第十一話 ティアナ・ミュンヒハウゼン 3/6
「まさか、大元帥閣下。護衛というのはこの子供も、なのでしょうか?」
ティアナの質問には、サミュエルよりも先に国王が答えた。
「余から紹介しよう。表向きには顔も名も出ることはないが、我が主治医のハロウィン・リューヴアーク殿。そしてとなりのご婦人は、その助手のルネ・ルー殿だ。二人ともエルネスティーネの頼もしい道連れとなろう」
「されど」
相手が国王とあっては噛みつくわけにもいかず、ティアナは口ごもった。それを見てサミュエルは楽しそうに笑うとこう言った。
「道中、医者は必要じゃよ。ふぉっふぉっふぉ」
眉を吊り上げてサミュエルをにらみ付けるティアナを見ていた帽子のアルヴが口を開いた。だが、その口調はおよそ戦闘に関係する人間とは思えないのんびりとしたものであった。
「いやあ、エリーはすこぶる付きに丈夫で驚くほど健康だから、実際問題として医者はいらないかもしれないけどねえ。はっはっは」
国王にして自らの主治医と言わしめたその旅装束の男の、その冗談めかした軽い物言いはティアナの第一印象をそうとう悪くしたのは言うまでもない。そしてその第一印象は後々まで尾を引くことになるのだが、それはまた別の話としよう。
「まさか、本当にこれだけの人員で王女を護衛できるとお思いなのですか? 大元帥閣下」
ティアナは怒りで殆ど声を震わせていた。
「隠密じゃ。あまり目立つような大部隊を組むわけにも行くまい?」
「護衛部隊を別働隊として組織し、つかず離れずで守りを厚くする事くらいは常識の範囲で可能でありましょう?」
「だーめだめ。目立つよ、そんなの。それじゃまるで、その部隊を見た人間に『近くに重要人物がいますよ』と宣伝しているようなものじゃないか」
ハロウィンがおやおや、と窘めるようにティアナに言った。
もちろん、ティアナはますます頭に来た。
「気付かれないようにすればいい話であろう。その道に長けた部隊を組織すればいいだけのこと」
「でも、相手が同じようにその道に長けてたら意味がないでしょ?」
「それは」
くってかかったては見たものの、そう切り替えされてティアナは言葉に詰まった。
「そういう訳ありげな部隊が入り込まないかどうかなんて、各国の要衝ではアタリマエにチェックしてるはずでしょ? その部隊が圧倒的に優れていると決まってるならまだしも、相手がわからないのにそれは無理」
ティアナは唇を噛んだ。
「旅と言うが、いったいどこに行こうと言うのだ」
「行く先はまあ、ともかく、少人数でかつまったく軍の関係者に見えない事が隠密行動には重要なんだよ」
「だが、そもそもいざとなった時にあなた達のような医者と子供に姫を守れるのですか?」
「おやおやあ? あなたはものすごく強い兵士だとうかがったのですが?」
ハロウィンはそういうとサミュエルの方をみやった。
「私一人だけではどうにもできない事があるっ」
「それじゃあ聞くけど、いったい何人いたらあらゆる出来事をどうにかできるって言うんだい? 人数の問題ならさ、向こうが五人だったら六人いればいいのかな? 相手が百人だったらこっちは百一人いればいいって事?」
「う。それは」
「それでもう一度聞くけど、相手の人数って何人さ?」
「それは……こっちが聞きたい事だ」
二人のやりとりを黙って見守っていたサミュエル・ミドオーバ近衛軍大元帥だが、ここでようやく割って入った。
「ティアナよ。この旅はすなわち、王女の正体が敵対する者にばれた時点で終わりだと思いなさい」
「なんですと?」
「もちろん、何かあった時の事を全く考えていない、という意味ではない。ハロウィン殿は医者だが、ただの医者というだけではなく呪医でもある。そして助手のルネは、一対一で戦えばおそらくお前さんよりは遙かに強いよ。いや、闘いにすらなるまい」
「まさか」
ティアナはルネをみやった。
目が合うと、腰まである長く真っ赤な巻き毛をした丸顔の小さなデュナン、ルネ・ルーはティアナにニコっと笑って見せた。それはどう見ても普通の十一,二歳の子供が見せる屈託のない仕草だった。
ティアナはサミュエルをにらみ付けた。
「お戯れを」
「ティアナよ」
静かな声をかけたのはアプサラス三世だった。
「お前には隠さず言っておこう。ルネ・ルーは水の精霊の力を得たフェアリーだ」
「はっ」
「そして、ただのフェアリーではない。……この意味がわかるか?」
「いえ……え? ま、まさか?」
ティアナは息を呑んだ。続く言葉がすぐに出なかったのだ。
アプサラス三世はうなずいた。
「そのまさか、だ。エルネスティーネがそうであるように、ファランドールに千年に一度、たった四人現れる特別なフェアリーの一人なのだよ」
ティアナが驚いて何かを言おうとしたところにハロウィンがそれを遮るように続けた。
「はっきり言っておこう。ルネは水のエレメンタルさ。そして、これはファランドール広しといえどもほとんど誰も知らない内緒の事だからね。この意味は君でもわかるよね?」
ティアナは「君でも」という言い方にカチンと来たが、それについて口を開く事は自重した。代わりにハロウィンを睨み据えた。
そんなティアナをなだめるように、落ち着いた声色でサミュエルが補足した。
「そして未だ『力の卵』たるエルネスティーネと違い、この子は既に覚醒したエレメンタルなんじゃよ」
この事実を聞かされたティアナはおぼろげながらようやくここで一体何が始まろうとしているのかを理解し始めていた。
「行く先は、もしや?」
ティアナは、我が師を仰いだ。エレメンタルと聞いて思いつく場所があったのだ。
サミュエルは弟子にうなずいてみせた。
「左様。お前達がたどり着くべきはおそらく『マーリンの座』じゃ。しかし、それはあくまでも最終目的地であって、真っ直ぐそこへ向かうわけではない。お前達はまず他のエレメンタルを探す旅をすることになる。具体的にはまだ見ぬ地精と炎精を探す旅だ。そして彼らとの同盟を築くこと。それこそがが使命となる」
ティアナは予想していた答えが返ってきたにもかかわらず、絶句した。
「マーリンの座」
それはファランドールの歴史物語のごくはじめに登場する伝説上の地名である。伝説上の地と断ったのは、有史以来、実際にそこを訪れたという者の既述が存在しないからである。そこは昔も今も、マーリン正教会の本山が置かれている場所、すなわちヴェリタスのもっとも奥にあると伝えられてはいるが、「奥」という表現が曲者で、ヴェリタスに存在するとは限らないのである。そもそもそこは誰の目にも触れる事はないという。故に誰も、正教会の関係者にすらその存在を証明できる者はいないのだ。
大いなる力を持つ「聖者」と呼ばれる者達に守られているとされるその地に、足を踏み入れることが許されているのは、大神マーリンに祝福された特別な者だけだという。それはすなわち、千年に一度現れるとされる四人のエレメンタルである。
伝説上のその「マーリンの座に入場する事を許された者」が、今こうして目の前に二人もいる事実にティアナは軽い目まいを覚えた。荷が重すぎると感じたからである。つまりここへ来てようやく自分がとんでもない要求をされていることを理解したのである。
「私にそのような大役が務まりましょうか? 二人ものエレメンタルさまの護衛など」
ティアナがそう問いかけると、そこでようやくエルネスティーネが口を開いた。
「勘違いしないで、ティアナ」
それはティアナが知っているいつもの王女エルネスティーネの声だった。いや、ティアナはその声にいつもよりもむしろ張りを感じた。
「エリー姫」
ティアナは声の主であるエルネスティーネを見やった。
「あなたは私の護衛などではありません。旅の供、いえ、旅の仲間なのですよ。私もあなたも同じ仲間。この王宮を出たところから、私は王女エルネスティーネではなく、エリー姫でもないのです。旅仲間の……そうね、エリーじゃなくてネスティと呼んでちょうだいな。そしてあなたも、ティアナ・ミュンヒハウゼン中尉ではなく、ただのティアナになるのですよ」
「そう言うわけにはまいりません、我が姫」
「いや、ティアナよ。エリーの言う通りだ。いや、今日これからはネスティか。なかなかいい名前ではないか」
アプサラス三世がティアナに諭すように言った。
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