第八話 賢者とエレメンタル 4/4

 ファルケンハインは思い出したようにアトラックをみやった。

「すまんな」

「いえ、部隊では爵位なんて関係ないですから」

 アトラックは頭を掻いた。

「それに、俺はもう爵位は継げませんしね」

「そうか。そうだったな」

 アプリリアージェはアトラックが注ぎ足した赤い液体を水のように呑みながら二人のやりとりを穏やかな微笑で聞いていたが、すぐにその液体が無くなると、アトラックの顔を見つつ口を開いた。

「これはもうカンと言うしかないのですが、賢者エイル・エイミイには我々の目的に直結するようなもっと大きな何かがあるような気がしてならないのです。彼がルルデ・フィリスティアードとそっくりだということ自体が運命的ですし、今まで数多くの作戦をこなしてきたにも関わらず、我々には遠い存在だった賢者という存在が、この作戦についたとたん実物と話が出来るほど近くになってしまったのですから」

 アトラックが再び注いだワインがなみなみと入ったグラスを持ち上げると、アプリリアージェはそれを一気に飲み干して見せた。

「それに、あなた達も気づいていたでしょう?」

「何をです?」

「コロコロと変化する賢者エイル・エイミイの雰囲気です。冷ややかではありますが比較的礼儀正しい言葉遣いの時の彼にはある種の少年らしい爽やかなものを感じることがありますが、相手を見下したような言葉遣いや古語を使うときの彼からは時に禍々しいエーテルさえ感じました」

「あ、俺も思ってました。妙に雰囲気が変わるヤツだな、と。それに」

「それに?」

「正直に言いますが、なぜか得体の知れない恐怖心みたいなものがこみ上げてきました。一瞬なんですが」

「そうか、お前もか」

「お前もって、レイン副司令も?」

「気取っても仕方あるまい。あんな少年なのに、鳥肌が立つほど気圧されたのは確かだ」

「あれはある種の二重人格というやつでしょうか?」

「私は多少精神医学の心得がありますが、彼の場合は単純にそう言う症例というわけでもないですね。それからこれは気づいているとは思いますが、彼は激高した物言いをしていても、実はぞっとするほど冷静です。頭に血が上ったような言動をする際の方がより緻密に言葉を選んでいるのではないかとすら感じました」

「そう言えば、例のマントを取った事といい」

 アプリリアージェは頷いた。

「あれはとっさに頭の中で台本を組み上げていたということでしょう。つまり自分の言うべき言葉すらも瞬時に計算されていたのでしょうね」

「うーむ。考えている以上に手強いという事ですか」

「若かろうが何だろうが、マーリンの賢者だからな」


 アトラックは空になったアプリリアージェのグラスに再びワインを注ぎ入れると、腕を組んで考え込んだ。

 確かに彼が知る二重人格の常識では、あそこまで何の変化もなく極めて一貫した行動ができる説明がつかなかった。二つの人格が全くの同じ目的のために助け合いながら共同作業をする事があるというならその例かもしれないが、それならそもそももう一つの人格を生み出す必要性が見えない。


「それからあの三ツ眼ですが、あれはいったい何なんでしょう?」

「俺は本当に第三の目があるとは思いませんでした。噂は大げさで、要するに化粧で目を書いてるとかそういう類のものだと思ってましたよ」

「確かにな。あれには驚いた」

「神であるマーリンは三ツ眼だったという説がありますからね、その眷属ならば三つ眼で当然といえるのかもしれませんが……。ひょっとするとあの目こそが賢者の力の源ととらえてもいいのかも知れませんね」

「ただの噂だとばかり思っていましたけど、実際にあの眼を見てしまうと賢者が尋常な存在ではないということは頭ではなく本能でそう思っちゃうところがあって怖いですね」

「そのあたりの謎も、賢者本人と旅をすればわかるかも知れんな」

「どちらにしろこの取り引きは【真赭の頤】に出会うまでは双方とも非常に利益がありますよ。平時はシルフィードのアルヴの商人一行、何か事がある場合はマーリン正教会の賢者とそのお付きの者に早変わり。どちらにしろシルフィードの国家が表に出ることはない」

「そうですね。教会の高位神職様は全世界で例外なく特権が行使できますし、ましてや賢者様ともなるとまさに何をやってもオッケーのお墨付きですからねえ」

「いや、何をやってもオッケーなんていうお墨付きなどないだろう?」

「そうでしたっけ?」

「外交特権というのはそういうものではない。アトラック、お前国際外交官法をきちんと勉強していないな?」

「俺の専門は国際通商法ですよ」

「通商だろうと特務部隊だろうと、外交官特権の詳細くらい一通り覚えておけ。特にあれだ。俗に『賢者法』と言われる第十三条はな」

「全部暗記してますよ、それくらい。俺の二つ名、忘れたんですか?」

「暗記している事と理解していることは同じではない」

「いや、そりゃそうですけど」


 アプリリアージェはアトラックとファルケンハインのやりとりには答えずに、思い出したようにつぶやいた。

「それより当面の問題は、明日ですね」

 アトラックとファルケンハインはアプリリアージェの言葉に顔を見合わせた。

「そうか」

「明日はシェリル達と合流する予定だった」

「エイルの姿を見たら」

「うむ、そりゃ問題だな」

「司令、どうするつもりです?」

 アプリリアージェは腕を組み、目を閉じてすこしうつむいた。

「その件についてはずっと考えていましたが」

「はい」

「なるようにしかならないでしょう」

「ええええ?」

 アトラックとファルケンハインは顔を見合わせた。アプリリアージェが目の前の問題に対して匙を投げるのは珍しいことだった。普通にしていても微笑んでいるように見えるアプリリアージェの表情だが、アトラック・スリーズにはその時ばかりはその美しいダークアルヴの褐色の眉間に縦皺が寄って見えた。

 もっとも今回の「問題」とは実は軍事や作戦面での戦略・戦術という事柄ではなく、人間関係の問題だけに、アプリリアージェの能力を疑うのはまったくお門違いだとは言えた。


 リーゼ……テンリーゼンはというと、我関せずといった風情で装備の点検と補充にかかっていた。

 体に装備していた細い矢筒や短剣などの武器を外すと、ルドルフが用意した補給品を入念に調べながら取捨選択をし、淡々と、そして黙々と補充作業を行っていた。


 カレナドリィの父にして蒸気亭の主であるルドルフ・ノイエは、シルフィード軍と極秘に取り引きのある人物であった。具体的な仕事はランダールにおける補給係だ。彼が活躍する場面は滅多になかったが、蒸気亭は主に秘密部隊の補給・連絡中継基地の機能を持っていた。情報拠点としては機能していなかったが、辺境にそういう拠点を築いていること自体が重要だと言えた。もちろん、見返りにランダールの自警団は比較的豊富な自警資金と有事の際に必要な武器を得ている事も見逃せない点だ。つまり相互の利益が一致していたのだ。

 アプリリアージェ一行がここに立ち寄ったのは決して偶然ではなく、むしろ「そんな場所」に立ち寄ってしまったのはエイル達の方なのである。


「念のために言っておきますが、ルルデの最後については、何があっても私が伝えたことだけが真実です」

 その後、長く続いた酒盛りが終わり、一行が司令官の部屋から引き上げようと腰を上げた時に、思い出したようにアプリリアージェはそう声をかけた。

「もちろん、承知しています」

 特産のワインで頬を赤く染めた黒髪のダークアルヴの少女は、部下の答えに満足そうにニッコリと微笑んでみせた。

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