第二十二話 喪失 1/3

 最初に気づいたのは一行の最後尾を歩いていたファルケンハイン・レインだった。

 ファルケンハインは歩みを止めると辿ってきた森の中の道をゆっくりと振り返った。

 横に並んで歩いていたエイルもファルケンハインに続いて立ち止まり、不審気な目をファルケンハインに向けた。

「誰かが追いついて来るようだ。我々よりかなり速いな」

 エイルが口を開くより先にファルケンハインがそう言った。その声に反応するようにル=キリアの他のメンバーも足を止めた。

「じきに追いつかれそうですね。やり過ごしますか?」

 エイルの背後で声がした。驚いたことに先頭にいたアトラックがいつの間にか最後尾まで戻ってきていた。いや、驚いたのはアトラックが戻ってきた事ではなく、気付くような音もなく近くまで来ていたことである。


『驚いたな。まるで忍者だ』

【忍者?】

『ああ、忍者って言うのは……』

【ふむふむ】

『まあ、いいや』

【待て。そっちから話し出しといて「まあ、いいや」はないやろっ】

『また今度な』

【俺はお子ちゃまか!!】

『そうやってすぐに腹を立てるところはお子ちゃまじゃないのか』

【その言葉、そっくりそのままお前さんに返したるわ。短気なのはそっちやろ?】

『何だと?』

【ホレ、見てみい】

『……』


「ここなら、全員が隠れることもできますね」

 アプリリアージェはアトラックの言葉を受けて答えると、ハロウィンに声をかけた。

「先生、そっちはお願いできますか?」

「了解した」

 ハロウィンは特に何を訊ねるという事もなくアプリリアージェの指示に即答すると横に立っているルネの赤い髪を優しく撫でた。


「じゃ、私達五人はこっちへ隠れよう」

 ハロウィンがそう言って指さしたのは街道脇にある森の岩陰だった。

「五人だと?」

 これはティアナだ。

「そうだ。私と、ルネとネスティとシェリル、そしてティアナ、君だよ。私が呪法で視界結界を張るけど、いざとなったらティアナの腕前を披露してもらわなくちゃ」

「ル=キリアは誰もこっちの護衛に付かないのか?」

「彼らはそれぞれ攻撃用の戦闘態勢に入るだろうからね。もともとル=キリアは攻撃専門の部隊で、動きが制限される護衛役には向いてない。防御は我々の役目で、彼らは元を絶つ役目だね」

 ハロウィンは早口でそれだけ言うと、ティアナにウィンクして見せた。

「役割分担ってやつさ」

 そう続けるハロウィンはすでに森へと下り始めていた。ティアナを除く一行は突然訪れた緊張に戸惑いながらも無言で、そして急いでそれに続いたが、ティアナだけはその場を動こうとしなかった。

 そんなティアナに声をかけたのはルネだった。

「ティアナ、忘れタん?ウチがいるンよ」

 ティアナはハッとした。

「ウチは攻守両刀ヤ。だから心配いらヘん」

(そうだった)

 ティアナはその構成がようやく腑に落ちた。水のエレメンタルがエルネスティーネの側にいてくれるという安心感は絶大であった。ランダールの火事の消火を見ていたティアナには、ルネが極めて強力な力とその力を精密に制御する能力を併せ持っていることに疑いは持っていなかった。そのルネがエルネスティーネのそばにいるというのは安心というより心強い。

 最優先で守らねばならないはずのエルネスティーネに対しては守りの構成が薄い指示だと思ったが、そんなことはなかったのだ。さらに攻撃は最大の防御とも言う。ル=キリアはなるほど風のフェアリーだけで構成されている特殊性を考えても、攻撃に特化した部隊であるのは間違いない。彼らが戦いやすい状況を作り出す事が結果としてもっとも安全と言うことにもなる。

 ハロウィンは軍人でもなく特に彼らと事前にそういうやりとりをしたわけでもないにもかかわらず、アプリリアージェの「そっちはお願いします」という一言で全てを理解したということなのだろう。


 ティアナは思った。

(いざとなればさすがに我が国のお歴々が絶大な信頼を置くだけのことはある、ということか。ただの軽薄オヤジではない事だけは認めよう)

 そして微笑みながら自分を見上げている小さいルネに真顔でうなずいてみせると、小走りにそちらへ降りていった。

 その頃にはル=キリアの四人を含め、一行は全員街道脇に姿を潜めていた。

 ティアナにはル=キリア達がどこに隠れたのかはわからなかったが、真っ先にエルデのルーンで姿を消したエイルには全員の大体の位置関係が把握できていた。

 ファルケンハインは後方から近づく未確認の人物が自分たちに数分で追いつきそうだと言っていたが、その人物は姿を見せるよりも先にその声を一行に披露することになった。そしてその声は一行を混乱させることになったのだ。


「エイルくーん」

 声はまだ微かであったが、エイルの耳には確かにそう聞こえた。


『おい、ひょっとしてあの声って』

【ああ、間違いないやろな。でも】


「エイルくーん」

 次にその声がしたときは、一度目よりはっきりと耳に届いた。それはその声の主が確実に近づいていることをエイル達一行に知らせていた。

 彼らが辿ってきた森の中の道は屈曲しており、声の主が彼らの目の前に現れたのは、三度目の呼びかけと同時だった。

 その声の主はまさしくあのタンポポ色の髪をした蒸気亭の娘、カレナドリィ・ノイエだった。

 彼女は一行が姿を消したところで立ち止まると、口に両手を当てて出来るだけ遠くに届くように大きな声で呼びかけた。

「エイルくーん」


「カレン」

 エイルは姿を消していたルーンを解くと、カレナドリィの目の前に姿を現した。

「ああ、エイル君。良かった」

 カレナドリィはエイルを認めると、満面の笑みを浮かべてエイルにかけより、そのままエイルの胸に飛び込むように体を預けてきた。

 エイルは躊躇する間もなく、カレナドリィを抱きかかえるように受け止めた。

 「全員待機。変。様子が」


「え?」

 この呼びかけに思わず小さな声を上げたのはシェリルだった。すかさずルネが小さな手でシェリルの口を塞いだ。

「しーっ。今はアカン」

 ル=キリア全員の耳元にその時届いた声はテンリーゼン・クラルヴァインのエーテル・トークだった。

 思いもかけぬ事態……知り合いであるカレナドリィの出現で姿を見せたものかどうかと戸惑っていた一行はその声で緊張の糸を張りなおした。

 アプリリアージェはいち早く一行の動きを止めたテンリーゼンの声に反応して、改めて近づいてくるカレナドリィを観察した。一見するとおかしな事はない様子だったが、その足下を見て合点した。

 山歩きにはおよそ似つかわしくない部屋履きのような薄い草履を履いている。それだけではなく、その足はおそらくは道中の岩や石で傷つけたのであろう。切れて、裂けて血だらけであった。固まった血に埃が付着し、さらに深い傷からは埃の隙間を縫ってまだ血が滲み続けていた。一見して相当の痛みを伴う傷だと思えた。いや、普通の人間ならば痛みで歩くともままならないはず。

 しかし、カレナドリィは全速力で駆けてきた様子で、とにもかくにも普通の娘の行動としてはかなり異常だと考えていい。

 アプリリアージェはそれだけでなく、同時にそのカレナドリィが纏う気配にも不吉なものを感じた。そしてその予想はすぐに正しかった事を知ることになる。すなわちテンリーゼンの静止が正しかった事を一行が認識するまでに、ほとんど時間はかからなかった。

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