第二十四話 喰らいの呪法 6/6

「左耳が?」

 エルネスティーネと同様、アトラックが意外そうにそう言うとアプリリアージェとエルデを見比べた。

「エイル君は、普段から右側よりも左側をより意識しているようなので、もしやとは思っていました」

「ふん、さすがやね」

 エイルから再び体を預かったエルデはそう言うと、ゆっくりした動作で元通りに服を着ながら続けた。

「この試験は、回答に時間がかかればかかるほど困難になっていくようになってんねん。徐々に一つずつ感覚が奪われていって、最後には心臓が止まるっちゅう寸法や」

「残りの時間は?」

 アトラックが立ち上がった。

「試験の回答期限は三年って言ったよな。その三年目ってのはいつなんだ?」

 エルデはいったん目を伏せると、すぐに顔を上げて西の空を遠く見やった。ランダールを出てからは天気が安定していて、その夜も雲一つ無い晴天だった。月はまだ昇っておらず、星の集団がまるで白い川のように夜空を横切っている。その、名も知らぬ銀河の中心のひときわ明るく光る星の少し下あたりに、その時短く光が流れた。


「『合わせ月』の日。それが爺さんの言う期限や。そして、俺はもう解法自体はほぼ手にしてる。後は爺さんに会うだけなんや」

「「合わせ月」だって?」

 ハロウィンはそう言うと伺うようにアプリリアージェの方を見た。

「もう、あと一年もないじゃないか……」

「そうやな」

 アトラックの方をみてエルデは小さく答えた。

「そう言うわけで、俺たちにはあんまり時間がないんや。教会がどうとか、他の賢者とかにかまってる場合やない」


『おい』

【あ……】

『お前、本当に人のこと言えないよな』

【やかましい】

『沈着冷静な天才ルーナーが聞いてあきれるぜ』


「俺……達?」

 アプリリアージェはもちろんエルデの失策を聞き逃すことはなかった。だからこそ、それを聞き逃さなかったことをエルデに伝えるために、あえて繰り返して見せた。「俺たち」と言った後のエルデの小さな動揺ももちろん見逃してはいない。だが、その場でたたみかける事は避けた。

 エルデとの関係は当初よりは良くなっている。少なくともエルデはいくつかの秘密を打ち明けてきた。そしてそれは嘘や偽りではないだろうと直感的に信じることができるものだった。

 おそらくはエルネスティーネの涙がこじ開けたのであろうエルデの気持ちの扉に、自分から再び鍵をかけるような真似だけは避けたかった。

 彼女は、アトラックがその件について何かを口にしかけるのを遮るように、間を置かずにエルデに向かって言葉を投げた。

「今はまだその時ではないと思いますが、いつか話してください。今夜はその話はこれくらいにして、そろそろ休みましょう。ネスティもみんなも、野宿が続いてそろそろ体ではなく気持ちの方が疲れてくる頃です。自覚症状が出る前に今夜は少し早く休んで、明日への英気を養いましょう」

 それだけ言うと、視線をエルデからファルケンハインに移して、やや口調を固くして指示を行った。

「アロゲリク地方に入るのはいったん保留にして、情報収集のためにウーモスの町へ向かいましょう」

 そしてこれは低い声で付け加えた。

「どうも嫌な予感がします」

「了解です。あそこには伝信が届いているかもしれません」


 伝信とは平たく言えば手紙の事である。アプリリアージェ達のような隠密行動をとっている部隊は通常定められた任務を終了させて帰還するまで国と自分たちを結びつけるものは一切絶たれる。手紙などの通信などはもってのほかであろう。だが、今回のような長期にわたる不確かな任務については特例として国から通信による情報提供がなされる事もあったようである。判断を下す立場であるアプリリアージェ自身が部隊の一部として活動している状況ではなおさら何らかの通信の手段は確保しておくべきであろう。情報の重要性を誰よりよくわかっているアプリリアージェは、そういう仕組みを予め仕込んでいたのだと思われる。


「ウーモスには調達屋もいますね」

 アトラックが少しうれしそうに言った。

「調達屋?」

 シェリルがエルネスティーネを見てそう尋ねたが、彼女は首を振った。

「残念ながらそれは知りませんわ」

「歴史では習わなかったのね」

「幾何にも出てこなかったと思います」

「へえ」


「調達屋か」

「足りないものはありますか?」

 調達屋という言葉に反応したエルデにアプリリアージェはにっこりと微笑んで見せた。

「ウーモスの調達屋はルーンに使う薬草類なんかも頼める規模なんか?」

 エルデの問いにアトラックが答えた。

「ウーモスはちゃんとした調達屋組合があるからな。おそらくたいがいのものは揃うと思う」

「そっか。で、大所帯ご一行様はたんまり金は持ってるんやろな?」

「え? 俺たちが払うのかよ?」

 アトラックが不満げにアプリリアージェの方を見た。エルデはアプリリアージェが口を開く前に続けた。

「絶対に役に立つモノを作ったる。どっちにしろ俺の知っている本当の庵に行くんやろ?ほんなら必要品や」

 アプリリアージェは首をかしげるような仕草でにっこりと微笑んだ。

「わかりました。喜んでお出ししますよ」

「え? だって何を作るかもわからないのに請け合っちゃうんですか?」

 アトラックがすかさず抗議した。

「調達屋じゃないと揃わない程のものが必要なんでしょう?」

 そう助け船を出したアプリリアージェにエルデはニヤリと笑ってうなずいた。

「さすがにわかってるやん、リリア姉さん」

「ただし……」

「ただし?」

「宿代は自分で払ってくださいね」

 エルデは両手を開いて胸の前に持ち上げた。

「気前がいいのかケチなのかさっぱりわからん」

「私たちも持ち合わせがそれほどあるわけではありませんから。この先の事も考えて無駄は省かないといけません。でも……」

「でも?」

「安全がお金で買えるのであれば、出費は惜しみません」

 エルデは肩を竦めて見せた。


「あ、一つだけ教えてくださいな」

 寝所へ向かおうとしたエルデの背中に、アプリリアージェが声をかけた。

「庵の場所がわかっているのに、なぜそんなに時間がかかるのでしょう?」

 エルデは振り向かずに答えた。

「呪法の期限の話か?」

「ええ」

 アプリリアージェはうなずいた。

「庵はファランドール中に散らばってるんやで」

「なるほど……」

「それに庵に行けば簡単に中に入れるっちゅうような、そんな簡単な試験やと思ってもろても困る」

「いえ、もちろんそうは思っていません。だからこそ疑問なんです」

 エルデは向き直ると続けた。

「師匠の庵には普通のヤツは入られへん。たとえ場所を教えられたとしても、そもそも普通の人間には庵を見つけることすらでけへんやろ。ファランドール中に散らばった庵、庵の入り口の特定、庵に入る方法の見定めと準備、庵の中の宝鍵を捜索する時間……凡庸な人間やったら、一カ所一年以上かかるやろな。いや、その前にそもそもあの罠だらけの庵で生き延びられるとは思えへんけどな」

「なるほど。あなたが二年で六ヶ所回ったという事が驚異だと言うことがその話を聞いてわかりました。それで、残りの庵は一つだけなんですね?」

 アプリリアージェの問いに小さくうなずくと、エルデは背中を向けて自分の寝所へ足を向けた。


『で、いったい何を作るんだ?』

【飲んだら死ぬ薬】

『なんだって?』

【俺くらいの高位ルーナーやないとちょっと調合でけへん極めて特殊な薬やで】

『それはいったい何ていう毒薬なんだ?』

【毒薬やない】

『飲んだら死ぬんなら毒薬だろ?』

【ただの毒薬作るのにそんなに特殊な材料がいるか?】

『それもそうだな。で、どうするんだよ、その……死ぬ薬?』

【この人達に飲んでもらうに決まってるやろ】

【人たちって! リリアさんだけじゃなくて、全員かよ? ネスティも、ルネもシェリルもか?』

【まあ、作戦内容にもよるやろけど念のために全員分は作るつもりや】

『お前正気か? もう、みんなは仲間なんだろ? なんでこの人達を殺す必要があるんだよ?』

【ああ! やかましい】

『おい!』

【まあ、黙って見とれって】

『死ぬ薬だろ? そんなもの黙ってられるかよ』

【頭の悪いヤツにはいくら説明してもわからへんって】

『なんだと、てめえ』

【あー、うざい】

『おい、エルデ!』


 エルデが去り、見張り役のハロウィンを残し各自が寝所に戻る際、ティアナがアプリリアージェに声をかけた。もちろん、ハロウィンには聞こえないようにするのは忘れなかった。

「先ほど、嫌な予感とおっしゃいましたが?」

 アプリリアージェは歩を止めて一瞬考えるようなそぶりを見せたが、ティアナの方は見ずに、

「ただの思い過ごしだといいと思っています」

 それだけ告げると、その場を立ち去った。


 残されたティアナはアプリリアージェの背中を見送った後、ハロウィンに一睨みしてから自分の寝所へ向かった。

 途中、たき火を背にして見上げた空には一面の星が輝いていた。

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