第三十四話 ハイレーンとエクセラー 1/4

「どうだ?」

「ここまでくれば大丈夫。それなりの範囲にルーンの結界を張れたし、これでしばらく息をつける」

 落ち着いた口調で事の首尾を告げたエイルに、ファルケンハインは無言でうなずくと、珍しくニヤリと笑って手を伸ばし、エイルの黒い髪をくしゃくしゃにした。

「何すんだよ」

「お前は本当に大したヤツだな」

「よせよ、今さら」

 ファルケンハインの行為は最大級のほめ言葉なのだとエイルにはわかった。だから嫌がったと言うよりは照れ隠しのような非難の言葉と言えた。

 

【ファル兄さんの笑顔って初めて見るな】

『この人、笑うと怖いんじゃないかと思ってたけど、そうでもないな』

【あほ】

 

 二人のそのやりとりを静かに見守っていたアプリリアージェは、落ち着いた声で一同に告げた。

「皆、ご苦労。いったん状況終了とする。全員、引き続き警戒態勢は維持しつつ待機の事。次の状況に備え、作戦指示があるまでは各自体力の回復に努めろ」

 そうやって戦闘行動時の口調を終えたダーク・アルヴの小さな女司令官は、大きなため息をついて白い面を外した。アプリリアージェの言葉はとりあえずの戦闘終了の合図になり、誰も何も語らぬもののル=キリア全体にホッとした雰囲気が流れた。

「交代で見張りを立てながら、しばらくここで休みましょう」

 白面を外し普段の口調に戻ったアプリリアージェがそう告げた次の瞬間だった。


「あ」

 そう小さく叫んだ少女のようなダーク・アルヴは、体をビクっと短く痙攣させたか思うと、白い面をぽろりと手から落とした。

 それに続いてその面の持ち主は、自らが落とした白面の上に、つまり地面に崩れるように倒れ込んだのだ。左耳に付けている金色のスフィアの耳飾りが、アプリリアージェの動きを示すようにゆっくりと地面に向かって弧を描こうとしていた。

「司令!」

 あわてて皆が駆け寄った。

 一番近くにいたファルケンハインが間に合った。軽々とアプリリアージェを抱きかかえてその顔を見た長身のアルヴの表情がたちまち険しくなった。アプリリアージェの顔面は蒼白で、既に意識がなかったのだ。

 一同が顔を見合わせた時、耳元で誰かがささやくような声がした。それは小さいながらもはっきりとした声で、こう告げていた。

『ただ今より……小隊の指揮は……私こと……テンリーゼン・クラルヴァイン海軍少将が……執る』

 一同はハッとして少し離れた場所に佇む小柄なアルヴィンの少年の方を見た。

『次の指示があるまで……現状維持。現場での……些事については……各自の判断に……任せる』

「了解」

 そのままの姿勢でテンリーゼンに敬礼して異口同音に返事をしたファルケンハインとアトラックは顔を見合わせるとお互いにうなずきあった。

 その精霊会話はエイルの耳にも届いていた。

 その場にいる全員に向けて発せられたもののようだ。

 

「今後の指揮はクラルヴァイン少将が執ることになった」

 ファルケンハインはエイルに向かってそう言った。

「オレにも聞こえた」

 エイルはうなずく。

「そうか。なら話は早いな。それよりどういう事だ? ウーモスでかけた回復系のルーンと何か関係があるのか?」

 ファルケンハインはアプリリアージェをのぞき込もうとしたエイルに心配そうな声で尋ねた。


【代わってくれ】

『うん』


 エイルの雰囲気が変わった事に、ファルケンハインは気づいた。おや? と思った時にはエイルではなくエルデがすでに口を開いていた。

「あれは反動があるって言うたやろ?」

「反動って……一体どうなったんだ?」

 アトラックが真顔でエイルに詰め寄る。

「ただ失神しているだけで、命に別状はあらへんから大げさな心配はいらん」

「強い薬によくある副作用のようなものなのか?」

 これはファルケンハインだ。

「まあ、簡単に言うたらそうやな。けどあれかて一回だけやったらほとんど影響はないんや。今回みたいに続けてかけたり重ねがけしたりするとこういうツケが回ってくる」

「かける前に説明をくれた方が良かったな」

 ファルケンハインはそう言うとエルデをジロリと睨んだ。

 エルデはしかし、ファルケンハインを睨み返した。

「同じ事や。リリア姉さんはそれでもかけろ、言うたやろな。そんな事お二人さんやったらつきあい長いんやから、わかっているやろ?」

 そう言われるとファルケンハインは言葉に窮した。痛いところを突かれたからだ。全くもってその通りとしかいいようがない。

 ファルケンハインはアトラックの方を見たが、アトラックも「確かに……」と言った風に眉をひそめてみせただけだった。

「それよりも、お二人さん。リリア姉さんがあの時敢えて重ねがけを要求したっちゅう事がどういう事かわかってるんやろな?」

 エルデの問いに再びファルケンハインとアトラックは顔を見合わせた。またもやアトラックは眉をひそめるだけだった。ファルケンハインは心の中で苦笑すると、エルデに顔を向けた。

「体調が悪かったことを言っているのか?」

 エルデはうなずいた。

「しかも、相当に、や」


 エルデはそういうやりとりをしながらも、ファルケンハインに抱きかかえられてぐったりした状態のアプリリアージェの脈を診たり額に手を当てたり、頬の熱を手の甲で確認したりと簡単な触診を手際よく行っていた。

「重ねて言うとくけど、あの時のリリア姉さんの状態は、ちょっとやそっとの具合の悪さやなかったと思うで。俺かて普通やったらこんな危険な呪法を重ねがけとかしてへん。俺の見たところ、気分が悪いというよりも必死で何かの痛みを堪えてる風やったな。この件についてはこっちが聞きたいんやけど、姉さんには何か持病とか疾患でもあるんか?」

 ファルケンハインは目を伏せると首を振った。

「恥ずかしい話だが、今までそんなことは一切気づかなかった。普段の司令は周りがどういう状況でもいつも穏やかに笑っているだけだからな」


 エルデはファルケンハインからアトラックの方に視線を移した。だが、アトラックは肩をすくめると、バツが悪そうに首を振った。

 エルデはファルケンハインと同じ様に心の中で苦笑すると、今度は少し遠くで佇んでいる小さな影をみやった。だが、すぐにそれが無駄な行為だったと思いついて首を横に振ると、小さくため息をついた。

「司令の忍耐強さにル=キリアの他の面々はどっぷり甘えてて、要(かなめ)たるリリア姉さんの事を気遣う奴は誰一人おらへんかったって言うことか」

「返す言葉がない」

 ファルケンハインはそう言うと目を伏せた。


 ファルケンハインは唇を噛んで、過去のことを反芻していた。

 確かにエルデの言うとおりかもしれなかった。アプリリアージェが人間なのだということをともすれば忘れているのかもしれないとさえ思った。

 考えてみれば、アプリリアージェはアルヴィンと並んでファランドールの全人種中もっとも体力の弱いダーク・アルヴなのだ。しかし、こうやって第三者から指摘されなければわからないほど、アプリリアージェから変化を読み取るのは困難な事であった。その変化を、ファルケンハインの目の前にいる黒い瞳の少年は短期間のつきあいであるにもかかわらず、一目で見抜いてしまった事実は重い。

 それこそが自分たちとエイル・エイミイとの間にある決定的な違いの一つだと言うことをファルケンハインとアトラックはこの時思い知った。

 

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