第三十九話 神の空間 1/5

【おいおいおい】

 

 エイルは岩肌にぽっかり開いた亀裂の前に立っていた。周りにはスプリガンとおぼしき部隊の兵達が少なくとも二十人はいた。入り口を固めている者、周りを歩き回る者など様々だが、要するに警戒にあたっているようだ。

 しかし、エイルを気に懸ける者はいなかった。

 そう、姿を消すルーンをかけて、エイルはアロゲリクの庵と呼ばれる岩の亀裂の前にきていたのだ。足音を消すルーンもかけているのだろう。堂々と現れ、スタスタと目的地の前まで歩いて来たにも関わらず気づかれる事はまったくなかった。

 現れたのは精杖を手にしたエイル一人で、ル=キリアの一行はすぐ近くまで伸ばした結界内でエイルの帰りを待っているところだった。エルデが庵には一人で行くことを主張したからだ。

 だが、エイルとエルデは目的地の前で絶句していた。

 

『これ、崩れてるよな?』

【熟睡中のお前さんくらい、崩れてるな】

『わかりにくいたとえ、ありがとさん』

【いや、マジでお前さんの寝相は驚異的や。この間なんか】

『今はそんな話はどうでもいいだろっ』

【へいへい】

  

 目の前にしたアロゲリクの庵は、どう見ても洞窟の入り口まで瓦礫で埋まっているようにしか見えなかった。何者かによって破壊されたのは間違いないが、果たしてそれがスプリガンに依るものなのかどうかははかりかねた。

 

【まあ、手間は省けたんかもしれんな。偽物の仕掛けがわからへんようになったのはちょっと残念やけど】

『誰がやったんだ? スプリガンか?』

【それはどーかなあ。結構な規模の崩壊やし、そもそも綺麗に中だけ崩れてるやろ】

『そうだな。中だけが完全に埋まっている感じだな』

【そこまでのルーナーかもしくは強力な大地のフェアリーがスプリガンにおるっちゅうことになるんやけど……】

『いない、と?』

【まあ、絶対やないけど、考えにくいな。そもそもスプリガンがここを壊す必要性がわからへん】

『ふむ。で、どうするんだ?』

【いや、どうするって、予定通り次の計画を実行するだけや】

『あの死体を使って?』

【今頃はリリア姉さん達も服を換え終わってる頃やろ。予定より早く済んで良かったやん】

『人を殺さずにどうにか出来なかったのか?』

【ああ、もう、その議論は無しの方向で頼むわ】

 

 アプリリアージェが行動可能な状態に回復すると、一行はすぐに次の作戦に移った。

 エイル、いやエルデは作戦に際して五体の死体を要求していた。小柄な死体が三体、大柄な物が二体。さらに矢や剣を使わない、つまりは外傷を伴わないやり方で、という細かい指示付きだった。

 もっともそれは容易に調達ができた。

 彼らはエルデの張った強力な結界のおかげで「こちらからは向こうは見えるが、向こうからはこちらが見えない」という絶対領域のような物を確保できていたからだ。

 エルデの説明ではその効果は勿論「精霊陣の内側だけ」という事だったが、アプリリアージェが眠っている間にスプリガンの隙を見てエルデが徐々に精霊陣を外側に作り、範囲を移動・拡大させていたため、その絶対領域は結構な広さになっており、ル=キリア得意の急襲がやりやすかったのだ。

 勿論エルデのルーンで相手を眠らせるなり麻痺させればより簡単だったろう。しかし、「賢者の法」によりエルデから仕掛けることはできない相談だったのだ。賢者としての行動時であれば問題にされないが、今回はエイル、いやエルデの個人的な行動であるため、それは許されない行為なのだとエルデは説明をした。

『賢者の法』と呼ばれる都合はル=キリアにとっては腑に落ちるようなものではなかったのだろうが、もとよりすべてエルデのルーンに頼ろうとは思ってはいなかった。そもそも発端はル=キリアがスプリガンに狙われているという事なのだから。

 エルデの機転と活躍でアロゲリクの渓谷に続く林を無事に抜けられたことは大きかった。アプリリアージェには味方の損失をある程度は覚悟していた節があった。たとえそうでなくても、とりあえずエルデというルーナーがいなければ無傷でたどり着ける事はありえない状況といえただろう。もっとも、エルデが計算に入った上での作戦であるから、エルデがいないという「もし」はなかったのだが……。

 

【さて、と。ほんならこんなところには長居は無用やな】

 エルデは振り返ると、ゆっくりとした足取りで、来たときと同様に敵の兵が歩き回る中を堂々と歩いて去って行った。

 しばらく歩くと、エルデが張った結界に入った。

 見つからないとはわかっていても、エイルはホッとした。当のエルデは全く平静で、一番簡単な防御ルーンを唱えて、自分にかけていたいくつかの隠密行動用のルーンを剥がした。

 

「やけに早かったですね」

 アプリリアージェがそう言ってエイルを出迎えた、まさにその時だった。


 その少年は一同の前に忽然と現れた。

 瞬きをしたら何もなかったはずのところにその姿があったと言う表現しか当てはまらない。コマ落としとはまさにこのことだろう。

 緊張で一瞬にして凍り付く一同の中で、いち早く我を取り戻して対処行動をとったのは言うまでもなくアプリリアージェとエルデの二人だった。

 

【代われ】

「あら」


 エルデはまずは体の支配をエイルから受け取った。対してアプリリアージェは相手よりも先にこちらから行動を起こすことで味方の混乱を押さえ込む策をとった。そしてそれは勿論効果があるものだった。一行はいきなり起こった戸惑いの事態に対する対処をアプリリアージェに預ける事で自らを冷静に保つ一助にする余裕を手にしたのである。

「こんなところに一人でどうしたのですか?今このあたりは危険ですよ」


 エイルと合流したル=キリア一行が、次の作戦の為にスプリガンの死体を置いた場所へ向かう途中の出来事だった。

 エルデの作った結界内という事で、ある程度警戒が緩んでいたのかもしれない。しかし、あまりに不自然にその少年は彼らの行く手に「出現」してみせたのだ。

 忽然と現れた少年はアルヴィン、つまりエルネスティーネやテンリーゼンと同じ肌の色が白い小柄なアルヴ族だった。肌の色の違い以外はアプリリアージェのようなダーク・アルヴとほぼ同じ種にエイルには見えた。事実、アルヴィンとダーク・アルヴは生活分布が違うだけで、生理的な特徴はほぼ同じものである。

 その金髪の少年の年齢はエイルの目ではなんとも測りかねた。見た目通りの少年と言ってもいいかもしれないが、アルヴィンやダーク・アルヴという小型アルヴ族は特に男女ともたとえ老人であろうと少年・少女のように極めて若く見えるのだ。そしてその姿のままで老衰するのだという。だから後はその「人物」が纏っている雰囲気や仕草、それに着衣の特徴から見る社会的な立場や地位などから推し量るしかなかったのだが、幸いその少年は自らの身分を示すのに極めてわかりやすい姿をしていた。

 それは着衣だ。

 すなわち、金糸で袖口と裾に縁取りがあり、見たことのある紋章が胸に大きく刺繍された厚手の紺色のローブを纏っていたのである。

 その紋章……ツルバラが絡まった剣と蛇が巻き付いた精杖が交差するクレストはマーリン正教会のもの。紺色の法衣はマーリン正教会では最上位の色とされている。つまり、目の前のアルヴィンは高位の僧であることがエイルにも理解できた。

 少年は紺色のローブの下に薄青くゆったりした上等な絹でできた上下を着ており、その手には青白い石でできた精杖があった。

 金色のやや癖のある髪はアルヴ系種族には珍しくあまり長くのばしておらず、瞳の色は薄い緑色で、それはまっすぐにエイル、いやエルデに注がれていたが、感情の起伏を感じる程の強い意志が見えず、エイルには相手の意図が全くわからなかった。

 

『こいつが罠の主?』

【この姿、この精霊波……こいつ……ひょっとしたら?】

『え? 知り合いか? 賢者なのか?』

【ちょっと黙って】

 

 エルデは小声でいくつかルーンを唱えた。

 その詠唱を聞くと初めてそのアルヴィンの少年が口を開いた。

「やめた方がいい。ここでは無駄だから」

 

【!】

『無駄?』

 

「あなたは、何者ですか?」

 これはアプリリアージェだ。

 声をかけ相手の気を一瞬でも自分へ向けることで虚を突かれた可能性のあるエルデに対して気持ちを立て直す余裕を与える一言だった。

 だがアルヴィンの少年は全くアプリリアージェのことを意に介さない風で、視線はエイルの姿をしたエルデだけに注がれたままだった。

「すでにエーテルは封じてるから、もう何を唱えても無駄だよ」

 それを聞いてファルケンハインとアトラックが懐に手を入れたが、それを察したエルデが慌てて鋭く叫んだ。

「動いたらあかんっ!」

 その声は普段のエルデからは聞けないほど大きく、そして切羽詰まった感じがした。

 剣幕に呑まれ、一同は動きをやめた。アプリリアージェですら攻撃の構えをとろうとしていたが、エルデの言葉でそれをやめた。


「ええかっ、絶対に手ぇ出すなっ!」

 念押しだろうか。さらにエルデは叫んだ。

 こうまでしてエイルが焦って叫ぶ声をその場の誰もが初めて耳にすると思った。

 もはやアプリリアージェだけでなく、全員がエルデの語気で危機を直感した。ハイレーンであるピクシィの少年は、この正教会の関係者と思しきアルヴィンの……おそらくは賢者であろうこの少年を知っているのだと。

 そしてその能力を知っているからこそエイルは必死で叫んだ。

 そう判断した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る