第二十二話 喪失 2/3
「一体どうしたんだ」
腕の中に抱き留めたカレナドリィに向かってそう声をかけようとしたその時だった。エイルは腹部に衝撃を受けたような気がした。同時に体から力がスッと抜けていく感覚を味わった。
だが何が起こったのかを瞬時に理解出来るほど、エイルは冷静ではなかった。
事態を最初に理解したのはエルデだった。
【しもた!】
『え? 何だ……オレは一体?』
【やられたんや。くそ! おい、大丈夫か。替われ。俺と早よ替わるんや】
『やられた? オレが? カレンにか? でも、一体なぜ? 殺気なんて全然……』
【今はそんなことはどうでもええ、早よ替われ。腹を刺されたんやぞ。痛みは感じへんけど、この傷はかなりヤバい】
『刺された?』
【アカンっ。下は見るな。傷は駄目や。俺に血を見せたらアカンでっ】
指摘され思わず腹部を見ようとしたところを、エルデの声に制止され、エイルは落としかけた視線を再びカレナドリィに向けた。
「カレン?」
そう言うとエイルは半ば反射的に残った力でカレナドリィの肩を押して突き放した。それにより両者に距離ができた瞬間、何かが風を切るような音がしたかと思う間もなく、一本の細い矢がカレナドリィの右手の甲に突き刺ささるのが見えた。
「あっ!」
カレナドリィは思わず悲鳴を上げた。
『カレンっ』
【黙れ。俺らはドジったんや。とにかく替われ】
『オレは? 一体?』
【そやから刺されたんや!】
『カレンにか? なぜ?』
【しっかりせい!カ レンをよう見てみい】
エイルはカレナドリィを突き飛ばしたのが精一杯だった。それ以上は意志とは裏腹に体に力が入らず、立っていることももう出来なかった。特に下半身の感覚がおかしかった。力が入らないまま膝を折ると、その場に崩れ落ちるようにうつぶせに倒れた。続いて急激に眠くなり、それに伴って意識も薄らいでくるのがなぜか客観的に理解できた。
かすみ始めたエイルの視界に映るカレナドリィの右手の甲には短い矢が突き刺さっており、今、まさにその手が握っていた短剣が白く光りながら地面に落ちて来たところだった。短剣は乾いた音を立てて、横たわるエイルの目の前に落ちた。
「カレン……なぜ?」
【早よ替われ、ホンマに死んでまうぞ】
『嫌だ。お前に任せたらあっと言う間にカレンを殺しちまうだろっ』
【エイル】
「君は……どうして?」
「フン。やはり例のアルヴの仲間連中と一緒か」
カレナドリィは負傷した手の甲を押さえると、矢が飛んできた方角を睨んで鋭く叫んだ。
「攻撃したければするがよい。私は痛くもかゆくもないのだぞ?この娘が無惨に死ぬだけだ」
それはカレナドリィの声を借りてはいたが、エイルの知るカレナドリィの口調ではなかった。
その声に対してル=キリアはもちろん何も答えず姿も見せなかった。矢も最初の一本が放たれただけで、二本目が続く事はなかった。ル=キリアとしてはカレナドリィに照準は合わせて様子を見守って待機していると言うことなのだろう。
アプリリアージェは警戒を周囲に広げた。
カレナドリィは「この娘」と言った。それはカレナドリィ自身は誰かに操られていると言うことを意味している。つまりそれは操っている人物が近くに潜んでいるという意味に他ならない。カレナドリィとエイルに注意を集中していると、全員があっという間に窮地に陥る羽目になる可能性があった。
ル=キリアではこういうシチュエーションの時の役割分担が決めてあった。周囲の警戒はファルケンハインの仕事。アトラックは現場を把握し、テンリーゼンは臨機応変に行動。アプリリアージェはファルケンハインの位置を確認した上で、彼のいる場所と反対側の注意を怠らぬようにしながらも、エイルが置かれている状況をも把握しようと努めた。
(あの傷では、エイル君はあまり長くもたない……)
カレナドリィを倒すのは、おそらく一瞬でできる。だが、背後にいる人間に攻撃の隙を狙われ、ル=キリア側に被害が出る可能性も大きかった。だからカレナドリィを操る人物を引きずり出す事が出来れば、と計算していたのである。
「カレン」
「お前はすぐには殺しはせぬ。死ぬ前に少し聞いておきたいことがあるのでな」
【替われ。頼む、替わってくれ】
「お前は、カレンじゃないんだな?」
「この娘の事はどうでもいい。それよりもお前はいったい何者だ? 何故に賢者を騙る? 賢者を騙る者は死をもって償わねばならん」
(賢者を騙る?)
カレナドリィに狙いを付けたまま二人の様子を見ていたアプリリアージェはエイルについての謎をまた一つ増やした格好になっていた。
(エイル・エイミイは賢者ではない?とすると、カレンを虜にしている人物は本物の賢者、もしくは賢者の関係者ということになるけれど……)
【替われ。もう、お前が関与する領域やない】
『嫌だ』
【「嫌だ 」やないっ! 体をよこせっ】
エルデはそう言うとエイルから強引に体の制御を奪い去った。
もちろんそんな事を許したつもりのないエイルは驚いた。だが、すでにエイルはもう自分で自分の体を動かすことはできない状態で、エイルがどうあがこうともはや彼の体は彼の意志に従った動きをすることはなかった。とはいえエルデが強引に体の支配権を奪ったのはこの場合、正しい判断だと言えた。いや、生きながらえるためには必須の行為であったのだ。なぜならエイルにとって替わったエルデは体の主導権を握った瞬間に深みに落下するかのような感覚を覚え、危うく気を失いそうになったからだ。エイルに替わるのが後数秒遅かったならば、おそらくエイルは失神し、体の制御を奪うこともできないまま死を迎えていたに違いない。すべては多すぎる失血のせいだった。
だがエルデは入れ替わる前にそういう事態を予想していた。したがってその想定内の事態への対処は極めて的確で速かった。
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