第三十七話 賢者の弟子 4/4

 ファルケンハインはこの話はエイル・エイミイという人物の謎の確信に近づくものになると感じたので、深追いは避けた。今、かしめられた蓋をこじ開けるような真似はお互いにとって何ら前向きな事態を生まないと感じたからだ。話すべき時が来るまでエイルは喋らないだろうし、こちらも聞くべき時ではない。ようやく開きはじめたこの不思議な、そして強力な力を持つ賢者の重い心の扉にさらに重しを置くような愚行はなんとしても避けねばならない。さらに言えば、その役目はアプリリアージェ・ユグセルに委ねたいと考えてもいたのである。


「そうやな。俺は多分七才か八才の頃やったと思う。ラウはもういい娘さんやったな。多分十八歳とか二十歳とかやなかったかな。ま、アルヴの歳は見た目ではわからへんからな」

「七才か八才って、あやふやだな。お前、自分の誕生日とかは知らないのか?」

 アトラックの問いに、エルデは肩を竦めて見せた。

「正確な年齢なんか俺らには何の意味もないんや。ただ、ラウは一緒に入った弟子の中でも飛び抜けて年が上やったのは確かやな。普通は本当に子供しか候補生にならへんのやけど。もっとも……」

 そこまで言うとエルデは一度言葉を切って、手に持った枝でたき火をつついて少し火の勢いを強めるように空気の通り道をつくってやった。

「弟子にとられた時点で、呪法をかけられてそれまでの記憶は消されるみたいやから、賢者っちゅうのは自分では本当の年とかわかっているヤツはおらへんやろうな」

「じゃあ、お前も記憶を?」

「いや、俺の呪法は解けてる。例外や」

「そうなのか」


 何があったのかはわからないが、話を聞けば聞くほど、エイル・エイミイという名前の人間は例外だらけのようだった。

 ルーナーとしても例外。

 賢者としても例外。

 さらに弟子としても例外……。


「まあ、でも」

 アトラックが短い沈黙を破った。

「俺も七才とか八才の時より前の記憶なんてほとんどありませんよ」

 その一言は本当に自分自身の事を言ったのか、彼一流のささやかな励ましなのかはエルデにはわからなかったが、その親切心に気持ちが少しだけ軽くなったのは確かだった。

 エルデはそれには何も答えずに手に持った枝をたき火にくべると、その場でゴロンと横になった。


「まあ、そう言うわけで、大賢者シグ・ザルカバードも真っ青の天才ルーナーである俺が張ったこの結界や。全部で百五人おるっちゅう賢者の中でもそうそう破れる奴なんかおらへんから、とりあえずここはしっかり休憩でもとってこの後の本番に備えようや。大変なんはスプリガンやのうて多分アロゲリクのニセ庵の方なんやろうから。それとも、ここまで話してもまだこの結界の力が信じられへんか?」

「いや」

 ファルケンハインは首を振った。

「もとより大したものだと思っている。破れるような結界なら、多分もうとっくに追いついてきたスプリガンに破られているはずだからな。俺は全面的に信じる」

「俺も夜明けまでぐっすり眠らせてもらうよ。ところで司令……リリアお嬢様が目を覚ますのはいつ頃になるんだ?」


『目を覚ましたことは言わない方がいいんだろ?』

【へえ、わかってきたみたいやな】

『こう見えてお前とのつきあいはけっこう長いからな』

【どう見えてんねん?】

『それより、眠らせてやれよ』


「大丈夫。回復は順調や。たぶん明け方には目を覚ますやろ」

「そうか。それもオレは信じよう」

 アトラックは大きなあくびをしてみせるとそう言って横になった。

「リリア姉さんが目を覚ます前に結界の効力が切れることはない、っちゅうのは確かや。せやから上司の目がない今のうちに思いっきり惰眠をむさぼったらええんちゃう?」

 エルデの軽口にアトラックは思わず苦笑を漏らした。

「いや。せっかくのお心遣い申し訳ないが、実は俺の直属の上司はお嬢様じゃなくてあっちの小柄なおぼっちゃまの方だから」

 エルデはアトラックにすぐさま返した。

「その直属の上司様は誰よりも先にぐっすり眠ってるけどな」

 たき火に照らされて闇の中に薄く浮かび上がっているアプリリアージェの簡易テントを背にして、その少年はうずくまっていた。


「ふふ。リーゼが眠ってると思ってるだろ?」

「違うのか?」

「リーゼが眠っているのを見た人間は居ないんじゃないか」

 ファルケンハインが低い声でポツリと呟いた。

「まさか……あの子は眠らないのか?」

 エイルがそう言うと、ファルケンハインはテンリーゼンを振り返った。三人がたき火を囲んでいる場所からテンリーゼンがうずくまっている所まで大した距離があるわけではない。せいぜい三メートルといったところだろう。もちろん彼らが普通の声でおこなっている会話については全部聞こえているはずの距離である。すなわちテンリーゼンは今までの会話は全て聞いていると思われた。

 そのテンリーゼンがいつものように膝を抱えてうずくまり、微動だにしないのを再確認すると、ファルケンハインは無表情で視線をエイルに移した。

「休憩時はいつも眠っているように見えるから、もちろん実際に眠っているのかもしれない。それは誰にもわからないが、動く必要があるときに動かなかった事はない。もっとも必要がないのに動いたところも見たことはないが」

「行動が超合理的なんだな」

「俺は副司令がベッドに横になっているのを見たことがないんだよ。いつもああやってうずくまっているだけで、起きているのか寝ているのかわからなくて、声をかけると、本当に必要な時は必ず顔を上げて反応するのさ」

「本当に必要ではない時は?」

「もちろん、無視される」

「はは」

「もう慣れっこさ」


 アトラックはニヤリと笑って肩を竦めて見せた。

 エイルは思った。

 テンリーゼンという兵士は察するにおそらくどこでもすぐさま浅い眠りに入れるような訓練を積んでいるのだろう。眠っているとしてもごく浅い為に外界の変化ですぐに目が覚めるようになっているに違いなかった。

 付け加えるならばテンリーゼンの場合は高位のフェアリーだ。自分の周りにエーテルの結界を張って、近づくものがあれば気付くようにもできるに違いなかった。

 だが、そうは言ってもエイルにはその物言わぬ小さな戦士、それも時には全くその存在すら忘れるほど静かな、まさにそこに安置されている人形のようなこの風のフェアリーがどうにも不気味で、少なくとも心を許す気にはならなかった。

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