第三十三話 グラニィ・ゲイツ 4/4
「やっぱり」
林と林の切れ目のような地帯に出た。すぐ近くに街道が見える。そこには雲間からのぞくかすかな星明かりの下で背中合わせに短剣を構えるアプリリアージェとテンリーゼンがいた。
「司令っ!」
アトラックはそう叫ぶと二人の足下に転がるように飛び込んだ。
「スリーズ特佐。無事だったか」
いつもの落ち着いたアプリリアージェの声を聞いてアトルはホッとした。
「遅くなりました。お怪我は?」
「二人とも無事だ。お前を待っていた。壁を頼むぞ。この体勢のまま林に向かう」
「林に、ですか? 視界があるここの方がいいのではないですか?」
「向こうから見えるところに動かず居るということは、ルーナーの的になるということだ。そうなると全滅の可能性が高い。林の中をいったん戻りつつレイン中佐達と合流しよう」
「なるほど、我々ではルーンを防げませんしね」
「時間が惜しい。出来るだけ直線的に戻るぞ。お前は壁に集中しろ。攻撃はこちらで受け持つ」
「簡単に言ってくれますね」
「出来ないのか?」
「誰に聞いてるんですか? 俺はアトラック・スリーズですよ?」
「空元気とはいえ、その言やよし。我らの命はスリーズ特佐に預けたぞ」
「委細了解、預かりましょう」
三人はうなずき合うとアトラックが出てきた林の方向に固まって走り出した。その一行に向かって無数の矢が放たれた。だが、三人とも避ける気配はない。
矢は……先頭を走るアプリリアージェに突き刺さったかのように見えた。だが、それは違った。矢はなんと空中で止まっていたのだ。アプリリアージェの胸先数十センチのところで止まって……いや、止まっているのではない。少しずつ動いてはいるが、止まっているかのように速度を失っていた。アプリリアージェは空中で突然速度を失った矢を短剣で払い、そのまま何事もなく林の中に飛び込んでいった。
その時、少し離れた前方に明るい光が見えた。
それはエルデが放った照明ルーンだった。
「なるほど」
アプリリアージェは少し速度を落としてその光の様子を観察するとそうつぶやき、後ろの二人に声をかけた。
「こちらの手間が省けた。我々もあの光を利用するぞ」
「了解。今のはエイルのルーンでしょうかね?」
「この状況で敵が明かりを灯すとは考えられん。それよりも、エイル君とこうして共闘しているというのはどうにも不思議な気分だ」
アプリリアージェはアトラックにそう言ったあと、クスっと笑ったようだった。おそらく面の下の微笑はいつもより目を細めた笑顔に変わっているに違いないと彼は確信していた。
またアプリリアージェの言ったように、一時はどうやって倒したものかと真剣に考えてた相手であるエイルと共闘している現状に妙な感覚を味わってはいたが、それについてはもう運命のようなものなのではないかと感じていた。
「それより壁は大丈夫か? クラルヴァイン中将の結界はこういう状況向きではないから、我々の頼りの綱はレイン特佐だ」
「大丈夫ですよ。死ぬまでは持たせてみせます」
「それはずいぶんと心強い限りだな」
直前で止まる矢をアプリリアージェとテンリーゼンが払いつつ、三人は林の中を戻り始めた。ファルケンハインとエイルに合流するために。
いったんばらばらにされたのは不覚だったが、まとまる事ができれば何とかなるはずだった。
問題は時間だ。
「急げ」
アプリリアージェは落ち着いた声でそう言ったものの、実のところかなり焦っていた。
(そろそろ半時だな)
行動時間制限。
『効果は半時間だ』
アプリリアージェはエルデにそう釘を刺されていた。だからもうあまり時間がない。いったんスプリガンを振り切って、アロゲリクの庵に少しでも近づいた上でエイルに結界を張ってもらわなければ作戦が失敗する。
防御の為だけなら中途で結界も張れるだろうが、そうなると予想されるのはスプリガンの増援部隊に囲まれてしまい動きがとれなる事だ。そんな状況に陥ってしまっては当初の計画が果たせないばかりか、いたずらに時間を無駄にしたあげく、エルネスティーネ達との合流すら困難な状況になってしまうという最悪の状態になりかねない。
だから、ここは時間勝負で何としてでも相手を振り切る必要があった。
その為の頼みの綱がエイル、いやエルデのルーンなのだ。アプリリアージェが言ったこの作戦の「要」とはまさにそういう事だった。
それだけに、スプリガンがル=キリアを初手で散り散りにしたのは見事と言ってよかった。
そもそもル=キリアは強襲部隊であり、今回のように組織だって狙われ追われる立場には慣れていない。狩人がいきなり獲物になったようなものである。
風のフェアリーばかりで構成されているのも攻撃時の機動性を極限に高めるためであり、防衛作戦に従事することなど想定されていない編成なのだ。ましてや持久戦など完全に専門外の仕事だといえる。大きな作戦の場合はル=キリアが強襲で敵陣を切り崩し、あとは補給や退路確保と言った通常作戦に秀でた正規の部隊に引き継ぐと言った戦術をとる。もっとも独立部隊であるル=キリアが軍の部隊との連携をするなど滅多にないことではあったが。
そんなル=キリアの中にあってアトラックの持つ能力は彼らの弱点を補うものと言えた。彼は自分の周りに「空気の壁」を作れるのだ。それは密度のある薄い空気の層を何枚も何枚も貼り合わせたような構造を作り上げる能力で、その壁に絡みつかれるようにして矢が止まったように見えた訳である。勿論その壁にぶつかる「物」の質量や速度により効果は変化する。特に質量の違いが大きいようで矢のように速度はそれなりだが質量が極端に軽い場合などには効果が高いようだった。
壁はまた一方向だけでなく全方向、すなわち平面ではなく曲面として張り巡らせることが出来るようで、彼らを狙って放たれた後方からの矢にも同じ効果を発揮していた。特に後方からの矢は速度が落ちた時点アトラックとはどんどん距離が離れ、結果として地面にそのまま落下するため、走り続けている彼らにしてみれば払う必要すらなかった。
おそらくアトラックの壁の弱点は壁を張る事に集中力の多くを取られてしまうことのようだ。先ほど林を抜ける際に前方からの第一射を受けてしまったのは注意を後方に集中させていたため前方には壁を作れていなかったためであろう。第二射が彼にあたらなかったのはすぐに対処した為だった。
アトラックは壁の生成に集中しながらも、前を行くアプリリアージェをつぶさに観察していた。先刻から違和感を覚えていたが、走る速度が遅いのだ。いくら暗いとはいえデュナンのアトラックが余裕で走れる程度の速度しか出ていないのである。急いでいるという割には言葉ほどの速度になっていない。
そして、さらにあることに気づいた。
「司令、言いにくいのですが」
「ならば何も言うな」
声をかけたアトラックにアプリリアージェは即座に反応した。
「この程度ならなんとか走れる。心配無用だ」
そう。微妙ではあるが、足の歩みが左右で違う。おそらく、矢傷を負っているのだろう。
「クラルヴァイン少将ならともかく、私一人では全ての矢を避けきれる術はない。その結果がこれだ。それ以上でも以下でもない。スリーズ特佐は壁に専念していればいい」
「しかし……」
「集中しろ。死ぬまでは保たせてくれるのだろう?」
前方にまた光があがった。
これで五回目だ。かなり近くなっている。
「そろそろ合流できる。合流後はすぐに反転だ。遅れるな」
「保つんですよね?」
「くどい」
「了解。失礼しました。俺もまだまだ信心が足りませんね」
「言っておくが」
「はい?」
「シルフィードでは宗教活動は憲法によってきつく禁じられている」
「知ってますが、そもそもここはサラマンダですからね」
「ふふ。軽口の続きは一杯やりながらにしよう」
「合点です」
アトラックがそう答えた時、ひときわ大きな光が今度は頭上に上がった。
思わず見上げたアトラックの目には、中天に上る月が見えた。
「司令!」
同時にすぐに前方からひどく懐かしい声がした。ファルケンハインだった。
ついさっきまで一緒にいたはずなのだが、これほど仲間の声が心に染みるのは不思議だった。自覚しているよりは感覚の方が危機的な状況だと判断していたのだろう。
「エイル君は?」
アプリリアージェは声のする方角へ向かいながら、そう声をかけた。
「勿論無事です」
「そうか。こっちもみんな無事だ。走れるな?」
「大丈夫です」
「では固まって進むぞ。アトルの壁に入れ」
「了解」
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