第二十五話 蒼穹の台(そうきゅうのうてな)1/2

「ふーん。そいつは確かに自分が賢者だと言ったんだね?」

「はい」

 片膝をついてそう答える旅装束の女アルヴを見下ろしながら、木製の長椅子に腰掛けた小柄な少年は、あまり興味がなさそうに小さくため息をついた。

 肘掛けについた手にあごを載せたまま、気のなさそうな声を出すその姿はまるで従者に対する主人と言った態度だったが、言葉に女アルヴを叱責するような怒気は含まれてはいなかった。

「で、名は?」

「名乗りませんでした」

「ふーん」

「ただ、現名(うつしな)をエイルと名乗っておりました。エイル・エイミイと」

 言い終わらないうちに、ガタンと大きく長椅子が鳴った。

 その音に驚いて女アルヴ、ラウ・ラ=レイが思わず顔を上げると、目の前に長椅子から降りて立ち上がった金髪のアルヴィンの少年の姿があった。

「エイミイだと?」

 そう言ってラウをにらみ据える少年の瞳孔は大きく開かれていた。


 アルヴィン族の少年が女吟遊詩人に訊ねた「名」とは、いわゆる「賢者の名前」である。賢者は賢者の資格を持つにいたった時に新たに名を授けられ、以降その名を本名とすると言われている。それまでの名は現名と呼び、賢者の名とは区別されていた。

 彼女の名、ラウ・ラ=レイとはすなわち現名であり、ランダール高地の街道でエイルがラウに呼びかけた【二藍の旋律(ふたあいのせんりつ)】という呼び名こそが賢者としての正しい名であった。


「はい。『エイミイ』はその者が口にしていた族名に相違ありません」

 目の前の少年の様子に戸惑いつつ、ラウはそう答えたが、少年の様子に心がざわめいていた。

「ふうん」

「あの……」

 ラウは遠慮がちに声をかけた

「なんだい、二藍」

「ご存じなのですか? エイル・エイミイという瞳髪黒色の少年を」

 ラウの問いに、しかしアルヴィンの少年は首を振った。

「いや、全然知らないよ。ただ、その族名を名乗るとは、ちょっと面白そうなニセ賢者君だな」

「……」

「高位の水のフェアリーが居たというから楽しみにして来てみたんだけど、エレメンタルどころか、フェアリーでもなくてルーナーだったと聞いてがっかりしていたところに、そのルーナーが今度はあろうことかニセ賢者だって言うんだから、さすがの僕でも多少の興味を持つさ」

 

 少年の答えを聞いてラウは思った。

 今のは明らかにエイル・エイミイという名前に反応していたはずだ、と。それもエイルという名ではなく族名のエイミイに、である。ラウは聞いたこともない族名だったが、調べてみる必要はあるな、と感じていた。

 取り繕いにもならない少年の言を指摘する立場に、ラウはいなかった。彼の否定は彼女にとってすなわち『この件についてはこれ以上追求するな』と暗に言われたようなものであり、疑問を晴らす為には自分で動くしかなかったのだ。


 ラウは話題の矛先を変えた。

「新教の手の者でしょうか?」

「どうだろうね。それよりその偽賢者君に本物の賢者、しかも三席に名を連ねる君がしてやられたというわけだね?」

 ラウは再び頭を垂れた。

 顔が熱くなってくるのを感じる。目覚めた時の屈辱感がまたぞろこみ上げてきたのだ。ラウはどうにも自分の感情が他の賢者と比べて思い通りにならないことに対していらだちを感じていたが、屈辱感とともに今、またその未熟さをも味わっていた。

「深手は負わせたものの……いえ、言い訳でした。面目次第もありません」

「ねえ、【二藍の旋律】」

「はい」

「今回頼んでいた本来の仕事の方は順調なんだよね?」

「はい、それはもう。ランダールで見つけた精霊陣は無効化しました。今回のものは存外と強固な陣でしたので、少し大きな炎の援護が必要になりました。それもあって陣を破壊するのに多少目立ってしまいましたが」

「宿屋を一軒焼いたという話か。そんなことはどうでもいいんだ。補償の方は【群青の矛(ぐんじょうのほこ】)がすでに現地の教会を通じて済ませている。その件についてはご苦労だったね」

「恐れ入ります」

「うん。自分の仕事を忘れていなければいいんだ。だいたいわかった。下がってお休み。君はまだ本調子ではないそうじゃないか」

「いえ、もう大丈夫です。我が師である猊下の術のおかげで視力もほとんど元に戻っております」

「しかし面白い呪法だったね。単純な複合呪法なんだけど、実に合理的でかつ高度な術式だし、その運用方法自体が繊細かつ大胆。おそらく即興で思いついたものだろうけど、ちょっと普通じゃできないモノだよ。興味深いのは、攻撃力を意図的に削いでいる事と、本来見込まれる効果の五割も発動していなかった事だね」

 ラウが師と呼ぶアルヴィンの少年はそう言うと、じっと目の前の大柄な弟子の緑色の目を見つめた。

 師のその態度は、自分に何かを問いかけているのだと、ラウは気づいていた。

(呪法のその意味を考えろ、という事か?!)

 ラウは強く唇を噛んだ。その唇に血が滲むのがアルヴィンの少年の目にも映った。

「私は、敵に情けをかけられたのでしょうか?」

 少し間を置くとラウは絞り出すようにそう口を開いた。

 その様子を見て、小柄な師はラウのそばに寄ると、その頭にそっと手を置いた。

「自分を貶(おとし)めるような物言いはしない方がいいよ。冷静にその当時の事を思い出してごらん。もともと相手は君を殺そうなんていう気はなかったんじゃないかい?」

「そうかもしれません」

「それに偽賢者君は君の名前を知っていたそうじゃないか」

「はい。正直申し上げて、非常に驚きました」

「あれほど難易度の高い複合呪法を即興で構築できる術者だよ。その気になればうかつにも強化ルーンをかけていなかった裸同然の君を殺す呪法なんていくらでも選べたはずだろうね」

「面目次第もありません」

「そんな呪法を使える人間だ。君が傀儡にした娘がもう助からないことくらい知っていたろうに」

「ええ、おそらく」

「とにかくその子は君を殺したくなかった。だから手加減を加えた。とはいえすぐ君に追いかけられるのは面倒だから時間を稼ぎたい。そんな意図が垣間見える術だね。とても筋道の通った呪法と用法だ。感心するよ」

「やはり、能力は次席、いや上席クラスの者だということでしょうか?」

「それはわからないけど、これだけは言える。そんな感情が働いて手加減をしたのだとしたら、その子は正教会の賢者としては甘すぎるね」

「確かに」

 他人の命を思いやる賢者などあまりいない。目的が最優先なのだ。

 ラウとて【二藍の旋律】を継いでからはより一層そのことを肝に銘じていた。

 だからこそ今回も最も効果的だと判断して町の娘であるカレナドリィ・ノイエに術を使ったのだ。そこには目的に対する有効な手段が存在するだけだった。いや、そのはずだったのだ。

「だからその点についてだけは偽物の匂いがするね。さもなくば……」

「さもなくば?」

「いや。やっぱり新教の人間じゃないだろうね」

「そうですね。私も今ではそう思います」

「うん。新教会で『僧正』と呼ばれている上級術者連中はマーリン教の賢者が慈悲深い存在に思えるほど冷酷だと聞くからね。マーリン正教会の賢者に対しては特に、ね」

 

「僧正」と呼ばれる新教の高位ルーナーの噂はラウも何度か耳にしていた。

 見せしめのためにマーリン教では禁忌とされている冷酷で残忍な呪法をも顔色一つ変えず平気で使う連中だということだ。

「彼がその『僧正』でなくてよかった。もしそうなら僕は一人きりの大事な弟子をとっくに失っていたことだろうね」

「師匠」

「まあ、ともかく君の言う偽賢者の件は面白そうだから僕が調査するよ。どうせ水のフェアリーとやらを調べるつもりで来たんだ。手ぶらで帰るのもつまらないしね。それに君がこの後いろいろ考え悩むよりも僕が直接遭えば話が早いだろう?」

「……」

「だから君はこの件はもう忘れるんだ」

 少年の言葉に【二藍の旋律】ことラウ・ラ=レイは息をのんだ。

 それはきわめて異例な事だったのだ。

(ひょっとしたら私はとんでもない事をしでかしたのではないのか)


「三聖たる【蒼穹の台(そうきゅうのうてな)】自らがお手を下さずとも」

 ラウの震える声で【蒼穹の台】と呼ばれたアルヴィンの少年は、穏やかに微笑みながら首を横に振り、同じような静かな声で答えた。

 だが、その内容は穏やかな表情とは裏腹にラウの心にグサリと突き刺さるものであった。

「だって君では歯がたたなかったんだろう?で、あれば師匠である僕が尻ぬぐいをするのは常識じゃないか」

「ですが」

「覚えておきなさい。このことが賢者会の連中に知れたらまた君は面倒な事になるよ。【真赭の頤(まそほのおとがい)】の事件後の彼らの狼狽(うろた)えぶりを忘れたわけじゃないだろう?」

 そう言われて、ラウはハッとして口をつぐんだ。

 「三聖」と呼ばれたアルヴィンは穏やかな表情のまま、弟子に告げた。

「なあに、それに手を下すなんて決めつけてはいけないよ。まだ偽物と決まったわけではないんだ」

「あいつが本物だとおっしゃるのですか?」

「本人が本物だと言っていたのだろう?だったら端(はな)から嘘つき扱いはちょっとひどいんじゃないかな? それに、そもそも、いやよりにもよってエイミイを名乗るなんて面白すぎるじゃないか」

【蒼穹の台】は独り言のようにつぶやいた。少なくとも後半は弟子である【二藍の旋律】に対しての言葉ではないようだった。その証拠に【蒼穹の台】は【二藍の旋律】に向き直ると改めて口を開いた。

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