第三十八話 テンリーゼン・クラルヴァイン 1/2

 エイルがテンリーゼンの剣の腕前の片鱗を目撃するのはもう少し後の話になるが、ここで少し彼……テンリーゼンについて説明をしておこう。

 

 テンリーゼン・クラルヴァインについての公式記録の少なさはアプリリアージェ・ユグセルの比ではない。これほど資料が少ないとなるともはや実在の人物であったのかどうかすら疑われる程であるが、その希少な公式記録の実物をつぶさに見ていくと、どうやら政治判断により削除されたような痕跡がある事に気付く。また、そもそも記録時に敢えて彼に関する項目だけが抹消されていたかの様な節もある。それだけテンリーゼンが関係した可能性がある記述項目には不審な点が多いのである。確かに存在していたはずであろうと思われる一部分……場合によっては部分ではなく数頁にわたる場合もある……が、ぞんざいに破り、千切り取られた文書・文献が多い。王立図書館に保管されている各国の公式文書など、その例を挙げると枚挙にいとまがない程だ。

 従って公式にわかっている歴史上の事実としては、カラティア朝シルフィード王国における史上最年少の提督としてテンリーゼン・クラルヴァインという名前の人物が存在していた時期があったと言うことのみである。


 テンリーゼン・クラルヴァインという名前については、この物語の時代における「先の大戦」である「千日戦争」からさらにさかのぼる事七年前に勃発した断続的なサラマンダとの会戦で戦死したと言われる父モーリッツの死後、クラルヴァイン家の長子として誕生した記録が存在する。クラルヴァイン家は軍でのモーリッツ・クラルヴァインの活躍により男爵の爵位が与えられたばかりで、現存する当時のシルフィードのリスト(紳士録)にはモーリッツ・クラルヴァインの生没年と並んで彼のクレスト(紋章)であるルヴラというキョウチクトウ系の白い花の意匠が記されている。

 もっともモーリッツが持っていた男爵という爵位は相続権が存在せず、家督を継いだ頃のテンリーゼンは爵位の無い貴族であった。

 一説にはその飛び抜けた武功により、彼が佐官に昇進した際に報償として国王アプサラス三世より男爵の爵位が贈られる事になったとあるが、実際のところシルフィードの紳士録には彼のクレストが掲載された形跡がないため、男爵というのは誤りで事実上は無爵位の貴族だという解釈が大勢を占めている。

 考えてみればこれはかなり不可思議な事である。

 例を見ない速さで少将にまで上り詰めたテンリーゼンが武功を立て続けていたのは間違いない。そしてその武功は父であるモーリッツのそれに見劣りするものだろうか?

 父であるモーリッツは中尉で男爵の爵位を得、戦死により特佐に特進した。

 だとすれば少将にまでなったその息子に男爵の爵位が贈られない道理はない。

 この不可解な出来事にも、この少年提督の存在の謎を紐解く鍵が潜んでいると考えられないだろうか?

 

 元々病弱で産後の肥立ちが悪かった母親のイルジー・クラルヴァインがテンリーゼン誕生の数日後に他界した後は、クラルヴァインの家督はイルジーの遺言に従い、テンリーゼンごと当時の軍務大臣、すなわち王国軍大元帥の地位にあったガルフ・キャンタビレイの下に置かれることになった。

 これはモーリッツにはごく近しい血縁がおらず、シルフィード軍の最高の地位にあるガルフ・キャンタビレイの次女がすなわちモーリッツの妻イルジーであった為である。すなわち、生後間もないテンリーゼンは祖父を後見人としてその家に引き取られることになったのだ。

 だが、ガルフの意向もあってテンリーゼンは伯爵の爵位を持つキャンタビレイの家には入らず、父モーリッツのクラルヴァインという名前を名乗り、家督を継ぐ形をとったと言われている。

 祖父と孫の関係であるから、養子縁組みを行っても何の問題もないはずだが、ここでもまたテンリーゼンは奇妙な待遇を受けていると言えるだろう。

 だが、テンリーゼン・クラルヴァインがキャンタビレイ家に入った事は我々後世の人間にとっては実にありがたい出来事だったと言える。

 テンリーゼンについて現存する資料の多くはその規模が王立図書館の別館にも匹敵すると言われるキャンタビレイ文庫に保管されていたものだからである。すなわち、キャンタビレイ家の関係者日記や書簡、雑文の束や雑多な伝票はもとより、公文書の写しまで存在するその文庫にはテンリーゼン・クラルヴァインの名が修正・削除されることなく残っており、彼が架空の人間などではなく、血の通った人間として、確かにその時代で息をしていたことを証明してくれるからである。

 歴史学者の中にはキャンタビレイ文庫にある各資料の信憑性について様々な見解を持つ者も多いが、常識的な研究家ならば少なくともこの時期の政治的背景を鑑み、意図的な文書の廃棄や改ざん・抹消が行われている事が明らかな「為政者の手が入った」王立図書館の公文書などより、当時のまま保存されている文書の方がより真実に寄り添っていると考えるはずである。

 

 そのキャンタビレイ文庫の中にあるテンリーゼン・クラルヴァインに関する記述によれば、彼は星歴四〇一一年に当時のシルフィードの首都エッダに生まれた。そして生後すぐにキャンタビレイの屋敷に移ると、それ以後はガルフ・キャンタビレイの下で軍事的・戦闘的な英才教育を受けたとある。


 ここで思い出していただきたいのは、キャンタビレイ家の食客として当時すでに同じ屋敷に住んでいたと考えられているアプリリアージェ・ユグセルの存在である。容易に想像がつくが、テンリーゼンとアプリリアージェはシルフィード軍の上官と部下という関係ではなく、ガルフの屋敷の中での食客同士、有り体に言えば「幼なじみ」という仲であったということである。

 アプリリアージェがガルフ・キャンタビレイの屋敷で暮らし始めたのは星歴四〇〇八年であろうと推測されることから、まだ満足に歩行すらできないテンリーゼンをアプリリアージェがお守り役として世話をしていた可能性は高い。その後、軍内でほぼ行動を同じくする両名の関係はまさに特別なものであったと考えるべきであろう。


 物語の中にあって何度も述べられている通り、テンリーゼンは後天的な障害を負っていたこともキャンタビレイ文庫の資料で事実として判明している。当時のキャンタビレイ家の主治医の一人が残した診察記録に依ると、テンリーゼンは五歳の頃に高熱で数日間寝込む大病を患っている。回復はしたものの、その時の後遺症により顔に無数の醜い痣が生じ、また声帯を痛めて声を失った「らしい」とある。テンリーゼン・クラルヴァインが声を失い精霊会話しかできない状態になったのはこれにより後天的なものだと言うことがわかるが、気になるのは「らしい」という不確かきわまりない表現である。それによりその主治医自身が直接テンリーゼンの診察・看病にあたったわけではないことが窺い知れるのだ。

 テンリーゼンの二つ名である「ドール」の一般的解釈としての由来は後述するが、物言わぬ人形であるドールという二つ名の由来の発端は、テンリーゼンのこの障害にあるのだということは記憶しておくべきであろう。

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