第二十二話 喪失 3/3
入れ替わった瞬間、エルデは急いで何事かを小さく呟き、とりあえず気を確かに持つと同時にそれ以上の出血を止めた。だがすぐに今度は少しだけ収まった眠気を覆い隠すほどの猛烈な寒さが襲ってきた。いや、もうエイルは呪法の影響で痛みや寒さは感じない体だ。だから寒さそれ自体を感じたのではなく無意識の震えが全身をおそってきたのだ。それも当然ながら失血によるものだった。いったん堪えたものの、意識の低下に伴い襲ってくる睡魔もまた強まってきている。
エルデはさらに何かを呟く。
「答えろ、黒い髪と黒い目を持つ呪われた子よ。答えなければこの娘もろともお前はここで消滅することになる」
カレナドリィの声の主はそう言うと、俯せに横たわるエルデの頭を強く蹴った。切り傷と擦り傷で酷い状態になっているその血だらけのつま先で。
テンリーゼンとアプリリアージェを除く一行はその時初めてカレナドリィのその異常な足下に気付いた。
エルデはうめき声も上げず、蹴られた衝撃で仰向けに反転した。
エルデの服は、腹部を中心に赤黒い染みが大きく広がっていた。もちろん、血は地面にも大きな染みを作っていた。
誰の目にも彼が重篤な状態であることは明らかだった。
エルネスティーネはカレナドリィがエルデを足蹴にしたのを見ると我慢の限界を超えた。カレナドリィに抗議をしようと自分の腕を掴んで放さないハロウィンを振り払おうとしたが、エルデの元へ向かおうとする気持ちはしかし反対側から今度はティアナのたくましい腕に抑えられる格好になった。
「堪えてください。おわかりでしょう?カレンを操る本体たる黒幕が近くにいるのです。今出ては相手の思うつぼなのです」
(でも、エイルが)
ハロウィンに今度は口まで塞がれたエルネスティーネは涙目でそう抗議した。いや、ティアナの心にははっきりそう聞こえたのだ。ティアナはしかし、それでも目を伏せて首を横に強く振ると、エルネスティーネの腕を握る手にさらに力を込め引き寄せ、強く抱きしめた。
「それでも!今は……堪えてください」
ティアナは適切な行動をとってくれたハロウィンに今度ばかりは感謝しつつ、エルネスティーネにそう懇願した。エルネスティーネはティアナの決意が自分の思いと同じくらい堅く、おそらくこれ以上動くことはできないと悟ると、固く目を閉じた。その目尻からつっと涙の筋が流れて、落ちた。
「さあ、答えろ」
カレナドリィは蹴られて咳き込むエルデを見下ろしながら、さらに尋ねた。
「全く、失礼なやっちゃな。お前こそ……誰やねん?人にものを尋ねるには態度が悪すぎへんか?」
その言葉を聞いたカレナドリィの形相が険しく変わった。自分を睨み付け見下ろすその顔は、もはやエイルやエルデが知っているカレナドリィと同一人物だとは思えないほどに面変わりしていた。
「質問しているのはこっちだ。現在も、そして過去にもエイル・エイミイなどという現名の賢者は存在しない。そもそも賢者ならば現名などに意味はない。賢者であれば力を行使する際にまず正しき名を名乗る。だから答えよ。お前が持っている賢者の徴はどこで手に入れた?まさかとは思うが新教会からか?私はそれが知りたいだけなのだ」
「どうなってるんでしょう?」
いつの間にか傍に来ていたアトラックが、ファルケンハインに尋ねた。
状況はエイルとカレナドリィがいる場所だけだと言うことが彼の出した結論だった。付近を警戒したはいいが、全くそれらしい気配が感じられないのだ。とはいえ、広く警戒は怠らないようにしつつも情報の共有の為にやってきたのだ。
カレナドリィ以外の敵の気配を付近から全く関知できないのはファルケンハインも同様で、何か不思議なものを感じていた。だからと言うこともないのだろうが、いつもならこの手の質問には無視を決め込むファルケンハインが、この時ばかりはアトラックの問いに反応した。
もっとも、積極的に会話を活発化させようとするような返答ではなかったが。
「俺がその答えを知っていると思うか?」
アトラックはファルケンハインの返事に苦笑すると頭を掻いた。期待していなかったとはいえ、会話を続ける意志があまり感じられない素晴らしい返答だった。だが、アトラックはその考えをすぐに改めることになった。
ファルケンハインが後を続けたのだ。
「それにしてもあいつ、あまりにも簡単に刺されていたな。物理攻撃が一切通じないということはなさそうだ」
アトラックはほう、と思ってうなずいた。
「言われてみればそうですね。アイツ、あれで大丈夫なんでしょうか」
「みての通りどう考えてもあのままでは長くは保たんだろう。だが、まだ強がりを言う元気だけはあるようだな」
「強がりじゃないといいですね」
「そうだな」
淡々とした受け答えだが、アトラックにはファルケンハインがじりじりとじれているのが手に取るようにわかった。本当はすぐにでも飛び出したいのだろう。むろん、アトラックとてそれは同じ気持ちだった。だからこそ会話をして気持ちを冷静に保とうとしていたのだ。
「俺達はいつまでこのままなんでしょう?」
「司令の指示がないかぎり待機だ。それにこれは俺の希望が多分に入っている意見だが、あいつが簡単にこれで終わるとは思えん」
「いや」
アトラックは大きく首を左右に振った。
「それには俺もまったく同意しますよ」
付近の警戒を続けながらも、二人はカレナドリィとエルデの姿に釘付けになっていた。アトラックはこのままだと言いつつ、既にいつでも矢を番えるばかりになっているファルケンハインの手元を見て改めてこの無表情な心優しいアルヴの戦士に心の中で微笑した。
だが、その矢であの娘を射ていいのかどうかは難しい問題だった。短剣を狙い、そしてそれを見事に叩き落とすことに成功した矢を放ったのはアプリリアージェではなく間違いなくテンリーゼンだろうとアトラックは認識していた。早期にカレナドリィの異常に気付いていたテンリーゼンのとっさの判断に違いない、と。さっさと相手の急所を射抜いて事を終わらせなかったのは、相手がカレナドリィだったからに違いない。
「フン。そういうお前は賢者なんか?」
「言うまでもない。我はファランドールの法の番人であるマーリンの賢者なり。賢者はすべての賢者を知る。故に問うのだ。我の知らぬお前は何者だ? ただのケチな騙りでないことは良くできたあの賢者の徴のまがい物が証明している。あの偽物は、誰がつくったのだ?」
「偽物やて?」
「きわめて出来がいいと褒めてやろう。知らぬ者は本物と疑うまい。だが、あのような賢者を騙る振る舞いを捨て置ける立場ではない」
「へえ。アレが偽物やて?」
「無論だ」
そこまでの会話でエルデの答えに少し間があいた。返答が無くなったことにいらついたカレナドリィが何か喋ろうとしたとき、エルデは独り言のように、だが明らかにカレナドリィに聞こえるような声で呟いた。
「なるほど。【魅了】を操り心を喰らう者か。そうするとあの場にいて、その可能性があったヤツって……考えられるのは雰囲気的にあのアルヴの女吟遊詩人くらいやな」
「ほう。それくらいの察しが付くだけの知恵はあるようだな」
カレナドリィはおよそ本来の性格からは想像できないような陰険な顔つきでニヤリと笑うとバカにしたように答えた。だがエルデはそれを無視して続けた。
「おそらく、歌声や音楽を聴かせて術式の第一段階である下準備を行い、第二段階で鍵となる次の音楽を聴かせ、その人間を遠隔操作する傀儡(くぐつ)の呪法の一種やな。アルヴ……女……。そして賢者……」
「何をブツブツ言っている? 我が問いに答えねば始末する」
「フン。わかったで、お前さんが一体誰なんか」
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