第二十九話 調達屋ベック・ガーニー 4/4

 エイル、いやエルデはそれには答えずにいきなり閂に精杖を向けた。

「おい、勝手に開けるな。俺までヤバイだろ?」

「せやったらお前も一緒に俺達の宿まで来たらええやろ。閂のルーンはこれから掛けるルーンのじゃまになるんや。それに俺がかけるのは範囲ルーンやから、どうせお前にもかかる。安心してええ」

 そう言い終わると間髪入れずにエルデはいくつかの短い言葉を連続で呟いた。そしてその都度まばゆい光芒が部屋に満ちて、消えていった。

 ベックにはエルデの発する言葉は殆ど聞き取れなかったが、最後に発した言葉だけはなんとか聞き取ることができた。

「スプマイロ」

 エルデがそう唱えた次の瞬間、同様に光芒が部屋に満ち、次の瞬間にベックの視界からエルデ達三人の姿が消えた。

「おい、何だ今のは。詠唱ちゃんとしたのか?」

「やかましい。姿が見えへんようにしたったんや。さ、今のうちにズラかるで」

「え?あんた、ちゃんと詠唱してないだろ。ルーナーなんだろ?」

 ベックが騒ぐ間にガタンという音が鳴り、部屋の閂が勝手に動いて外れた。

「明かりを消せ!」

 ファルケンハインが短く言った。

 ベックの言葉は一行からは全く無視されていた。

「早くしろ!」


 ベックは命令されているのが自分だとようやく気づいた。あわててランプを吹き消す。

 部屋の中が闇に包まれると、誰かが内開きの扉を開けた。

「ったく、顧客に降りかかる身の危険を教えてやろうって親切な俺様を」

「しゃべるな」

 ベックはファルケンハインの短い叱責に首を竦めた。もちろん、その様子は姿が見えないので誰にもわからなかった。


 ベックは少し開けた扉から薄暗い廊下の様子を見た。そこには誰もいないことがわかると、今度は一気に扉を全開にした。

「今日はサービス・デーやさかい、オマケで足音もせえへんようになってる。せやからとにかく走れ」

 エルデが小声で呟いた。


「おい、何も無いところに扉が湧いて出たぞ」

 通路に出たとたん、近くでそう声がした。だが、ベックはその声の主を確認することなく、ともかく必死の思いで狭い通路を走った。途中、旅の姿をした複数のデュナンが廊下を行き来して扉を開け放っている様子が見えたが、エルデの言葉に従い、とにかく走って店の外にでる事だけを考えた。

 通路は大人が二人並んでなんとか歩ける程度の広さがあったので、謎の旅装の一団をやり過ごしながら一階の飲み屋の店舗にたどり着けた。そこは混んでいて、普通にはすり抜ける事ができず、ベックは何人かにぶつかりながら外に出ることになった。

 ぶつかった相手が誰かに対して文句を言う声が後ろから聞こえてきたが、勿論それにはかまわず一気に店の外に出た。


 外にも目つきの悪い不審な感じがする旅姿の男達が五、六人たむろしてた。

 ベックはエルデに言われた「制限時間がある」という言葉を思い出すと、男達の様子を振り返る事もせず、とりあえず息が続く限り全速力で通りを駆け抜けていった。もちろん、同じ部屋にいたファルケンハインやアトラック達が今どこにいるのかは辺りを見渡したところでわからなかった。

 「宿屋」に来い、という言葉を思い出すと、ベックは思わず舌打ちをした。

 エルデはベックに対してどの宿なのかを言わなかった。調達屋の情報ならわかっているだろう?という含みを持たせていたのだろう。そう思うとベックは相手のペースに乗ったことを今更ながら苦々しく思ったのだ。


(あのルーナー、見た目はガキのくせに、どうやらかなり高位のルーナーだな。それにしても)

 足音を消したり姿を消すなどというルーンがあると言うことすら知らなかったベックは、自分に現実に掛けられたそれらのルーンが、その辺のルーナーには扱えない高位ルーンであろうことはわかっていた。だが、それよりももっと気になっていることが彼にはあった。

(アイツは聞いたこともないようなあれほどのルーンを一瞬で詠唱し終わっていた。しかも立て続けに複数を重ねがけまでしていたっけ。こりゃ、けっこう実力のあるエクセラー、いや強化系が得意のようだしコンサーラか。って!)

 だが、考えれば考えるほど混乱が増すばかりだった。

「おいおい。どれだけ高位なのかは知らないが、どっちにしろ詠唱が一瞬で終わるなんて絶対あり得ないだろ。あいつ、一体何者なんだ?」


 一方ベックを遙かに引き離して風のようにウーモスの町を駆け抜けながら、しかしファルケンハイン・レインは焦っていた。

 地下の通路にいた旅装束の男達を一目見て、ベックの言うことは本当だと確信していた。一見民間人風の旅の装束を身に纏ってはいたが、ある種の軍人が持つ独特の殺気を彼らは放っていた。スプリガンかどうかまでは確認できるはずはないが、少なくともベックの言うとおり、自分達のウーモス滞在が外部に漏れており、どこかの部隊に狙われているのは事実と言えた。

 だとしたら……

(ネスティ達があぶない)


 アトラックも、当然その辺は理解していた。店を出てしばらく走ったところで姿が見えるようになると、目立つ事を避けるため走るのをやめてファルケンハインの姿を探した。少し前方にファルケンハインの後ろ姿を認めると、さりげなく近づいて声をかけた。

「本隊が心配です」

 ファルケンハインはうなずいた。

「司令の言うとおり、町にはいるときに二手に分かれて宿も分散したのが功を奏してくれていたらいいのだが」

「エイルが本隊の方には存在感を消すルーンをかけたとか言ってましたけど」

「信じられるな。さっき俺達にかけた高位ルーンの連続詠唱を見ただろう?あの子は本当に特殊なルーナーだ」

「ええ、驚きました。噂だけは聞いたことがある姿を消すルーンなんてものが本当に存在してたのにも驚きですが、それをまさか自分がかけられるとは」

 ファルケンハインはうなずいた。

「我が国のバード達がエイルを見たらなんと言うだろうな」

「出世が難しい我がシルフィードでも、さすがにあいつならすぐに将校に昇進でしょうね」

「いや、ランダールの宿での一件を見てもわかるが、一瞬の判断であそこまでの戦略と戦術を組み立てる所を見ると、その力を発揮する機会に恵まれさえすればあっという間に提督や将軍と呼ばれるだろうな。少なくとも司令と同等に渡り合える可能性がある人間なのは確かだ」

「俺の上官と並ぶ特殊な存在ってことですかね」

「ああ、だが俺はエイルを見ていて、違う意味でこの任務が思ったよりも困難なものになるような気がしてきた」

「というと?」

 アトラックは怪訝な顔をファルケンハインに向けた。

「エイルは自らの事を賢者としては一人前ではないと言っていた」

「ええ。そうでしたね」

「あの能力で、だぞ」

「そうか」

「こうなってしまうとあのエイルが一目を置く賢者がゴロゴロいるマーリン正教会の動向が気になって仕方がないな」

「国家間の戦争については調停はやるが、荷担はしないと言っていますがね」

「これからのことはわからんさ。少なくともシルフィードは非宗教国家を国是としているだけに教会側の覚えがいいはずはない。昔の事もある」

「そうでしたね」

「それに、こんなことは既に司令はわかってらっしゃるだろうし、すでに次の手をお考えだろう」

「そう願いたいですね。でも、こういう事態に遭遇すると俺はつくづく自分が凡人だと思い知らされますよ」

「ふん、今更何を言う」

「まあ、愚痴です」

「凡人の愚痴は同じ凡人として聞いてやるさ」

「そいつは、慰めになってるんですかね」

「知らん」


 二人は先を急ぎながらも、人混みの中で目立った動きをしないように注意しながら、宿を目指した。もちろん、周囲にも気を配りながら。

 一般に風のフェアリーは周囲の監視能力は高い。風上からの情報はかなりの精度で把握することができる反面、風下に関してはさすがに劣る。しかし神経を研ぎ澄ましたファルケンハインやアトラック程の強いエーテルを纏う風のフェアリーの警戒力は人混みの中に紛れ込んだ敵意ある相手を特定することなどは雑作もないことだった。


「まあ先のことはともかく、さっきはエイルがいて、本当に助かりましたね。あの狭い場所で戦うには、我々としてはちょっと不利ですしね」

「一応、あの場はまいたが……」

 ファルケンハインは険しい表情を崩さずに続けた。

「これからのことを考えると、我々としてはややこしい事になった」

「司令と副司令の方は、たとえスプリガンに襲われたとしても、簡単にやられるとは思えませんが、他の部隊は、ひょっとしたらスプリガンに襲われたのかもしれません」

 アトラックの言葉にファルケンハインは一瞬足を止め、すぐに我に返って歩き出した。

「他の小隊が襲われたという情報がすでに調達屋に入っていたようだが……伝信でなにか情報があったのだな?」

 ファルケンハインの問いにアトラックは目を伏せた。

「司令からはまだ言うなと言われましたが、フリスト少佐の隊は全滅との事です。そしてたぶん……全ての小隊が……」


 ファルケンハインは何も言わなかった。

 ベックの話に信憑性があると言うことはもうわかっていた。ル=キリアは残り四人なのだと言うことも。そしてその四人でこの場をなんとか凌がねばならないことも。

 ル=キリアの仲間達は今までも多くの修羅場を共に生き抜いてきた掛け替えのない存在であった。しかもただの兵士ではなく、風のエーテルを強く纏った精鋭達である。全滅したと簡単に言われても俄には信じられない。いや信じたくはなかった。事実を示す状況証拠を頭では認めながらも未だに全く実感が湧かないファルケンハインであった。

「問題は、ネスティ達の方ですね」

 アトラックが話題を変えた。ファルケンハインも救われたようにうなずいた。

「エイルについての情報はあの調達屋も持っていなかった。あの様子だとまだネスティ達のことは情報として伝わっていないようだ。ここはエイルが本隊にかけたルーンの効力を信じて、何事も無いことを祈ろう」

「ですね。とりあえず俺たちはもう少し急ぎましょうか」

「そうだな」

 二人は目立たないように左側にあった路地を曲がると、文字通り風のように駆け出した。

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