第三十一話 キャンセラ 7/8

「どうでしょう? 悪い提案ではないと思いますが」

 エルデはアプリリアージェの申し出に小さくため息をついた。

「それって、元々の話のまんまやないか。お互いの利害が一致しているからしばらく一緒に行動しよか? っつう現状のままやろ? それが俺の利益になる?」

 エルデの強い語調に、しかしアプリリアージェは全く動じることなく、静かな口調のままで答えた。

「現状のままだと、エイル君は我々に対してどんどん不利な立場になっていくでしょう。呪法による次なる麻痺が起きたとき、あなたは旅を続けられないかもしれない」

「なっ!」

「さらに言えば!」

 エルデが思わず何かを言おうとしたが、アプリリアージェは珍しくそれを遮って言葉を続けた。

「足が動かなくなったら? 目が見えなくなったら? エイル君はそれでも今まで通り安全に旅を続けられますか? 追っ手もいるでしょう。困難だとエイル君も認めている庵の攻略がさらに難易度を増すわけです。そうしているうちにさらに麻痺が進めば?」

「そんなこと」

「しゃべれなくなったらさすがにエイル君でもルーン自体を使えなくなるんじゃありませんか? そうなればもはやルーナーでもありませんね」

「それは」

 アプリリアージェはエルデにしゃべる間を与えなかった。かぶせるように、そして早口ながらはっきりとした力強い声で畳みかけた。

「私は、いえ私達は全面的にそんなエイル君の支援をしようと言っています。我々は庵の攻略に役にたつはずです。エイル君が一人で一ヶ月かかるのなら、我々が力を合わせれば三週間、いえ、二週間にできるかもしれません。さらに、賢者ザルカバードと対面出来た暁には、エイル君の用事の方を優先しましょう。呪法の解除がなされるまで、我々は一切賢者ザルカバードには手出しをしません。いえ、そもそも《真赭の頤》に手出しをする事などはないと今は考えていますが……」

「……」

「私達の本当の目的は、賢者シグ・ザルカバード……《真赭の頤》そのものではありません。まだ特定されていないエレメンタルの探索です。《真赭の頤》は彼らに続く近道を示してくれる道標であろうと考えたからこそ、当初の目標になっているだけなのです。ザルカバードと対峙することが目的ではなく、会うことが目的なのです。信じてもらえないかもしれませんが、我々の旅の本当の目的はいち国家の私利私欲や保守ではなく、このファランドールという世界そのものの維持という意志が根底にあります。私たちが聞いているのは、その為には「合わせ月」の日に四人のエレメンタルが一同に集う必要があるということのみ。我々はただそれを補助する。それが目的です。我々はその目的に誇りを持っているからこそ、文字通り命を賭けているのですよ」

 アプリリアージェはそこで言葉を切った。

 エルデは大きくため息をつくと、はき出すように言った。

「またその伝説の話か」

「その伝説を真実と信じて行動している人間が、現にここにいるのです」


『エルデ』

【ああ、もう、やかましい】


「その言葉、どうやって信じろっていうんや? 俺の目が見えず、足も使えへん状態で師匠に会うたとたん、『これでアナタは用無しでーす。そんじゃねー』って言われて姉さんの剣でサックリ首を落とされへんっちゅう保証はないんやろ? そもそもファランドールの平和の維持なんて俺にとってはあんまり関係ない話や」

 アプリリアージェは首を振った。

「私はファランドールの平和などと言う言葉は一言も言っていません。平和などというものは世界がそこに存在していて、その世界で人間がちゃんと生きていてこそ初めて口に出来ることですからね」

「ファランドールそのものが崩壊するとでも? いったいシルフィード側はどこまで伝説に踏み込んでるんや?」

「私は専門家ではなく、作戦を実行するただの兵隊なのであまり詳しいことまで知らされてはいません。ただ、我々には既に味方として二人のエレメンタルが居るという事実があります」

 アプリリアージェはエルデの言葉を待たずに続けた。

「もっともそんなことを私が言っても始まりませんね。エイル君の事ですからそう言うと思っていました。そしてそれはもっともな質問だと私も思います。私がエイル君の立場でも同じ問いを投げかけたでしょう。そこで私は私の提案に対して担保を付ける事を提案します」

「担保?」

「ええ。かつて私は我が国のバードから聞いたことがあります。ある特定の言葉を唱えるか、もしくは一定の動作を行うと発動する禁じられた特殊なルーンがあると」

 このアプリリアージェの言葉にいち早く反応したのは、ティアナだった。

「まさか?」

 アプリリアージェはうなずいた。

「特定の地位、もしくは役職にある者だけが許される高位の特殊ルーン、「死の宣告」の存在です。特定の地位と言っても、そもそもほんの一握りの限られたルーナーのみが使えるという特殊なルーンのようですね。私達は要するに正教会の賢者のみが使えると聞いていますが。一度かかった相手はそのルーナーが特定の言葉を唱えると、たとえいくら距離が離れていてもルーナーからつけられた『精霊斑』と言われる徴がエーテルと反応してたちどころに死に至るというルーンです。賢者エイミイならばその手のルーンもご存じでしょう? それを全員に今ここでかけて下さい。本音を言えば私だけにして欲しいところですが……。それで足りないというのなら我らがシルフィードの兵士ならば皆喜んで作戦のために命を担保にするでしょう」

 エルデはさすがにアプリリアージェの言葉に目を見開いた。だが、すぐに苦虫を噛み潰したような※渋い表情をつくり、投げ捨てるように呟いた。

「フン。そんなルーンを俺が使えるって?」

 アプリリアージェはうなずいた。

「マーリン教の賢者は神に代わり咎人に死の宣告を告げる事ができる。そしてその咎人が罪を繰り返すとき、神の言葉で黄泉に誘う。いわゆる国際法の附章に多々ある賢者特権の処刑権に『猶予ある死の宣告』と書かれている事がありますが、そのルーンの一種の事ですよね? 賢者に関する知識としては半ば常識の範囲です。それともこれは間違った解釈でしょうか?」

 エルデは頭を掻いた。

「半分は正しい知識や。国際法に記述されている『猶予ある死の宣告』はルーンやのうて呪法の一種で、賢者であればその呪法が使えるのが前提やな。ただし、リリア姉さんが言うたとおりのルーンもある」

「私はルーンの方についてはさらに聞き知っています。そのルーンが発動するのは、ルーナーが特定の言葉を唱えた時はもちろん、ルーナー自身が死んだ時。すなわち、我々がエイル君の命を取る事は自殺行為そのものです。我々アルヴ族が自殺を忌み嫌い禁忌としているのはご存じの通り。そう言うわけでエイル君が死ねば我々ももろともですから、エイル君の命を最優先で守る必然性が生じます」

 アプリリアージェはここまで言うと、ちょうどエルデが座っている正面に来て立ち止まった。小柄なアプリリアージェはさらに片膝を付けて視線をエルデと同じにして、改めて問いかけた。

「この担保では足りませんか?」


『おい、エルデ! オレ達にとってはこれ以上ない申し出じゃないのか?』

【おまえさんはネスティを助けたい、とかしょーもないこと考えてるだけやろ?】

『か、関係ないだろ。どう考えてもオレ達だけで攻略するより数倍楽できるんだぞ』

【あー! もう、やかましいっちゅうねん!】


 エルデは頭を左右に何度か振ってイライラした状態を押さえるような仕草をして見せた。そしてため息を一つついて、ほとんど誰にも聞こえない程度の独り言を呟いた。


(まったく……甘すぎるわ)

「はい?」

 エルデの独り言を微かに聞いたアプリリアージェが問い返した。

 エルデはしかしそれには答えず、小さく深呼吸をして、こみ上げてきた感情……おそらくはエイルに対しての怒りの虫をおさめると、つまらなさそうにつぶやいた。

「わかった。そこまで言うなら、話に乗ろか。さっきはああ言うたけど正直、あの時に命を助けられた恩を全部返したとは思てへんし」

 エルデの言葉にアプリリアージェの顔が輝いた。

「では?」

「交渉成立や。でも、最初に担保をもらうで」

 アプリリアージェはうなずいた。


 アトラックはファルケンハインとティアナの表情を見比べた。ファルケンハインはいつものようにアトラックを無視して無表情を決め込んでいたが、そこにはさすがにとまどいが浮かんでいるように見えた。一方ティアナはファルケンハインとは正反対に感情を押さえようともしていなかった。唇を噛み、拳を思い切り握りしめて、エルデを睨んでいた。

「では、お願いします。何か準備するものはありますか?」

 アプリリアージェの問いにエルデは無言で首を左右に振った。

「行くで。まずはリリア姉さんからや」

 エルデの宣告ともとれることばに、アプリリアージェはゆっくりとうなずいた。その顔には一切の変化は見られなかった。ただ、いつものように穏やかに微笑んでいるだけである。

「ふん。ええ度胸や」

 エルデはアプリリアージェのその微動だにしない様子を見ると苦笑を浮かべた。だがそれも一瞬で、その目を閉じて次に開いた時にはあらゆる表情が消えていた。

 エルデはアプリリアージェの緑色の瞳を見据えると、右手を広げてアプリリアージェの方に突き出して、小さく呟いた。

「ノルン!」

 すると、何もなかったはずのエルデの手に、いつもの三色の木の枝で撚(よ)られた精杖が現れた。

 右手の中指にはめられている三色の指輪が、主人の呼びかけに応じて一瞬にして精杖に姿を変えたのだ。

 エルデが一同の前ではっきりと声を出してその名前を呼び、精杖を取り出してみせた……つまりは種明かしをしたのはそれが初めてだった。

 いつもは、気がつけばいつの間にかエルデが長い杖を持っている……そういう認識だったのだ。

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