第三十三話 グラニィ・ゲイツ 1/4
しばらくは何事もなく進んでいた。
エイルは緊張しながら辺りに気を配っていたが、しばらくするとさすがにその緊張が緩んだ。
『このまま上手く抜けられそうだな』
【まあ、それはムリやろ】
『え?』
【ある意味向こうには我々の行き先がバレとるしな。っちゅうか、奴らとは一戦交えへんとこっちの計画が基本的に台無しやろ】
『そうか』
【こっちの緊張が緩む機を狙ってるんやろ。襲う方としたら、まあ常套手段やな】
『わかった。オレも油断しないようにしておく』
【頼むわ。お前さん、哨戒力だけは尋常やないからな】
『まあ、俺の場合は殺気だけしか感知できないんだけどな』
【上等や】
振り落とされないようにファルケンハインの背中にしがみつきながら、エイルは空を見上げた。月はいつの間にか雲に隠れていた。
「エクセラー部隊の第一次精霊攻撃は全て突破されました」
ル=キリアが動き出したという報から少しして届いた第二報にノガル・ザワデスは苦虫を噛み潰したような顔をさらに歪ませて怒鳴った。
彼の軍服の左胸には、オークの葉をあしらった階級章がある。それはドライアド王国の陸軍の階級章で、オークの葉が一枚のザワデスは尉官であることがわかる。葉の上に並ぶ菱形の徴が三つあることから、大尉である。そしてそのオークの葉は金ではなく赤い糸で縫い取られている。すなわち通常の陸軍部隊ではなく、ノガルの所属が特殊部隊であるスプリガンだとわかる。
「我が隊のルーナー達は揃いも揃って何を遊んでいるのだっ」
伝令は畏(かしこ)まる事しかできずにいた。
「相手のルーナーはたった一人だろうが? これではわざわざ一旦包囲を解除して罠を貼った意味がないではないか」
ノガル・ザワデス大尉は何も言わずに頭を垂れる伝令に対し、床を踏みならして怒りをぶつけて見せたが、それが問題の解決にならないことは本人とてわかってはいた。
数の差では圧倒している自軍、しかも他の部隊とは違い、高位のルーナーが配されているスプリガンの部隊がこうやすやすと敵の脱出を許すことは想定の外であったのだ。もっとも敵も戦闘力では定評のあるあのル=キリアである。ノガルもその噂はよく知っているだけに、さすがに容易に確保出来るとまでは思ってはいない。それでも最初のあの攻撃を受けて五人全員が無傷、つまり誰一人として離脱していないという事は予想外だった。
この時期にサラマンダでル=キリアを捉えたとあれば、それは外交上ドライアド王国を極めて優位に置くことが出来る切り札になるはずだ。しかし作戦に失敗は許されない。本来の司令官の不在をいいことに勝手に部隊を使っているのだ。可及的速やかな作戦実行が必要であったという既成事実を作る為にも、こうなったらなんとしてでも最低一人は確保しなければならない。
「大尉、ここはやはり未確認の随行ルーナーがかなりの使い手なのだと見るべきでしょう。報告からすると、ヤツは強化系に特化しているコンサーラだと思われます。そうなると結構やっかいな相手です」
ノガルの少し後ろに控えて伝令の報告を聞いていたガネード・ケニック曹長がそう言って伝令に助け船を出した。
「ええい、忌々しい。エクセラーだろうがコンサーラだろうが、ルーナーはたった一人なんだぞ?」
「おっしゃるとおりではありますが」
「もういい。それで、追い込みの陣はどうなっている?」
伝令はようやく次の報告をする許可が得られた事でほっとして顔を上げた。
「はっ。エクセラーの別小隊が予定通り集中攻撃の為に行く手の精霊陣にて待機中。別途配備済みの強化ルーンがかかった小隊五つが奴らを波状攻撃しつつ、精霊陣へ追い込む手はずになっております」
「そのルーナーもやっかいだが、そもそも相手の主体は風のフェアリーだ。逃げ足だけは速い。死んでも取り逃すな、と皆に伝えろ」
「はっ」
伝令は短く答えると長居は無用とばかりにそそくさとその場を辞した。
「たった五人に何をしているんだっ」
走り去った伝令の代わりにノガルは矛先をガネードに向けた。
だが、返ってきた返事はガネードの声ではなかった。
「まったくだな」
ノガルはその声に聞き覚えがあった。それはガネードのものでも、もちろん伝令のものでもない。
今し方、伝令が走り去った出口の方をゆっくりと振り返るノガルの目に、今一番会いたくない人物の姿が映った。
「騒がしいぞ、ザワデス大尉」
そこには険しい顔でノガルを見つめる壮年のデュナンがいた。
軽い茶色の髪をいつものように綺麗に七三に分け、すでに夜だと言うのに無精髭の片鱗すら見られぬほど綺麗にそり上げられた顔の持ち主がそこにいた。
着用している軍装も、身だしなみのお手本のように隙がない。それはドライアドの軍人というよりはむしろシルフィードの将校のような佇まいであった。
階級章は赤い刺繍で、意匠は二枚のオークの葉に実が二つ。彼が中佐であることを表していた。
下士官を二人従え、入り口に仁王立ちしているその高級将校は、灰褐色の瞳で鋭くノガルをにらみ据えていた。
その人物の登場は、すなわちウーモスで合流する事になっていた本隊の到着を意味していた。
ノガルは本来の司令官に恭しく礼をした。
「これはゲイツ中佐……お早いお着きですな」
「わざとらしい挨拶などはいい」
顔を引きつらせながらも愛想笑いを浮かべようとして苦労しているノガルをそう一蹴すると、グラニィ・ゲイツ中佐は、大尉の脇で控えているガネードに声をかけた。
「大まかな事情は既に耳にしたが、お前の口から最新の状況を説明しろ、ケニック曹長」
ガネードはチラリとノガルの顔色をうかがうように目をやったが、予定よりも一日早い上官の登場で軽く混乱している様子の上司を見限ると、すぐに顔を司令官の方へ向けて背筋を伸ばして敬礼し、ル=キリアとの遭遇の一件から現在の状況までをかいつまんで説明した。
既に別の部下から概況を聞き及んでいたグラニィは、ケニック曹長の報告を受けると即座に横に待機していた自身の副官の一人に命じた。
「全部隊に告げろ。我らスプリガン第二中隊は、これよりアロゲリクの渓(たに)へ進軍。目的は先行部隊の援護。陣形その他については追って知らせる。半時で出発だ。準備を急がせろ」
「はっ」
副官が急ぎ足で部屋を出ると、ようやく言い訳を思いついたのか、ノガルがグラニィに向かって一歩踏み出して最敬礼をした。
「なんだ、ザワデス大尉」
「中佐殿。これは我が国の対シルフィード外交を有利に進める為の……」
「ザワデス大尉」
「はっ」
「ル=キリアなど、もうこの世におらんのだよ」
「は?」
「ここへ向かう際に入った本国からの伝信だ。シルフィードではル=キリア全滅の報を流し、すでに非公開ではあるが、国葬が行われたそうだ」
「なんですと? しかし、現に我々はっ」
「たとえ本物だとしてもだ。公式に死んだ者を捉えて、お前はそれが外交上有利な道具になると思うのか?」
ノガルは慌てた。
本国からの報、それは準公式発表とも言える。そしてそのル=キリア全滅の報はノガルの元にはまだ届いていなかったのだ。最新情報はノガルの行動とは入れ違いに入ってきたものだった。
「し、しかし、調達屋の情報では間違いなく本物だと……」
「くどい。本物は死んだ。公式にはそれで終わりだ。我々が追いかけているのはただの旅商人だ」
「そ、そんな」
「もう一度言う、少なくとも公式には我々が追いかけているのは『そっくりさん』だ。それ以上でも以下でもない。言っておくがたとえ生きて捕らえて自分達が本物だと白状しても、国家が正式に死んだと言っている以上、それすらもはや無意味なのだ」
ノガルは、それを聞いてがっくりと肩を落とした。
「とりあえずお前はここに残り、明日到着する総司令をお迎えしろ」
「総司令のお迎え、ですか?」
「ありのままを報告せねばなるまい。処分は軽くはないだろう」
「処分……」
「もっとも、私の処分の方が重いだろうがな」
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