第三十一話 キャンセラ 4/8

「話を元に戻しましょう。今後について対処の仕方を少し考えてみましたが、私達はやはりこの後ザルカバード文書に書かれていたアロゲリクの庵に向かう事にしましょう」

 その場にいた全員……いや、正確にはアプリリアージェとエイル、そしてテンリーゼン・クラルヴァインを覗く三人、ファルケンハインとアトラック、そしてティアナはお互いに顔を見合わせた。

「なんですって?」


【今後の事があるしな。だから、俺もまあ正解やと思う。掛け値なしにこのオバハン、司令官としては優秀やな】

『なぜアロゲリクなんだ?もう完全に罠だってわかっているだろ?』

【そやから行くんや】

『は?』

【まあ、そうは言っても現状ではオバハンにはまだ解決してへん問題が一つだけあるんやけど。まあ、それでもあいつらの目的の為には最善の方法やろな】

『罠にはまるのがか?』

【そのへんの説明はこれからオバハンがたっぷりしてくれる思うからよう聞いとき】


「罠なのは明白です!」

 ティアナが抗議した。

 アプリリアージェは小さく左手を挙げた。

 そういう抗議がティアナから即座にあがることは彼女の台本の中に書かれていたことのようだった。アプリリアージェが手を挙げるタイミングはまさにティアナの台詞を待っていたかのようであった。

 上官がこういう仕草をした時はすなわち私語を慎めという意味である。端的に言えば「黙れ」という絶対命令だ。ティアナはしぶしぶ口を閉ざさざるを得なかった。

 冷静に考えてみれば何しろ相手は生半可な上官ではない。提督、それも中将というシルフィードでも数えるほどしかいない地位にある人間である。本来ならば尉官であるティアナが直接言葉を交わすことすら困難な程、階級に差があるのだ。


「残念ですが、このウーモスで得られた複数の情報を総合的に判断すると「ザルカバード文書」対策用に編成された私達以外のル=キリアの各小隊は全滅もしくはそれに近い状態のようです。少なくとも我々はそれを前提にして行動すべき状況にあると判断します。詳細は不明ですがザルカバード文書に示されている庵は本物偽物にかかわらずル=キリアの兵士が四、五人かかりでも攻略不能な目標であることがこれで予想できます。つまりそこにはル=キリアの兵士でさえ太刀打ちできない程の罠が存在している可能性が高いと言いかえてもいいでしょう」

 一同はうなずいた。


 本人のせいではないとはいえ、結果として逃げ場を失った格好になった不幸な調達屋、ベックもすでに同じ宿に合流していた。アプリリアージェは例の微笑という拷問道具を使い、ベックが持っている情報をあらかた手にしていた。

 そのベックはしかし、自らの立場の不幸を憂うよりも激怒する方を選んでいた。

 情報屋とはいわば「不可侵地帯」である。もちろん法律で定められているわけではないが、対立状態にあるどちらの陣営にも物資や情報を調達するかわり、どちらからも圧力を受けない事が彼らの活躍できる前提であり、それは先の千日戦争時でも守られていた不文律なのだ。

 だが、今回のスプリガンのとった行動は調達屋の命の安全など全く意に介さない軍事行動と言えた。ベックにとって自らの仕事は唯一従うべき神と同義である。その存在前提を踏みにじられたのだからスプリガンに対する彼の怒りは、単純に逆、つまり敵対関係にあるル=キリアへの肩入れとなって表れたと言っていい。

 あの時、エイル……いやエルデの機転でルーンを駆使した緊急離脱という戦術をとらなかったならば、戦いに巻き込まれて最悪の事態になった可能性は高かった。すなわち命の対価としてアプリリアージェが知りたがったいくつかの情報をベックが提供する事については何の障害も存在しなかったと言える。


 ベック、いや、彼ら調達屋が持っていたスプリガンの情報はアプリリアージェ達が予想していたよりも詳細で参考になるものだった。そして自分たちの戦力も含めた手元にある全ての情報を下敷きにしてアプリリアージェが導き出したこの作戦に一同は従わざるを得なかった。

 とはいえアプリリアージェの選択は彼らがもっとも予想していなかった選択肢だった。アプリリアージェ自身もそれをよくわかっていたので、彼らが納得のいく筋道を示す事にしたのである。さらに言えば今回は彼女の純粋な部下だけではない人間を含めた作戦となるため、全体の意思統一を図る事は作戦の成功率を上げる為にも最優先事項の一つであるとも言えた。


 そしてアプリリアージェは、作戦選択に至る一つ一つの事象を述べ、それに相づちを打たせることで一同の意志をまとめることに既に成功しつつあった。

 本来、アプリリアージェという司令官の選択に大きな間違いが無いことをル=キリアの面々は過去の実績で知っていた。当初は突拍子もない作戦だと思っても、いったん冷静になりさえすれば彼らの小さな司令官の判断は最良の選択なのだという確信に変わる。

 それはもちろん、アプリリアージェが相手の戦略を戦術で凌駕せざるを得ない立場に居続けていたからこそ掴んだものに違いない。アプリリアージェは本来、戦略を練るべき立場にいる人材なのだ。だが現実は彼女を戦略家としてではなく戦術家として際だたせることになっていた。

 同じシルフィードの軍人でありながら彼女とは別の軍隊組織に所属し、ル=キリアの一員でもないティアナは、ファルケンハインやアトラックとは違い、アプリリアージェの優秀な指揮官ぶりについて身をもって知っていたわけではなかった。実際に部下として作戦行動についたのはこの旅が初めてである。従って思いもしなかった作戦、それもどう考えても最悪に思えるアプリリアージェの選択に対して、納得が行くはずもなかった。

 アプリリアージェはそんなティアナの存在を意識しながら、いつもよりかなり丁寧な言い回しで作戦にたどり着いた道筋を示した。


 ファルンガ州のアアク歴史資料館に収蔵されているアトラックの日記に、その夜のことが克明に記されている。その中にはアプリリアージェの本質が垣間見える既述がある。その一部を抜粋しよう。


 「これこそが『ユグセル流』と言うべきであろう。ユグセル中将はその言葉遣いや笑顔など、表面的な部分ばかりが取りざたされ、その事をさして『ユグセル流』と呼ぶ風潮がある。しかし我々が中将の姿形から学ぶべきものは微々たるものだ。『ユグセル流』とは言葉遣いではない。状況の俯瞰的な把握を言葉に紡ぐ力を持ち、それを使いこなす事、それこそが『ユグセル流』なのだと言えよう」


 アプリリアージェはこの時、ティアナを納得させることがすなわち全員を納得させる事だと判断してまさに言葉を紡いでいたのである。


「翻って我々の現状は、危機的です。もっともやっかいなドライアド軍に正体が知られ、このままではネスティの護衛という目的を果たせる状況ではありません」

 一同はまたうなずいた。

「むしろ我々の存在自体が危機になっていると言い換えてもいいでしょう」

 ティアナが一番気になっているところもそこだった。どうするつもりなのか、と。

「我々が現時点で一番重視すべきは、ネスティ一行の身の安全です。我々がその役目を果たせないとしたら、我々以外の者に後をゆだねなければなりません」

 ティアナは顔色を変えた。

「まさか」

 アプリリアージェは再び手を小さく挙げた。またしても黙れという合図だ。とにかくまずは最後までしゃべらせよという強い意志表示だった。ティアナはこの手の合図による統率形態になれていなかったが、どうやらこれも「ユグセル流」であるらしかった。

 ティアナが司令官の話に口を挟むのは二度目のことだ。ここは普通ならば『黙れと言ったはずだ』と怒鳴り声が聞こえてくる場面と言えた。

 もちろん普通の部隊ならば、である。

 だがアプリリアージェは微笑みを浮かべて静かな口調で作戦内容の説明をしながら、ただ小さく手を挙げてティアナに首を傾(かし)げてみせただけった。


 ティアナはそれを見てユグセル中将という提督の懐の深さを多少なりとも垣間見た気になった。

 相手を怯(ひる)ませるのが目的ならば司令官がとるべき態度は前者であろうが、相手に自覚を与え、学習させる目的としては後者の方が勝っているのではないか。

 ティアナはそう感じた。

 少なくとも自分には向いている「教育方法」だろうと。

 力で押さえ込まれようとすると、態度はどうあれ心が反発する性格なのを、彼女は自分で理解していた。


 おそらくは隊が生命の危機に陥っている時だからこそ、アプリリアージェとしても誰かの頭に血が上るようなやりとりを徹底的に避けていたのであろう。そしてそれを実行する司令官がいるル=キリアという部隊の結束力は推して知るべしなのだと言うことも。

「申し訳ありません」

 ティアナはだから素直にそう言って詫びることができた。


「ここで我々にはいくつか選択肢があります」

 アプリリアージェはしかしティアナの詫びも無視すると、いつも以上に静かな口調で作戦説明を続けた。

 手に持ったカップから上る紅茶の香りを楽しむように時々一口すすりながら、まるで世間話をするような柔らかな口調で、命を賭した決死の作戦が述べられていた。

 エイルはその情景を老人が語る不思議な物語を聞く少年のような奇妙な気分で眺めていた。

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