第三十三話 グラニィ・ゲイツ 2/4

 グラニィは独り言のようにそう言うと、口調を変えた。

「どちらにしろ今回の事は隊としての大失策だ。状況を収束させる為に前線には私が出向く。お前はウーモスに残って補給と連絡の指揮にあたれ」

「あ、しかし」

「私はこれからすぐに発つ。エウテルペ総司令にはお前の口から状況の報告をしろ。言っておくがいらぬ脚色や見解は無用だ。お前も総司令のお人柄は知っているだろう?」

「は、はい。『お前の言う真実とやらはいらん。欲しいのは事実だけだ』ですな」

 グラニィは頷いた。

「今回の事は包み隠さず報告して差し上げろ。前線の状況は逐次伝令を出してこれに充てる。その伝令は総司令宛でなく、お前宛に送る。頼んだぞ」


 ノガルは唇を噛んだ。

 自分の思いつきは大失敗だったという事を改めて強く認識した為だが、事実と言われてもスプリガンの総司令に一体どう報告していいか思い浮かばず途方に暮れてもいた。

 

「ノガル」

 グラニィは立ち去ろうと扉へ一歩踏み出したところで足を止めた。そしてノガルに背中を向けたままでそう声をかけた。姓でなく、名を呼んで。

「は」

 グラニィは目を伏せて小さく溜め息をつくと、それまでと比べてやや穏やかな口調でつぶやいた。

「小さめでも、お前には手土産代わりに手柄を何か一つ持たせた上で陸軍本部へ戻って欲しかったのだがな。これから先、機会はいくらでもあった。焦る事はなかったのだぞ」

 それだけ言うとノガルの言葉を待たず、副官を制して自ら扉を勢いよく開いて大股で部屋を後にした。

 ノガルは隊長が立ち去った扉をしばらく呆然と見つめていたが、はっと我に返ると、拳を握りしめて卓を強く叩いた。

「くそっ、一番重要な情報をわざと伝えなかったな! あの調達屋めっ!」

 

 

 

「さすがに手強い」

 ファルケンハインはそう呟いた。それは横にいるエイルに向かって喋った言葉なのか、独り言なのかはわからない。

 わかっているのはル=キリア小隊が苦戦しているという事実だった。


 ウーモスを出た五人は、罠が仕掛けられている事を知りつつも、あえて街道を普通に駆け抜ける経路を選んでいた。

 彼ら、いやエルデの示した補足計画では、どうしてもスプリガンと戦う必要があったのだ。しかも相手を殲滅してはならない。アロゲリクの渓にある庵までスプリガンには追いかけて貰わなければならなかった。

 精鋭揃いで場数を踏んでいるル=キリアとは言え、相手も名にし負うスプリガンである。その精鋭部隊同士の戦いはスプリガンがル=キリアを数で圧倒していた。

 訓練された戦士はさすがに、山賊よろしく満足な武器も持たない民間人をいたぶるだけのごろつき兵とは訳が違う。

 

「こっちは気にするな。自分の身だけ考えてくれ」

 エイルはノルンを両手剣のように構えてファルケンハインにそう言うと、その場を動いた。

「悪いが、とっくに自分のことだけで精一杯だ」

 ファルケンハインは無表情のままで呟くようにそう答えた。

 そうこうしている間にも二人に向かって矢が散発的に飛んでくる。

 未だアイスもデヴァイスも顔を見せておらず、月明かりのない街道沿いは暗闇に近かった。

 ファルケンハインはお互い街道を外れて林の中で戦っている形だから視界条件は同じはずだと考えていたが、それにしてはスプリガン側から放たれる矢の狙いは、かなり正確なものだった。矢羽根が湿気を纏った夜のやや重い空気を切る音を頼りに、直接体に当たりそうなもを選んで避けたり払ったりして凌いではいたが、それでも全てをさばききれず、既にいくつかの矢が服を浅くかすっていた。一方こちらからの攻撃はというと、視界がまったくない為、矢の飛んでくる方向に向かって当てずっぽうに射るだけの状態だから、成果などないに等しかった。


「視覚を一時的に増幅する強化ルーンというやつか」

 ファルケンハインは今更ながら高位ルーナーとの連携が取れる特殊部隊の力を思い知っていた。

 それは作戦前にエイルから一度は提案されたものの、結局使用しなかった強化ルーンの事だった。断ったのはアプリリアージェだったが、その決断にはファルケンハインも同意していた。一部の感覚が強くなりすぎることによる感覚の狂いをアプリリアージェは懸念したのだ。

 風のフェアリーにとっては感覚の鋭敏さが行動の俊敏さと密接に関わっている。普段の視界との差が大きすぎると、特に五感を極限まで活用するタイプのフェアリーにとっては各感覚の同期のようなものに齟齬が生じる。その際に必ず覚える違和感を調整する為に一瞬の隙が生まれかねない。

 だが、どうやら敵はその強化ルーンを活用しているようだった。


 狙い打ってくる矢を避けているうちに、ファルケンハインはどうやら敵に行動を支配されているらしい事に気付いた。

 近くにいるエイルは『物理攻撃は当たらないからオレの事は心配するな』と豪語していたが、その言葉通り、今のところ襲い来る矢をものともしていないように思える。

 いや、ファルケンハインが感じている感覚では、身に降りかかりそうな矢を、エルデは手にしたあの不思議な精杖でことごとく払っているようだった。

 物理的な攻撃に対し、エイルはルーンの力を使うのではなく、どうやら物理的に防御しているようなのだ。

 その後の様子で、自分の予想を確信したファルケンハインは内心で苦笑した。

(本当に、エイルの事を心配する必要はなさそうだな)

 ルーナーであるエイルを守るべき立場であったファルケンハインは、今はその役目を全うする機会ではないと判断し、改めて敵にだけ意識を集中する事を決心すると、エイルに向けていた集中力を一本化し、神経を聴覚に集中させた。

 ヒュンっと言う音を立てて向かってくる矢羽根が、左上方からこめかみを狙った軌道上にある事を判断したファルケンハインは、回避行動をとりながら風切音が経験則的にこの大気の状態においてあまりに小さすぎると感じていた。

 それはつまり矢を的に誘導する為の風の経路を通っているという事に他ならない。すなわち、その能力を持つ風のフェアリーが放った矢だと推測される。それは動く的を追尾できる矢で、通常の回避行動では避けることは不可能に近い。当たらない為には払うしかないのである。

 ファルケンハインは左手の甲に付けている鉄製の手甲で矢の弾道を予測してそれを見事に払うと、間を置かずにその矢が放たれた方角へ向け、お返しとばかり目にもとまらぬ早業で、相次いで矢を二射、放った。

 しかし、手応えは無かった。

 敵も手練れである。矢を射た次の瞬間にはその場所を移動しているに違いなかった。 少なくともル=キリアであればそうする。

 ファルケンハインは心の中で舌打ちをすると、矢の飛んできた方角から進行方向に少しずれた位置から陰になるような木を選んで、その根元に身を隠した。間一髪、その頬のすぐ横を矢がかすめる。


 果たして現状の窮地を打開する策はあるのだろうのか。

 ファルケンハインは少し焦りはじめていた。

 敵が通り一遍の相手でないとファルケンハインは改めて感じていた。数的にも、視界確保という点においても有利なこの状態にあっても決して近接攻撃をしかけてこない事が何よりの証明だった。

 遠隔では数と視界の問題で圧倒的にル=キリア側が不利だが、近接の戦いになれば話は別だ。そして相手はそれがよく分かっていて、当然ながらその手には乗ってこなかった。

 

 しばらくすると状況はさらに悪化した。

 風が出てきたのだ。

 葉擦れの音が矢の風切り音を消してしまう。

 もちろんその風が自然現象で、運が悪いと考えることも出来るだろうが、スプリガンにいる風のフェアリーかルーナーの力を使った戦術だと考える方が理にかなっていた。月を隠す厚い雲の存在も、バード級の高位ルーナーの力によるものなのかもしれない。

 楽観的な現状認識をする事に慣れていないファルケンハインにすれば、戦力差は予想以上に大きいと判断せざるを得なかった。

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