第十四話 シェリル・ダゲット 6/6

 無力感に支配され、ティアナの心が絶望の色で埋め尽くされようとしたその時、誰かが肩を抱き、ティアナの上体を起こした。その強い力の持ち主を特定しようと考えた次の瞬間にはティアナは自分の体重が存在しないかのような感覚に襲われた。誰かに抱きかかえられた事は理解したが、回りの状況を把握はわからなかった。ただ、自分が安全な場所に移動した事は認識した。同時に自分を助けた人物の特定も。


 ティアナの体を抱く力強い腕の持ち主は、ファルケンハイン・レインだった。

(く……)

 本来、窮地を助けてもらった訳であるから、すぐにでもファルケンハインに対して感謝の気持がわき上がってもよかったはずである。だがティアナはまず自らの力のなさを呪ってしまった。

 根っからの軍人であったからであろう。無事で良かったという安堵感を、自分があまり認めていない相手に助けられたという屈辱感が上回ってしまっていたのである。

 後日、ティアナ自身が「軍人とは救いようのない愚かな存在だ」とエイルに語ったというが、おそらく彼女がそういう感情を持つに至った発端はこの出来事であろう。


「エリーさまは無事だ。安心していい。それに知ってのとおり、彼女は風のフェアリーだ」

「大丈夫か?」と最初にティアナに問いかけなかったのはファルケンハインの思慮深さである。彼はティアナが近衛隊の精鋭である事を予め知識として知っていた。すなわち特殊部隊であるル=キリアに所属している自分に対し、反感とは言わないものの、いい感情を抱いていないことがわかっていたからのである。ミュンヒハウゼンという近衛隊の中尉は堅物の軍人であるという情報を信じたファルケンハインは、ティアナのプライドを傷つけないように第一声を選んだと言えるだろう。

 ティアナはその性格上、いたわりの声をかけられた際に食ってかかる言葉は用意していたものの、ファルケンハインの報告に答える言葉をとっさに思いつかなかった。ただ、自分がバカな事を言わなくて済んだということに対して安堵していた。だからこそ、珍しく素直に感謝の言葉が出たのであろう。

「面目ない。感謝する」

 聡明なファルケンハインはそれに対しても何も答えなかった。

 代わりにここでも事務的な言葉を選んだ。

「ともかくここを離れる。君の怪我の具合が客観的にわからないから、念のためにもう少しこの無礼を許してほしい」

 言うが早いかファルケンハインは大柄なアルヴのティアナを軽々と抱きかかえると、まさに飛ぶようにその場を離れた。当然ながらそれは、ティアナの返答など端から待つつもりなどない行動であった。

 一端口を開けて何かを言いかけたティアナはすぐに言葉を飲み込むしかなかった。そしてなぜか今まで感じたことのない感情がわき上がってくるのを不思議な気持ちで噛みしめていた。

(こうして誰かに守られるというのも、そう悪いものではないかもしれんな)


 ハロウィン一行は火災が起こった店からほどよく離れた場所に集まっていた。当然ながら火勢はまだ収まる様子もなく、皆は不安そうに火災の様子を眺めていた。

 そこへ合流したファルケンハインは、ティアナを両腕に抱きかかえたままで声をかけた。

「ひどく踏まれていたようだが、自分で立てるか確認してみろ」

 それは本当に事務的な口調だった。ティアナにとっては何よりそれがありがたかった。

「問題ない。足首や膝の関節部分には痛みはない。打ち身程度だと思う。下ろしてくれていい」

 ファルケンハインはうなずくと、抱きかかえられた状態からゆっくりと地面に足が下ろせるようにティアナの体を傾けていった。

 じれったい……とティアナは思いつつもファルケンハインの気遣いは痛いほど感じていた。それよりもティアナが驚いたのは、自分の心の中に(もう少しだけこのアルヴの腕に抱かれていたい)という思いを見つけてしまったことだった。

 その感情を振り払うようにティアナは途中からファルケンハインの腕をすり抜けて自分で下りると、自立してネスティの方をみやった。だがエルネスティーネの方が先にティアナを見つけていて、彼女が両足で自らの体重を支えると同時に、抱きついて行った。

「よかった。ティアナ。私とっさにティアナを助けられなくて」

「ご無事でなによりです」

 ティアナもエルネスティーネをしっかりと抱きしめた。

「どこも痛くありませんか? こんなに汚れて」

 エルネスティーネはティアナの服についた土を払いながら、そう言っていたわった。そんなエルネスティーネをティアナは制した。彼女にしてみれば立場が逆なのである。

「大丈夫です。私が人一倍丈夫なのはご存じのはず。あれくらいは何ともありません」

「ダメです。ああ、髪に土が……それにまあ、口元が腫れて……あ、血が滲んでいるではありませんか」

「この程度、ケガでもなんでもありません。すぐに治ります」

「いいえ、ダメです。後でハロウ先生にちゃんと見てもらわないといけません。『注意一秒、ケガ一丁あがり』です」

 ティアナはエルネスティーネが口にした諺に対して複雑な笑いを浮かべた後、後ろに気配を感じてハロウィンを振り返った。そしてエルネスティーネに向き直るときっぱりとした口調で言った。

「それだけは死んでも嫌です」

「まあ、ティアナったら……」

 エルネスティーネはふくれっ面をしてティアナをすこし睨んで見せた。ハロウィンはティアナのその言葉を聞くと苦笑しつつこう言った。

「ネスティ、その様子じゃ私の出番はないよ。それに幸いな事に火事場でも大したけが人はいなさそうだ」


 ティアナの様子が気になるのか、エイルがファルケンハインとティアナの方へ近寄ってきた。

 エイルは何も言わず、不躾にティアナの唇の傷をじっと見つめた後、おもむろに掌を広げてティアナの前につきだした。

「な、何だ?」」

「俺の指は何本ある?」

「はあ?」

「問題なしっ」

「え?」

 それだけ言うとエイルは踵を返し、さっとその場を後にした。残されたティアナとエルネスティーネは狐につままれたような顔でお互いに顔を見合わせた。

 するとエルネスティーネが素っ頓狂な声を上げた。

「え? あらっ!」

「どうしました?」

「ティアナ……あなた、もう傷が治っていますわ」

「ええ?」

 エルネスティーネにそう言われて、ティアナは慌てて手で唇をぬぐってみた。

 痛みはない。手に血もついていない。

 ティアナはハッとして顔を上げると、その場から立ち去っていく後ろ姿のエイルをみやった。

(いやいや)

 一瞬浮かんだ考えを振り払うと、今度はハロウィンの方を見やった。燃え続けている家の様子を眺めているハロウィンはティアナの視線には気づかない様子だった。

(なるほど、呪医か。今回は一応借りて置こう。それにしても少年の行動は何だったんだ?)


「火が収まりませんね」

 店の近くで様子を見ていたアトラックが戻ってきて状況を告げた。

「いきなり店全体が燃え上がったような感じでしたが、何が原因でしょうねえ」


『エルデ、お前な』

[ん?]

『ん? じゃねえよ。変な奴だと思われただろ、アレじゃあ』

[まあ、別にええやん]

『まったく。それからあの火事、ひょっとすると例の魔法陣……ルーンサークルと関係があるのか』

[不自然な火事やっちゅうのは言えるけど、まだそこまではわからへんな]

『なんだよ、頼りないな』


 そうこうしている所に、店の前の方から大声で叫ぶ女性の声が聞こえてきた。

「誰か、お願いです!」

 一行は一斉に声のする方向を見やった。

「中に、まだ中に人がいるんです。助けてください」

 しかし、その店の火勢は一向に衰える気配を見せず、いつ崩壊が始まってもおかしくはない状態であった。

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