第十一話 ティアナ・ミュンヒハウゼン 4/6

(いや、そうじゃない)

 ティアナは困惑してサミュエルを見やった。

 シルフィードの王はティアナのその様子を優しいまなざしで見つめ、サミュエルに微笑んでみせた。

「ミュンヒハウゼン中尉というのはまさにウワサ通りの堅物ですな」

 恐れ入りますと、サミュエルは軽く一礼をした。

「そこが玉に瑕でしてな。融通が利かないと申しますか」

「あいわかった。ならばこうしようではないか」

 アプサラス三世は真顔になってティアナの方に向くと、改まった声でティアナに語りかけた。

「ティアナ・ミュンヒハウゼン中尉」

「はっ」

「カラティア朝シルフィード王国国王である余の勅命である。二人のエレメンタルの護衛ではなく仲間として、『マーリンの座』へと赴く旅に出てもらう。これは我が国家のみならず、アルヴ族の存亡、ひいてはファランドール全体に関わる最重要の作戦であり、失敗は決して許されない。道中、エルネスティーネもルネもエレメンタルであることは隠さねばならない。特にエルネスティーネは現在唯一、世界中にあまねく名の知られたエレメンタルである。王宮を出ることすなわち、多くの危険に身をさらすことに他ならぬ」

「はっ」

「故に、ただの民間人として旅をせねばならぬ。わかるな、ティアナ」

「は」

「ただの民間人に姫や中尉がいてはおかしかろう? そうではないか? ティアナ」

「ぎ……御意」

「突然夜中に招集したのも、すべてはこれ隠密行動の為。お前に頼むことはずいぶん前に決まっていたのだ。出発の準備は整っておる。双朔月である今夜はバード庁の房には月読達も居らぬ。すなわち闇に紛れて王宮を出でよ」

「はっ」

 国王アプサラス三世の言葉に対してティアナはただかしこまるだけであった。そんなティアナに王女が優しい声を掛けた。

「ティアナ、あなたは私たちを守ろうという重い責任を感じる必要はないのですよ。何かあったときには、仲間がみんなで力を合わせて乗り切ればいいだけの事。あなたができない事をルネはできる。きっと私にもできることがある。私たちにできないことがあなたにできるのと同じ事。それからハロウ……ハロウィン先生にも先生にしかできないことがおありで、それでみんなが助け合って旅を続けられるのではないかしら?」

「左様。まさに、護衛ではなく余の娘の旅の仲間として、お前を選んだのだよ、ティアナ。エルネスティーネのたっての頼みでもあり、バード長の推薦でもある。しかるに余も心から信頼を置いてお前にこの役を託したいと思う。我が妻がもし健在であれば同様に今夜この場所でお前の手を取り精霊の言葉でお前を祝福するであろう」

 娘の後を継いでそう言った後で、国王はさらに優しい声でつづけてこう付け加えた。

「余の一生涯の頼みだ。引き受けてはもらえぬかな?」

「陛下……」

「単なる護衛であれば軍の中から剣の腕前がたつ高位のフェアリーを、そしてバード達の中でルーンの達人を選べば良かろう。だがそれは我が娘の共と、いや友と呼べようか? だから余はお前を選んだ。その意味がわかるな?」

「……」

「我が娘が心から信じている人間こそがその娘の仲間になりうると確信しておるからじゃよ、エッダのティアナ・ミュンヒハウゼン殿」


 アプサラス三世の言葉にティアナはこれ以上は不可能な程、深く頭を垂れた」

 本人にも思いがけぬ事であったが、国王の言葉に思わず涙が溢れ、その一筋がほほを伝った。

 国王が勅命という理由付けをしてまで、自分を信頼してくれているという思いが素直にティアナの心を打ったのだ。アプサラス三世の声はそれほど優しいものだったし、サミュエルが誇らしげに弟子の自分を見るその目にも曇りがなかった。もとより、シルフィード王国に命を捧げた身である。ティアナは深く、今一度さらに深く頭を垂れた。

「身に余る光栄。この命にかえても」

 王はティアナに優しくうなずいた。

「顔を上げなさい。それからその挨拶はもう二度としてはならぬ。お前は今から軍人ではないのだ」

「はい」

「さてさて時間がない。名残惜しいが出発してもらおう。着替えも控えの間に用意させているし、装備の心配も無用だ。これからの予定や大まかな事情は道中、ハロウィン殿に尋ねるがいい。とりあえずは急ぎサラマンダの北方の町、ランダールに行ってもらう事になる」

「ランダール……またなぜ?」

 エルネスティーネの旅の装束を見ながら、あの姿で持てる武器はせいぜいマントで隠れる短剣程度であろうと計算していたティアナは、突然思ってもいなかったサラマンダ辺境の町の名を告げられて意外そうな顔を近衛隊大元帥に向けた。

「そこに、第三のエレメンタルさまが?」

 サミュエルは首を横に振った。

「残り二人のエレメンタルの情報はまだない。そこでお前さんの不安を一つだけ解消してやろうというのじゃ」

「不安の、解消でございますか?」

「左様。その町で心強い味方と合流してもらう手筈になっておるのじゃ」

「お味方?」

「心の準備もあろう。なので先に言っておく。お前達を出迎えるのはユグセル公爵ご一行じゃ」

「ユグセル公爵というと」

 ティアナはその名に覚えがあった。もっとも、よい印象で記憶していたわけではなかった。

「まさか、ル=キリアが護衛につくのですか?」

「ル=キリアと言っても、お前達に合流するのは公爵、いやユグセル海軍中将以下、四名の小隊じゃ。頭数としては安心するほどのものにはならぬが、戦力的にはお前の気苦労は軽減されるじゃろう。さっきも言ったようにお前達は民間の商人じゃ。あまり大所帯にするわけにはいかんのでな」

 ユグセル中将が護衛につくと聞き、ぎりぎりまで高まっていたティアナの緊張が少し解けた。ただ、ル=キリアは近衛軍の仲間うちでも「アルヴ族にあるまじき卑怯な殺人集団」と忌み語と供に呼ばれる部隊である。王宮内が主な仕事場であるティアナはユグセル中将と直接対面したことはない。従って巷間溢れる噂だけが彼女がアプリリアージェ・ユグセルという人間を形成する要素になっていた。つまり、いい印象は持っていなかったのである。


「ル=キリア!」

 軍の通常司令体系には属さぬ、完全に独立した遊撃部隊。しかも国王直轄。しかし実質的には独自の判断で行動しており、王国軍大元帥ガルフ・キャンタビレイの指示にすら従う事がないとされる一団の名である。

「目的のためには一つの村ごと、たとえそれが非戦闘員の女子供であっても容赦なく皆殺しにする」とまで噂されている。ティアナにしてみれば、まさにシルフィード王国の暗部ともいえる存在だった。


「偏狭とは言えランダールは大きな町だ。道もいいし、そこまでは出来るだけ目立たないように幌付きの馬車だけでいくつもりだ。なあに、時間はかかるけど、寝てるだけの気楽な旅さ」

 軽い調子でハロウィン・リューヴアークがティアナに声をかけた。

「よろしく頼むよ、ミュンヒハウゼンさん」

 そう言って差し出された右手を、しかしティアナは無視した。

「ティアナでいい。リューヴアーク先生」

 大事の前というのに妙に軽くて気が抜けたような……つまりは軽薄に見えるハロウィン・リューヴアークに、ティアナは心を開くことはあるまいと確信していた。だが道中を供にする仲間だと言われればそれなりの付き合いが続く。ティアナはハロウィンとの関係を悪くするような態度は避けるべきだと自分に言い聞かせながらも、事務的なやりとり以上の会話をしようとも思わなかった。

 しかし、実際の口調と態度は、端から見ればあからさまによそよそしかった。

「じゃあ、私の事もハロウと呼んでくれればいいよ。あと、『先生』はいらないさ。そう呼ばれるほどバカじゃないしね。」

 あくまでも軽い振る舞いをとるハロウィンは、握手を無視された事実も何のその。そう言ってティアナにウィンクしてみせた。ティアナはそれを見るともはや不愉快な様子を隠しもせずに目を逸らした。

 ティアナには、なぜこんな男が非公式な主治医として国王や近衛軍大元帥にしてバードの長である見識ある人物に全幅の信頼を置かれているのかが全く理解できなかった。

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