第二十九話 調達屋ベック・ガーニー 3/4

「つまり、こっちに駐屯地があるっていうドライアド軍にもその情報が伝わってるってことだろ?」

 ファルケンハインはそれには答えなかった。彼は事の対処を考えていた。隠密裏に進めたと思っていた自分たちの作戦は思ったより早く発覚してしまったことは間違いない。現実に今目の前にいる市井の商人が初対面のファルケンハインを見て人物を特定して見せたのだ。ベックという調達屋だけがファルケンハインの正体に気づいたのであれば、ファルケンハインがその手を染めれば済むことだった。だが、情報が一人歩きをしている以上、ベックの口封じなどはもはや何の意味もなさない行為だった。


「どうだい?有益な情報だろ?」

 ベックがそう言い終えるのを待っていたかのように、エイル達が背にしていたこの部屋の唯一のドアがいきなり開いた。

「やっぱり、まだここだったんスね」

 振り返らずとも二人にはわかった。その声はアトラック・スリーズであった。

「おいおい、商談中なんだぜ。勝手に入って来ちゃ困るな、ええと」

 ベックは突然のアトラックの訪問にもさほど驚いた様子はなかった。むしろうれしそうにニヤリと笑って見せた。

「アトラック・スリーズ大尉……いや、今は特佐さま、だったかな」

「え?」

 勢いよく入ってきたアトラックは、ベックの一言で固まった。背中を向けているエイルとファルケンハインの表情がわからない。

 アトラックは軍人としての習性で、懐に手を入れると身構えた。

(一体この状況は?)

 アトラックが何かを言いかけた時にファルケンハインが左手を挙げてそれを制した。

「何の用だ?伝信所に行ったのではないのか?」

 ファルケンハインの声はすでにいつもの冷静なものに戻っていた。アトラックはその声を聞くと落ち着きを取り戻す事が出来た。彼は余裕をもってベックとファルケンハインを見比べると、言葉を選びながら答えた。

「伝信の件について話があるので、至急お二人を呼んで来いと」

「アプリリアージェ・ユグセル公爵。いや、ユグセル中将殿がそうおっしゃったんだろ?」

 ベックはそう言うと立ち上がった。

「あ、皆さん二階級特進だから、ユグセル元帥って言う方がいいのかね?それより早く扉を閉めてくれ」

 アトラックはファルケンハインを見やった。だがファルケンハインはベックをにらみ据えたままだった。

「急げ!」

 アトラックは何が何だかわからない状態だったが、とりあえずファルケンハインの様子から目の前にいる調達屋が火急の敵ではなさそうだという判断を下し、とはいえ警戒だけは怠らないようにして、言われたとおりに後ろ手に扉を閉めた。

「閂(かんぬき)もかけてくれ」

「閂だと?」

 これはファルケンハインだ。

 ベックはうなずいた。

「上下に二カ所ある。ルーンを使った仕掛けだから、外からは簡単には開かんよ」

「そんなことをしてどういうつもりだ?」

 閂と聞いて、さすがにファルケンハインは気色ばんだ。アトラックはファルケンハインの様子を見て、閂の操作をする手を止めた。

「正式名称、ドライアド陸軍第五十二独立部隊」

 ファルケンハインの問いにはまともに答えず、ベックは立ち上がると自ら扉に近づいてかんぬきに手をかけた。

「知ってるか?」

「――識別名、スプリガン……」

 ファルケンハインではなく、アトラックが答えた。ベックはうなずいた。

「まさかウーモスの駐屯地にいるのか?」

「スリーズ特佐、あんたそいつらにきっと付けられてるぜ」


『スプリガンって?』

【確か、ドライアドの特殊工作部隊の名前やな】

『それって』

【まあ、乱暴に言うたらドライアドのル=キリアみたいなもんやろ。もっともそれは表向きで、スプリガンは本来、エレメンタル探しの目的で設立されたっちゅう噂もあるけどな】

『そんな奴らにつけられてるって、ヤバいんじゃないのか?』

【話が本当やとすると、かなりヤバそうやな】


 アトラックは上部の閂を触ったままファルケンハインを見やった。ファルケンハインは小さくうなずいた。

 カチリ、という軽い音と供に上部のかんぬきが扉を固定した。つづいてベックが下部のかんぬきを同様に動かした。

「これで、この部屋の扉は外からは見えない」

「ルーンか?」

「ああ。調達屋はみんな用心のためにこういう仕掛けをなにかしらしてるもんさ」


「副司令、コイツは?」

 自分の椅子に戻ったベックを見ながら、アトラックはファルケンハインに尋ねた。

「調達屋だ」

「いや、そりゃわかってます。そうじゃなくて」

「それ以上は俺も知らん」

「いや、知らんって、コイツは俺の名前を知ってたんですよ?」

「俺の名前も知っていた」

「あんた達の隊長の名前も知ってるぜ。ついでに言うと、もう一人のお人形さんもな」

「調達屋が?」

 エイルはそれまで黙っていたが、我慢しきれないと行った風情でベックに声をかけた。

「じゃあ、オレは誰だ?オレの事は知っているのか?名前を言ってみろ」


【直球派やねえ】

『だって、気になるだろ?』

【ならへん】

『ウソつけ、こりゃ、一大事だろ?』


 ベックは両肘を突き、併せた手の甲に顎を乗せて、エイルの顔をまじまじ見つめて言った。

「俺は有名人しか知らん。夕べ来た時から瞳髪黒色で一見ピクシィに見えるから気になってたんだが、残念ながら調達屋の情報網には名前はないな。で、何者なんだ、あんた?」

「そうか。ならいいんだ」

「ふーん。見たところル=キリアのメンバーって感じじゃないな。アンタからは軍人特有の匂いがしない。旅の途中でたまたまル=キリアの連中と一緒に居るだけの民間人だったら、早いこと別れといたほうがいいぞ。命が惜しかったら、だがな」

「そんなことより、スプリガンが俺達をつけてるっていうのは本当なのか?」

 ベックは顎で扉を示した。

「扉に耳を当てて見な」

 ファルケンハインはアトラックにうなずいて見せた。

 アトラックは言われたとおりに木の扉に耳を付けて外の様子をうかがった。

 何人かの人間が動いている気配がした。会話も聞こえるが、低くて内容まではわからない。


「通路に結構な人数がいます」

 思わず、アトラックは小声でファルケンハインにそう言った。

「大丈夫だ。ルーンがかかっているからこっちの音が外に漏れることはないさ」


【いや、こら大丈夫やないな。警戒しときや。ルーン使うで】

『了解』


「この部屋から出られる隠し通路は?」

 エイルはニヤニヤ笑うベックに鋭く尋ねた。

「そんなもんはない。見つからないんだから必要がないしな」

 エイル、いやエルデはファルケンハインに告げた。

「ヤバイで。こんなしょうもない子供だましのルーンはそれなりのルーナーにはあっという間にバレバレや。相手がスプリガンならルーナーもおるはずや。それもケチなルーナーやのうて中位以上のルーンが使えるエクセラーかコンサーラが」

 その言葉にアトラックの顔色が変わった。

「ここのルーンがケチだという事か?」

 ファルケンハインも懐から懐剣をとりだすとエイルにたずねた。

「そやな」

 エルデは腕を組んで何かを考えるような振りをすると、さも意味ありげな声色で答えた。

「この閂にかかってるんは『やさしく基礎から学べるルーナー入門』の第二章の終わりくらいに出てくる程度のルーンやな」

 アトラックもファルケンハインに倣い、隠しから懐剣を取り出してエルデに言った。

「わかりにくいたとえ、感謝するよ」

「つまり、スプリガンにまともなルーナーがいたとしたら、ソイツには丸わかりだってことだな」

「さすがに上官は下っ端より理解力と想像力がおありのようで」

「どうせ俺はまだ正式な佐官辞令も出てないような下っ端でございますとも。あ、二階級特進ってことは俺って今は中佐扱い?いや、本来特佐って少佐みたいなもんだから、大佐なのかな?」

 エルデは緊張感があまり感じられないアトラックの言葉を無視した。

「今から全員にいくつか強化系のルーンをかけるで。どのルーンも強力やけど時間制限で切れるさかい、俺が合図したら閂を開けて外に出て、とりあえず宿屋で集合や」

「強化系?」

「心配せえへんでも防御機能があるルーンもかけとく。防御ルーンは強化ルーンと同系列のしくみやから、まとめて強化系ルーンっていうんや。覚えとき。って、そんな用語説明はどうでもええ。掛けるルーンの説明しとくと、目にはみえなくなる中位の迷彩ルーンと万が一相手から物理的な攻撃を受けてもその威力を一定量ほとんど相殺させる高位の強化ルーンや。ごたごた言わずに用意しとき」

 それだけ言うと、いつものように小さく「ノルン」とつぶやいた。一瞬で空手だった左手に背丈より長い精杖が握られた。

 それを見てベックはあわてて立ち上がった。

「あんた、ルーナーだったのかよ」

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