用?」
「でもそのおかげで、たぶん今回の始末は完璧になったで。なんせ最上位のコンサーラの仕事やからな。これ以上は望まれへんわ。それよりもお姫様との合流にもかなりの時間短縮になるのがありがたいな」
ファルケンハインは改めてアプリリアージェの方をみやった。しかしアプリリアージェも小首をかしげて見せるだけだった。
事実、アプリリアージェにも今回の一連のエルデの言葉が持つ意味を理解することは困難だったのだ。
エルデはアプリリアージェのその困惑した表情を見ると満足そうにニヤリと笑った。
「おいおいエイル。もったいぶらずに教えてくれよ」
そうアトルにせかされるのを待ってエルデは口を開いた。
「【蒼穹の台】には、ここでスプリガンの追っ手を待ってもらい、奴らにマーリン正教会としてその場で俺たちの死体を火葬するように命令してもらう事にした」
「命令?」
「サラマンダ侯国では生きた人間は、まあ国というか政府が支配してるんやけど、死体に対する処置の優先権はマーリン正教会にあるんや。トリムト条約にきちんと明記されてるで」
本当か? というファルケンハインの疑問のまなざしを受けて、アトラックは少しの間、空に目を泳がせて記憶を探っていたが、やがてゆっくりとうなずいた。
「なるほど。これがそれですかね。第二十八条の二項に『葬儀』という項目があって、弔いに関する事が書かれていますが、それだとその場にいるマーリン正教会の識者の指導を受けて行うこと、とありますね。教会の人間がいない場合はその地の責任者で、軍の人間の優先権は全く書かれてませんね。念のために全文を読み上げますと……」
「いや、それには及ばん」
ファルケンハインがアトラックを制止したのを受けてアプリリアージェが口を開いた。
「あなたがルーンででっち上げたあの『私達の死体』を、火葬にして証拠を隠滅するということですか?」
「そう。その役は俺がやろうと思ってたんやけど、ちょうどよかったわ。『神の空間』を使ってやってもらえたら完璧やろな」
「エイル君は『神の空間』とはエアのようなものだと先ほど言いましたけど、今の話を聞いているとただエアを作り出すだけではなさそうですね」
「【蒼穹の台】の『神の空間』における神は【蒼穹の台】」
アプリリアージェの問いにエルデは短くそう答えた。
その声は低く、冗談でもなんでもなくその言葉通りなのだと言うことをアプリリアージェは理解した。
「『神の空間』での理(ことわり)はすべて【蒼穹の台】の言葉で決まる。奴に『おまえは犬だ』と言われた人間は、他人には犬にしか見えなくなる。今食べているパンは岩で出来ていると言えば、かじりついた奴の歯は折れて口の中は血だらけになる。そういう空間や」
「それは……」
『無敵ではないのか?』と言いかけて、アプリリアージェはやめた。彼女は立場上、そんな事を言葉にしてしまってはならない事をよく知っていた。
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