第二十四話 喰らいの呪法 4/6

「賢者になれない人は……みんな?」

 ネスティの沈んだ声にエルデはゆっくり首を左右に振った。

「もちろん全員が死ぬ訳やない。賢者ではなく違う職に就く手もあるからな。神官の多くは修行脱落者や。脱落にもいろいろあって、修行途中やと大けがが元で脱落とか、そもそも適正不足でふるいに掛けられるやつもけっこうおる。けど……俺が知ってる「師」の資格を持つ賢者の多くは、弟子に死ぬまで修行を続けさせてふるいにかけとるはずや……」

「ひどい……」

「部外者が『ひどい』なんて一言で片付けんといて欲しいな。それが普通の賢者のやり方なんや。下手に脱落して生きてもらっても賢者、つまり師の情報を外に漏らされる恐れがあるしな。同じ賢者になるか、しからずんば死を、や。極めて合理的な考えやろ?」

「合理的って」

「そやから! そやから賢者は誰一人とっても安ぅないんや。数えきれへん程の犠牲が自分の後ろに隠して生きてきてるんや。あの「二藍の旋律(ふたあいのせんりつ)」も同じや。よう覚えとき」

 エルデは強い調子でネスティにそう言ったが、ネスティは全くひるまなかった。

「あなたも!」

 その場で立ち上がると、ネスティはエルデを睨むようにして続けた。

「あなたも、師となれば弟子を取るのでしょう?師になればそういう賢者になるのですか、エイル?」

 エルデはその言葉を聞くとため息をついた。

「言いたいことはわかる。でも賢者は……そんな感情や感傷を超越してるんや」

「何のために? そもそもマーリンの教会は民衆の為にあるのではないのですか?」

 エルデはネスティのまっすぐな目を見つめた。そして、その目が涙に溢れているのを見ると、目をそらした。

「教会は……そうやな。でも賢者は、違うねん……。ああ、この話はここまでや」

「どうしてです? 普通の人の感傷や感情を持っていないなんて言ってるあなたは、あの時カレンを見捨てなかったではないですか? それよりエイル君がそんな感情をもっていない人間なんて嘘ですっ!」

「カレンの話はやめや。アレは俺の大失策や」

「大失策ですって? 命を助けたのが大失策なのですか?」

「目覚めることなくただ生きているのが助けたことになるっちゅうんか?」

「それは……」

「俺が未熟やったから感情に流されて中途半端な事をしてもうたんや。おそらく……」

 エルデはそこで言葉を切ってハロウィンとアプリリアージェの二人を見比べた。

「ここにおる大人達は俺がやったことは正解やないって思ってるはずや」

 エルネスティーネは横にいるハロウィンの顔を見た。ハロウィンは、何も言わずに膝に置いてあったつばの広い帽子を被って目を伏せた。エルネスティーネは周りを見渡した。だが、大人達はエルネスティーネと視線を合わすまいと、皆目を伏せていた。つまり、それが答えだった。

「私にはわかりません。カレンは死んだ方が良かったのですか?」

「良かったとは誰も思てへん。そやけど俺がやったことで誰も幸せにならへんのは確かや。ルドルフはこの先ずっと目の覚めへんカレンを見続けて生きて行かなあかんのやで? 実の娘を見捨てるなんて親としてでけへんのやから」

 

【俺、何かまずいもん……踏んでもうたかな】

『いや……』


「けれど、生きていれば希望があります。目を覚ますことがないと決まったわけではないのでしょう?」

 エルデは大きく首を振った。

「賢者とは何なのです? 人を助ける存在ではないのですか? カレンを助けたことが失敗だというのが賢者の価値観なのですか? 私には、わかりません」

「賢者についてここで議論してもしゃあないやろ?」

「なぜです?」

「ここで何を議論しようと、賢者は賢者。何も変わらへんのや。だいたい教会の価値観が宗教を禁じている国のお姫様に理解できるとは思われへん」

「ですが、決めつけないで話をしてみないと理解は始まらないのではないですか!」

「ほな尋ねるけど、人間に踏まれる虫けらの気持ちが人間にわかるとでも?」

「まさか――賢者は我々を虫けらだと言うのですか?」

 エルネスティーネは憤然としてエルデを見据えた。その態度には旅姿の市井の少女とは全く違う凛とした気品と気高さが漂っていた。

 エルデはエルネスティーネのその姿をまぶしそうに見やると小さく苦笑した。

 彼はその場を一歩引き下がるとエルネスティーネの方を向いて片膝を付いて頭を垂れ、芝居気たっぷりに言った。

「いや、これは口が過ぎました、お姫様。少なくともマーリン正教会は人々の暮らしの味方です。ただ賢者の中にはそういう価値観で生きている者もいるのだ、程度でお納め下さい」

「あなたは!」

 エルデのその態度を見たエルネスティーネの声は震えていた。その語気に気圧されてエルデは思わず顔を上げて声の主を見た。自分を見下ろすその緑色の瞳には涙が溢れていた。

「あなたもそういう価値観の賢者の一人なのですか?」

 エルデはエルネスティーネの澄んだ瞳に釘付けになっていた。涙はみるみる溢れ、白い両の頬を伝って流れ落ちた。

 エルネスティーネの表情を見たエルデは、内心しまったと思いつつもこの場を只丸く収めようという気にはなぜかならなかった。エルネスティーネに対しては嘘をつきたくないと思ったのだ。

「わかりません、姫。そうなのかも知れません。実のところ我々賢者は誰一人万民の為などと思って行動してはいないのですから」

 エルネスティーネは首を振った。

 誰も何も言わなかった。

 一同はただこの二人のやりとりを見守るだけだった。


 ファルケンハインは何も口を挟まず静かに微笑む自分の司令官の表情を読み取ろうとした。だが、もちろん何もわからなかった。


「エレメンタルは」

 しばらく間があって、エルネスティーネが言葉を発した。涙声だった。

「いえ、私は人々の平和な暮らしの為に自らの使命を全うするだけです。――問いを変えます。賢者の使命とは一体何なのですか?」

「世界の法を守るもの。それがファランドールで認められている賢者の役割です」

「同じ事ではないのですか?」

 エルデは首を横に振った。


『おい、ネスティ相手に何を意地になってるんだ?』

【意地やない】

『話がどんどんこじれてるじゃないか』

【賢者がこの手の話からいい加減に退くことはでけへん】

『それをツマラナイ意地っていうんじゃないのか』

【やかましい】


「同じ事ではありません。我ら賢者は世界の法を守る事だけが使命であり、それはいわゆる人々の平和な暮らしとは直接結びつくものではないのです。私の言っている意味がおわかりいただけますか?信じる神を持たない国の姫君?」

 皮肉が混じったエルデの言葉に、しかしエルネスティーネは首を横に振った。

「わかりません。それから今はきっと茶化していらっしゃるのでしょうが私の事は姫と呼ばないでください。その言葉遣いもやめて下さい。私達は立場は違えどただのエイルとエルネスティーネ。今は旅の仲間のはず。それに……」

 エルネスティーネはそこで声の調子を落とした。

「使命を全うしたとしても、私はもうシルフィードの王女に戻ることはないのですから」

「え?」


【どういう事や?】

『いや、こっちが聞きたい』

【フン】


 エルデはため息をつくと立ち上がった。

「法って言うのは今も昔も、支配される側のものやのうて、支配する側の武器やっちゅうことや、ネスティ。それは歴史が証明しとる。かくいうシルフィードの法律も例外やない」

 そしてガラリと口調を変えてそう言うと、右手を顔の前に掲げてつぶやいた。

「ノルン!」

 すると瞬時に指輪は三色に撚(よ)られた模様の精杖に変わり、エルデの手にあった。

 精杖ノルンを水平に構えたエルデは、次に精杖に向かいもう一度呼びかけた。

「ウルド」

 すると三色の木で撚(よ)られていた精杖は、黒一色に変化した。

 エルネスティーネをはじめとする一同は、エルデのその不思議な術を無言で見守っていた。

 エルデは左手に乗せていた「宝鍵」を黒い精杖ウルドの頭頂部に近づけて何かを小さく唱えた。すると精杖の頭頂部から一条の光がエルデの掌の上に注いだ。いや、正確に記せばプリズム……「宝鍵」に向かって光線が伸びたのである。

 精杖からの光を浴びた「宝鍵」は自らが発光するかのように白く目映(まばゆ)い光を放った後、フッと消えて無くなった。

 エルデは「戻れ(ルヴ)、ノルン」とつぶやき、精杖を元の三色の指輪に戻し、一連の作業を終えた。

 つまりエルデは「宝鍵」を精杖の頭頂部に埋め込んだのだ。

 一連の作業はそこにいるピクシィの少年がただの人ではないことを一同に否応なく印象付けさせた。さらに言えばシルフィードの王女と言い争ったのは、少年ではなく賢者であるという自己顕示も兼ねていたと言えるだろう。超常的なことをこともなげに行ってみせる事はすなわち示威行為でもある。

「それに俺は今、教会の賢者の仕事より優先せなあかん事があるんや。国際法で認められてる賢者特権は勿論行使するけど、そやから言うてそれを正教会の名誉の為に積極的に使うことはあらへん。ちゅうか、この話はこれまでにしようや。庵の話の続きもあるし」

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