第十一話 ティアナ・ミュンヒハウゼン 6/6
「はい。父上」
控えの間から、他ならぬエルネスティーネの声がして、金色の長い髪を揺らしながら小柄なアルヴィンの少女が王の寝所へ入ってきた。その姿を見たティアナは絶句した。
驚きの連続と言える夜だったが、その中でもこの時がもっとも驚いた瞬間であった。
「う……」
目を白黒させるティアナを満足そうに見ながら、サミュエルは声を上げて笑った。
「フォッフォッフォ。そっくりであろう? いや、むしろ器量に関しては本物のエルネスティーネより少し上かもしれんがな」
「これは一体?」
旅装のエルネスティーネもクスクス笑っている。その笑っているエルネスティーネを見て、新しく入ってきたエルネスティーネも同様にクスクスと笑った。
「ねえ、ティアナ。私はだあれ?」
そこに立っていたのは、寝間着姿のエルネスティーネ・カラティアその人だった。だが、旅装束のエルネスティーネも間違いなくエルネスティーネであった。
「変わり身じゃ、ティアナ」
変わり身とは替え玉の事だ。だがここまで完璧にそっくりな変わり身が居るとは……。
「ティアナ。あなたは今までもずっと私達二人の相手をしてくれていたのよ」
寝間着姿のティアナが微笑みながら声をかけた。ティアナにはその少女はいつものエルネスティーネにしか見えなかった。
「私の本当の名前はイース。イース・バックハウスと申します。ですがエルネスティーネさまが事をなし終えてお戻りになるまでは、この名前を二度と使うことはないでしょう。故に……我が名はカラティア朝シルフィード王国国王アプサラス三世が娘、エルネスティーネ。隣にいる娘はエッダのネスティじゃ。よいな、ティアナ」
「はっ」
ティアナは短時間で合点していた。
そう、全ては本当に今日、この旅立ちの為に長い長い時間をかけて周到に用意されていたのだ。ティアナはこの日のために用意された変わり身と本物の区別さえ付かずに今までエルネスティーネという王女に仕えていた。つまり、それほどまでに完璧な変わり身だった。
バックハウス家についてはティアナの知識にある家名であった。
カラティア家にごく近い血族で、確かカラティア朝を興した初代国王の姉オスカの血筋であるとか。シルフィード大陸南方の領地を治めていた侯爵家であったはずだ。
「はずだ」という過去形の表現になっているのは、バックハウス家は少し前に家系が途絶えたと聞いていたからである。
「普段から私たちは頻繁に入れ替わっていたのよ。日替わりと言っていいくらい。午前と午後で変わった事もあるわ。でもティアナは全く気づかなかったでしょう?」
「恥ずかしながら」
「ムリもなかろう。背格好だけでなく、顔も声もそっくりじゃ。さらにお互いにお互いのちょっとした癖を真似る訓練も日々こなしておる。二人をこのように並べると……些細な違いはわかるかもしれんが、その日の調子や機嫌によって表情など多少変わるものじゃ。つまりその程度の違で別人であるなどと気付く人間はこの世におるまいよ」
嬉しそうににんまりするサミュエルに比べると、父である国王アプサラス三世はやや気の毒そうな表情でティアナを慰めた。
「そうかしこまるな。余とてもはや見分けはつかんのじゃ」
変わり身であるイースはいたずらっぽい表情を浮かべると、さっそくエルネスティーネの横に並んで見せた。そうして比べれば、サミュエルの言うようにイースの方がほんのほんの少しだけ大人っぽい表情をしているように見える。だが瞳の大きさも色もその濃さも、肌の色も髪の色つやまで殆ど変わることがなかった。普段は見えない顎の裏にある小さなほくろまで全く同じだった。
「もっとも、多少のルーンは使っとるがの」
ほくろを見つめるティアナに、サミュエルはそう言って謎解きをした。
「すべて、了解いたしました」
ティアナはため息とともにそう言って深く頭を垂れた。
その言葉を聞いて、アプサラス三世はうなずくと、エルネスティーネ「達」に向き合った。そして二人のエルネスティーネのうち、実子である旅装束のアルヴィンの顔をのぞき込んだ。
「エリー。いや、ネスティ。我が大切な娘よ。これは余からの餞じゃ」
アプサラス三世はそう言って自らの懐から懐剣を二振り取りだし、そのうちの小さい方をエルネスティーネに手渡した。
「陛下、それは」
サミュエルは少しとがめるような声をかけた。予定にはない行動だったのだろう。
「案ずるな。身元が知れる桜花のクレストなどは入れておらんよ。ただ、エリーがいつも身につけるものだから出来るだけ軽いものがいいだろうと、リリスを使い、さらに特別に薄く強靱にと注文を出しておったものだ。もう少し早く渡しておきたかったのだが、なかなか仕上がらずにやきもきしておったところ、間のいいことに今日ようやく届いたというわけだ」
アプサラスの言う桜花のクレストとはカラティア家の紋章の事である。そのクレストを懐剣に刻むと言うことはすなわちそれを見れば出自がわかる可能性を示していた。多くの貴族は身分証の代わりとしての役割を担う懐剣には、クレストを柄に刻む事が嗜みとなっていた。サミュエルはそれを懸念してとがめたのである。もちろんアプサラス三世は承知しており、クレストのない実用本位の懐剣を仕立てさせたということであった。
さすがにサミュエルは無粋と思ったのであろう。予定になかった装備である懐剣についてはそれ以上のとがめ立てはしなかった。
「父上……」
エルネスティーネは懐剣を受け取ると父親に深々と頭を下げた。
「お心遣い、心より感謝いたします」
「うむ。達者でな」
娘にそう声をかけたアプサラス三世は、今度はティアナに顔を向けた。
「それから同じく、ティアナにもこれを授けよう」
跪き、両手で懐剣を受け取ったティアナは、その柄を見ると怪訝な顔をアプサラス三世に向けた。
「これは?」
そこには見慣れないクレストが刻まれていた。
「星……しかもこれは、桜花星でございますね」
「いかにも。そしてそれはティアナ、懐剣とともにお前に授けるものだ」
「ただの尉官である私にクレストを?」
「法というしばりがある故、爵位を授ける訳にはいかぬ。だが、余が考案したクレストをお前に贈る事を制限した法はない。我が娘はクレストを持てぬが、お前は胸を張ってそのクレストを掲げよ。そして口にだ座図ともこう胸に刻むがよい。『カラティア家の友の徴として国王に下賜されたものだ』と」
ティアナは感激のあまり胸がつかえて、もう何も言葉が出なかった。
クレストは本来男爵家以上が掲げられるもの。ただ例外として公爵や伯爵が配下の功労のあった者に対し、名誉の徴として独自のクレストを与え、本人一代にのみ使用させることがあった。アプサラス三世はそれに倣ってティアナにクレストを「贈った」のだ。
だが、国王自らがそれを行うのは極めて異例である。ましてや与えたクレストが、王家の紋章である「桜花」と同じ意匠だと言うことがティアナの心をさらに大きく揺さぶったのだ。
桜花をクレストに用いる事はもちろん、商品の意匠などに使用することもシルフィードでは法律で厳しく禁じられていた。桜花はカラティア家のみが用いる意匠なのだ。だが、花ではなく星座なら何の問題もない。アプサラス三世は一つの中心星と五つの花弁星からなる桜花星を桜花、すなわちエルネスティーネの友として選んだのである。
ティアナは心の中で胸にあふれる感謝を表す言葉をあれこれ考えては消していた。そしてそのどれもが相応しくないと思い、どれもが足りないと感じていた。そして、こみ上げる熱い涙を頬に感じながらしばし沈黙し、ようやくただ一つの言葉を口にした。
「ありがとうございます。国王陛下」
その言葉にアプサラス三世は満足そうに大きくうなずくと、良く響く声で部屋にいる者全員に告げた。
「名残惜しいがそろそろ時間だ。お前達の旅に全ての精霊の祝福があらんことを」
ティアナはもう一度、今度は普通の礼をした。
そんなティアナの横顔を、エルネスティーネとイースは、そっくりの優しいまなざしでじっと見つめ続けていた。
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