第三十四話 ハイレーンとエクセラー 4/4

「おお」

 その様子を見ていたファルケンハインが驚きの声を上げた。

「劇的だな」

「言うたやろ、俺はハイレーンや」

 エルデはそう言うと、心なしか胸を反らした。

「ごもっとも」

 アトラックは芝居がかった大げさな礼をして見せたが、エルデは相手にせず精杖をアプリリアージェの腹の上方にかざした。

「よしよし、計算通りや」

 しばらくそうやっていたエルデはそうぽつりとつぶやいた。

「体調不良の原因が、わかるのか?」

 エルデはうなずいた。

「言っちゃ何やけど、俺くらいのハイレーンになればまずそれを診断してから治療にかかるからな」

「それで、司令の体調不良は何が原因なんだ?」

 アトラックの問いに、しかしエルデはしばらく口を開かず、眼下に横たわる無防備な戦士を見つめていた。


 その時、ファルケンハインにはアプリリアージェを見守るエルデのまなざしに深いいたわりのようなものが浮かんでいるように見えた。時々見せる背筋が凍るような禍々しい雰囲気とはまるで違う、強いて言えばそれは対極にあるもので、ずっと見ていると引き込まれるような気持ちになる、穏やかで優しい表情だった。

(こいつは、こんな顔もできるのか。賢者とは、かくも謎の多い存在、という事か)

 心の中でそう自問したファルケンハインだが、その答えを誰かに求めようとしているわけではなかった。もちろん自ら答えを出すつもりもなかった。ただ、目の前のものを受け入れるしかない、と言う思いの方が強かった。それだけエルデが超越したものに見えていたということであろう。


 ややあってエルデが顔を上げると、そこにはじっと自分の方を見つめる視線があった。視線の主は小さな人形……テンリーゼンだった。彼はいつものように、何も言わず、少し離れたところに佇んで、じっと一同の動きを見守っていたが、エルデと視線を合わせると、珍しく小さく首を横に振って意思表示を行った。

 エルデはそこに「何も教えるな」というテンリーゼンの言葉を見た気がした。もちろんテンリーゼンの本心は測りかねたが、もとよりエルデはアプリリアージェの体調不良に関してファルケンハイン達には何も言うつもりはなかった。この件については司令であるアプリリアージェが直接部下に告げるべき問題だと考えたからだ。エルデはテンリーゼンに向かって小さくうなずくと、顔を上げてファルケンハインに向き合った。

「患者の秘密は守るのがハイレーンやからな」

 ファルケンハインは納得がいかない回答に眉をひそめた。

「それは医者の台詞だろう?」

「今は医者みたいなもんやし。というかそもそもハイレーンは医者の上位にある存在やで」

「しかし」

 エルデは手を挙げて先にファルケンハインを制した。

「ファル兄さんの気持ちはわかる。でも言わへん」

「エイル……」

「ただ、これだけは言うとく」

 ファルケンハインは無言でうなずくとエルデの言葉を待った。

 エルデはテンリーゼンをチラリと見ると、大きく深呼吸をしてから言葉を続けた。

「命に別状あるとかそう言うんやないから安心し。姉さんはびっくりするくらいの健康体や。ダーク・アルヴとしては相当ムリしているくせにな」

 ファルケンハインは釈然としないという顔をしてアトラックを見た。アトラックは仕方ないですね、と言う風に首を振って見せた。


『何なんだよ?』

【リリア姉さん?】

『ああ』

【うーん】

『おい、オレには言ってくれよ』

【まあ、ええか。ただの生理痛や】

『え?』

【姉さんもああ見えて体は普通の女という枠から出られへんっちゅう事や】

『なるほど、生理痛か』

【あの様子やとリリア姉さんのはかなり重いみたいやな。辛いんやろなあ。こればっかりは男のおまえさん等にはわからへんやろうけどな】

『フン、お前だって』

【……】

『で、治るのか?』

【痛みはかなり散らしたから和らいでるはずや。材料があったら生理痛によう効く薬を調合出来るんやけどな】

『その痛みって、しばらく続くのか?』

【医学的な一般論を述べると、アルヴやダーク・アルヴはデュナン系に比べると生理自体は軽くて期間が短いのが特徴らしいけどな。ちなみにデュナン系の月経が毎月あるのに比べてアルヴ系は二ヶ月に一回やから、単純に計算してもデュナンの半分の頻度でしかも軽いっちゅうんやから楽なはずなんやけど、こればっかりは個人差が大きいし一般論はあてはまらへんな。でもまあ原因がわかれば対処のルーンがあるから、戦闘中とかはもう心配ない。例の体全体の痛みを抑えて細胞レベルで活力を向上させる劇薬みたいなルーン……いや、被術者の血液を触媒化するからほとんど呪法やな。まあ、そういうものとは根本的に違うて極めて安全なルーンで今後は対処できる】

『そうか。でも、それくらいならみんなに話してやってもいいんじゃないのか?』

【フン、これやから女心がわからんヤツは嫌やねん】

『なんだよ、まるでお前は女心を理解してるみたいじゃないか』

【悪いけどエイル、俺はきわめて繊細な存在なんや。鈍感でがさつきわまりないおまえさんと一緒にしてもろたら賢者としての威信に関わるわ】

『好きなだけ言ってろ』


「あ、それとファル兄さん」

 エルデは思い出したようにファルケンハインに声をかけた。

「次はそっちの番や」

「え?」

「かすり傷やろけど、怪我はあるよりない方がええやろ?」

 エルデにそう言われて、ファルケンハインは直ぐに合点して苦笑した。

「そうだな。頼む」

 そしてこう続けた。

「それから『兄さん』はいらん。ファルでいい」

「了解や、ファル」

 

『おい、ファルにかこつけて逃げたな?』

【俺がなんでお前から逃げる必要があんねん?】

『いや、そうじゃなくてだな』

 

 エイルとエルデのいつもの口げんかなど全く認知できない一行はとにかくアプリリアージェの体は大丈夫だと知り、釈然とはしないながらも場には安堵の空気が流れていた。

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