第十二話 ハロウィン・リューヴアーク 1/2

 ハロウィン・リューヴアークは呪医という触れ込みになっていた。

 もちろんそれは偽りなどではなく、彼は本当に呪医なのだが、ランダールに向かう乗り合いの馬車に揺られる彼の連れ達の顔ぶれは旅医者の道連れとしてはなかなかに異色と言えた。


 腰まである赤い巻き毛が印象的な、空色の瞳を持つデュナンの幼い少女は地味な旅装束にもかかわらず、その髪の色でひときわ目立っていたし、その向かいで背筋をピンと伸ばし、緑色の瞳を輝かせながら車窓に流れる風景を物珍しそうに眺めているのは、いわゆる「適齢期」のアルヴィンの少女。

 そのアルヴィンの少女よりも少し落ち着いた雰囲気を醸し出しながら隣に座っているのは、肩に掛かる栗色の癖毛を持つデュナンの娘で、その物憂げな鳶色の瞳が特徴的だった。

 その少女の斜め前、丁度ハロウィンの向かいに座っているのはアルヴの血をしっかりと受け継いでいる事が一目でわかる、切れ長の瞳を持つ精悍な成人の女で、珍しい真っ白な髪が印象的だった。

 呪医のハロウィン・リューヴアークの見てくれはといえばいわゆるアルヴスパイアと思われる重厚そうに見えてその実、羽のように軽い素材でできた黒いフード付きの長いマントを羽織り、癖のある長髪と豊かな髭は金髪で、その瞳は深い緑色といった、こちらもアルヴらしい容貌であった。その年齢だが、二十代半ばと言われれば納得ができなくもないものの、見る角度によれば四十代にも見えた。もっとも成人アルヴの年齢は外観ではわかりにくい。この細い顎をもつ端正な顔立ちの呪医の実年齢はそういうわけで不明であった。


 シルフィード王国の首都エッダからやって来た、この五人組の移動は、陸路に関しては殆ど馬車によって行われていた。

 ようやくたどりついた城塞の町ランダールで街道馬車から降りた赤毛のデュナンの少女は、その開放感を体全体で表現するかのように、両手を空に向けると思いっきり伸びをした。

「うーん……気持ちええワぁ! ずっーと馬車の中で、こう、じっとしてたかラ、もうちょっとで体が固まるかと思うタわ」

 それを見た長い金髪のアルヴィンの少女もそれを真似た。

「うーーん……。あら、本当に気持ちがいいですわ」

「あ、じゃあね、じゃあね、ネスティにこれも教えてあげるワ。気持ちええのヨ」

 赤毛の少女は左腕をまっすぐ前方に突き出すとぐっと空気を握りしめ、その左腕を右腕で下側から肘あたりを抱き込むようにゆっくり手前に引っ張った。

「これを両方の腕でやるんヨ」

「こうやって」

「そうそう、こうやって」

「あら、ちょっと痛い感じがまた気持ちいいですわ。ルネは色々な事を知っているのですね。そうね、こう言うのを……」

「こう言うのヲ?」

「『板の上でも全然』、と言うのですね」

「それを言うなラ『石』ヤって」

「あら、そうですの? ルネは物知りですねえ」

「えへへ。まあ、これもマーリンの思し召しやヨ」


 ルネと呼ばれた独特の抑揚で喋る赤毛の少女は、笑顔のエルネスティーネに褒められると、照れ隠しのようにハロウィンの方を見た。ハロウィンは一行の簡単な筋体操の様子をいつものようにニコニコとした顔で見守っていたが、少し離れて直立している白髪の女アルヴを認めると声をかけた。

「ティアナ、君には一度聞こうと思っていたのだが」

「何だ」

 ティアナはさも面倒だという事を精一杯声色に含めて答えてみせた。

「いや、他でもないがネスティがごくたまに……いや、時々用いる表現上の誤謬についてなんだが」

 ハロウィンのその言葉を聞くと、白髪のアルヴは眉間に皺を寄せてその美しい顔を歪ませた。

「人には向き不向きというものがある」

「そりゃあ、そうだね」

「全くダメダメだったのは本物の姫の方だったとは。結構まともな時もあると思っていたが、今思えばそちらはイース様だったと言う事か」

「今のは独り言?」

「そうだ。だから突っ込むな」


 ハロウィンはいつものようにとりつく島もないティアナの態度を見て苦笑するしかなかった。出発してから一貫して変わらないところが律儀な正確を表していると思うと、さらに笑いがこみ上げてきた。しかしそれを悟られないように何食わぬ顔で会話を続行した。 

「ところで君も体を伸ばしておいた方がいいよ、ティアナ。さすがの君も一晩中馬車に揺られるとこたえるだろ? あの馬車は私達アルヴにはちょっと狭すぎたようだしね」

「このような事できさまに偉そうに指示されるいわれはない」

 ティアナはそう言うと白い前髪を手で軽くハネ上げて見せた。

「それよりもゆっくり座れる、そうだな、ソファのある店で食事にしよう。エリー……いえ、ネスティ様にはあの詰め物のない木の椅子は酷に過ぎる」

「あら、ティアナ。私は平気よ。もう一日くらいなら乗っていられることよ。そうそう、あれよ。ほら、『メシに布団は掛けられない』って言うでしょう」

 エルネスティーネはティアナを見てにっこりと笑うと小さく首をかしげてそう言った。


「リューヴアーク殿」

 ティアナは声を殺してハロウィンに囁いた。

「恥を忍んで訪ねるが、ネスティ様は今、いったい何の事を?」

 ハロウィンは頭をかきながらすまなそうに答えた。

「たぶん、『石に布団は掛けられぬ』って言いたいんだろうけど、そもそもこの状況でそれを使う意味が私もまったくわからない。すまん」

「いや、かまわん」

「と言うか、さっきもこの話をしたが、ひょっとするとこれは君のせいじゃないのか? いったいネスティに何を吹き込んだんだ?」

「吹き込んだとは失敬な。渡しただけだ」

「渡した? 何を?」

「か……」

「か?」

「か、格言・諺パズルだ」

 ティアナの答えを聞いて、ハロウィンはぽんと手を打った。

「ああ、あの一つの諺を三つくらいにバラした木片がしこたまあって、その中から正しい言葉を選んで諺を完成させるという、アレかい?」

「うむ」

「で、それがなぜこんな事に?」

「そのパズルをお渡しした直後、つまり正しい文章というか教材としての使い方をお伝えする前に私は特命を受けてしまったのだ。別の仕事で長期ネスティ様にお会いできなかった」

「ふむ」

「久しぶりにお会いしてみたら、アレは教材ではなく、言葉遊びの遊具と化していて、すでにあの状態だった」

「修正は?」

「むろん試みた。しかし」

 ティアナはそこで言葉を詰まらせ、苦しそうな顔でうつむいた。

「わ、わかった。もういいよ。確かネスティはかなり思い込みの激しい性格だったね。しかも思い込んだら一筋だ」

「うむ」

 ティアナとハロウィンは奇しくも同時に小さなため息をついた。


 ネスティはというと、もちろんそんな二人のひそひそ声のやりとりなどどこ吹く風だった。

「お二方!」

 自分達がネスティに呼ばれていることを認識したハロウィンとティアナはハッとして顔を上げた。

「何度も申し上げていますけれど、やっとネスティと呼んでくれるようになったというのに『様』を付けてしまうと意味がありませんわ。『様』は無しでって決めたでしょう?」

「そうそう、ネスティはただのネスティやヨ、ティアナ」

 ルネは長身のティアナのそばに寄ってにっこり笑うと、ティアナのマントを引っ張った。

「ホラホラ、ティアナ。またココに皺が寄ってルで」

 ルネは自分の眉間を指さして見せた。

「な……」

 ティアナ・ミュンヒハウゼンはムッとした顔をすると、赤毛の巻き毛が小さいルネ・ルーを見下ろした。だが、そのそばかすだらけの屈託のないかわいらしい笑顔を見ると思わず顔が和らいだ。ルネの笑顔はティアナにはなぜか慈愛に満ちた母親の笑顔のように見えるのだ。それは心に優しくしみてくる気がした。

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