第十一話 ティアナ・ミュンヒハウゼン 5/6


「そうそう、エリー……じゃなかった、ネスティ。出発前に念のために尋ねておくよ」

 ハロウィンは少しトーンを落としてエルネスティーネに声をかけた。

「はい」

 張りのある明朗な声でエルネスティーネはすかさず答えた。

 エルネスティーネの声は大きくはなかったが、短い明瞭な返事はまっすぐに全員の心に響いた。ティアナはまるで青空のような心地よい声だと思った。王宮ではあまり聞けないエルネスティーネの明るい声である。

「元気な声だ。実に楽しそうだね」

 ハロウィンにそう言われると、エルネスティーネは顔を輝かせた。

「それはもう! なにしろ……」

 これから始まる冒険の旅を夢見てか、興奮を隠さないエルネスティーネが弾んだ声で答えると、ハロウィンは手を挙げてその言葉を途中で制した。そして先ほどの軽さとはうって変わり、別人のように鋭く厳しい声でエルネスティーネに問うた。

「お前はこれから始まる旅における自分の使命を本当に理解していると言うんだね?」

 その言葉に、前のめり気味になっていたエルネスティーネはゆっくりと肩を落とし、少しだけ目を伏せてうなずいた。

「私はこの時のために存在しておりました。むろん、とうに覚悟は出来ています」

「そうか、わかった。それなら私は、もうその件については何も言うまい」


 エルネスティーネに対するこのハロウィンの言葉を聞き取った瞬間、ティアナは生来の勝ち気な性格が前面に出た。もちろん、それはエルネスティーネへの忠誠心からのものであった。

「こやつ、たかが主治医の分際で我がシルフィード王国の姫君に向かってお前呼ばわりとは!」

「おやめなさい、ティアナ」

 エルネスティーネはティアナの反応を予期していたような落ち着いた声で供を制した。

「ですが、我が姫」

「先ほど言ったとおり、本日いまより我らは姫とその従者ではありませぬ。あなたも私もただの旅の仲間という立場なのです」

「とはいえ、こやつからは先程来、姫を敬い守ろうとする気持ちが感じられません。そもそもあのヘラヘラと軽薄な物言い。大元帥閣下、なぜよりによってこのような不遜な者を護衛に選ばれたのですか?」

 ティアナはそう言うと、もはや周りをはばからず、ハロウィンに敵意をむき出しにした。

「口がすぎます、ティアナ」

 エルネスティーネは今度は少し強い語調でそう言った。

 サミュエルはそんなエルネスティーネを目で制すと、右手に持っていた杖を目の前に移し、両手で支えるようにしてティアナに対峙した。

「ティアナよ」

「はい」

「これが今考えられる最良の人選なのだよ」

「しかし」

「リューヴアーク先生の持っている知識はおそらくはファランドールでも屈指といえるのじゃ。そこら辺の学者や軍師風情など、束になっても敵わぬわい。訳あって一つところに長くとどまらずにファランドール各地をふらふらしている風来坊故、おぬしの目からすれば多少浮き世離れしている様子があるのかも知れん。だがリューヴアークの家系は、実は代々カラティア家の私的な主治医であり、相談役でもある。それに、お前は知らぬだろうがエルネスティーネ姫を王妃さまのお腹から取り上げたのはリューヴアーク先生ご自身なのだよ、ティアナ」

 そこまで言われて、ティアナはさすがにでかかったものを呑み込まざるを得なかった。

「今回の旅では、エルネスティーネ姫は姫ではなく本当に町の娘として扱われることになる。おそらくお主達の中で一番覚悟がいるのがエルネスティーネ姫じゃろう。その覚悟を出発前に尋ねて何が悪い?」

 ティアナはまだ何か言いたげであったが、確かにその通りであった。客観的に見れば激高したのは個人的にハロウィンが気に入らなかったから必要以上に感情が高ぶった故であろう。ある意味、図星を付かれてティアナは声がなかった。


「わっはっは」

 そんなティアナの激高ぶりを見て、アプサラス三世は満足そうに声を出して笑った。

「バード長。本当に心根のいい弟子を持っておられる」

 サミュエル・ミドオーバは両手に持っていた杖を握り締め直すと、少し掲げて高らかな笑い声を上げた。それはまんざらではない、という意味を表しているのはティアナにはよくわかった。

「フォッホッホ。何しろ今見たとおりでございます。黙っていれば怜悧な思索家に見えなくもありませんが、心はノーム山の溶岩より熱いと申し上げても過言ではありますまい。我が弟子では過去最高のきかん坊ですが、まあ、リューヴアーク先生とは良いコンビになるでしょうな」

「まさに。わっはっは」

 アプサラス三世も楽しそうに声を上げて笑った。

「御前でのご無礼、誠に申し訳ございません」

 ティアナ・ミュンヒハウゼンは国王と近衛軍大元帥の屈託なく笑う声を不思議な思いで聞きながら、深く頭を下げて再びわびた。

「なに、わしに謝ることはない。ただ、師としてこれだけはくれぐれも言っておきたい。ハロウィン・リューヴアークという人間に心を許し、仲良くしろなどということは敢えて求めん。しかしな、軽薄とお主が感じているリューヴアーク先生の行動にはいつも必ず意味があると知れ。そしてリューヴアーク先生の行動は、お前さんの理解を超越した真実に依るものだと心に銘記せよ。既に覚醒した水のエレメンタルであるルネ・ルーをずっと秘匿しつつ守り育ててきたお方なのだぞ、信じる事じゃ。もっとも、まあ、そのあたりは付き合ってみればおいおい解ろう。あとはお前さんが与えられた任務をお前さんらしく遂行してくれればよい。いや、むしろ旅を楽しんで欲しい。長い長い旅になるじゃろうからの。これがワシからお前への餞の言葉じゃ」


「委細承知いたしました」

 そう答えたティアナだが、この時ふとある疑問が湧いた。

「恐れながら一つだけお尋ねしたい事がございます」

「シルフィードの宝石、王女エルネスティーネ様がエッダから、いやシルフィードから居なくなると、城の者だけでなく国民が動揺いたしませぬか? またお忍びとはいえ、エレメンタルが居なくなるということはすなわち何かの行動を起こしたのだと、すぐに諸外国や教会筋には知れてしまうのではございませぬか?」

 サミュエルはティアナの質問を聞いてニヤリと笑った。

 ハロウィンとルネも顔を見合わせてにっこりとしている。

 それはまるで、ティアナのその質問を待ちかまえていたかのような雰囲気であった。

 ティアナの戸惑う表情を見てクスクスとエルネスティーネが笑った。

(これは、なんだか雰囲気がおかしい)

 ティアナは動悸が速くなるのを感じた。


「紹介が遅れてすまんな、ティアナ」

 だが、ティアナの不安は長くは続かなかった。

 アプサラス三世が微笑みながらティアナに優しくそう声をかけた後、すぐに控えの間に向かってこう呼びかけたのだ。

「エルネスティーネ。入りなさい」

「え?」

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