第七話 暗珠の呪法 4/4
周りを見渡して呆然としているルドルフの所にエイルが風のようにやってきた。そして耳元で囁いた。
「混乱しなくていい。みんなはさっきのことを全部忘れてるんだ」
「忘れてるって……おまえさんは一体何を」
「直接オレが痛めつけたあの兵隊連中には効果はないんだけど、娘がらみで事件の印象が強すぎるあんたも同様、術はきかないだろうと思ってたよ」
「術だって?」
「みんなの嫌な記憶を消しただけのことさ」
「神の思し召しってやつか?」
「あんた、皮肉屋だな」
「マーリンの賢者さまはそんなこともできなさるのか」
「気持ち悪いから、いきなりそんな敬語を使わなくていいよ。怪しまれるし、第一オレは立場はどうあれ、見ての通りのガキだ。だから普通にしゃべってくれた方がありがたい」
「わかった」
そう言ってうなずいたルドルフのこめかみに脂汗が流れた。
「そうそう、ちょっと頼まれて欲しいんだけど、いいかな?」
「何だ?」
「自治警察……自警団の代表なんだろ? だったらコイツを馬車に積んで南側の町はずれまで送り届けてくれるように誰かに頼んでくれよ」
「それはいいが……」
「大丈夫さ。言葉の脅しだけじゃなくて、別に「恐怖の暗示」も奴らの心の奥に埋め込んでおいた。変な気を起こしたら死ぬほど恐ろしい気分におそわれるようにしてある。だからこいつらがもうこの町に戻ってくることはない。正教会の賢者として請け合う」
「わかった。言われたとおりにしよう」
ルドルフは、何だかわからないままだったが、エイルの指示には従うことにした。ランダールの町を大切にする彼にとって、それでこの場が何事もなかったかのように済むのであれば、それが何よりだった。
「ハンス、それにワイン、ちょっと手を貸してくれ。この兵隊さん達がつぶれちまって、馬車まで送り届けたいんだ」
「ほいきた」
「あいよ」
ルドルフに声をかけられた自警団……一人は入り口に一番近いところで先ほど矢を番えていた背の高い褐色の巻き毛の男で、もう一人はカウンター近くで片手剣を掲げていた金髪のがっちりとした大男だった。彼らはルドルフの指示で、入り口付近で気を失っている兵士達を外に駐めてあった大型の馬車に積み込んだ。
「あ、なんかみんなガケから落ちてケガしているらしいからそっとねー。そっと」
エイルは二人にそう声をかけると、喧噪の店内に戻った。もちろん、行く先はアプリリアージェ一行のところだった。
彼らは席について、行儀良くエイルの到着を待っていた。
アプリリアージェは立ち上がると恭しく礼をして、エイルが差し出したマントを受け取った。
「恐れ入ります。賢者さま」
そう言って顔を上げたその視線はエイルの額に向けられた。だが、もちろんもう第三の目は閉じられていた。
噂には聞いていた。
賢者とはマーリンから三つめの目を授かった者だと。
アプリリアージェは自分の目で目撃したにもかかわらず、信じられない……いや、信じたくないと思っていた。賢者はもはや人間ですらないのだろうか?
「いや、バレるからそういう呼び方はやめといて」
ル=キリア用にエイルと再び入れ代わったエルデはそう言って頭を掻きながら一行を見渡した。その場の空気は明らかに固かった。
「予想通りやっぱりあんたらには全然効いてへんなあ。なんでか高位のフェアリーには効きにくいねん」
「あれは?」
「『忘却の暗珠【あんじゅ】』や。簡単に言うと、直前に起こった強い印象に残る事件をきれいさっぱり忘れさせる呪法や」
「ひょっとするとあれで教会は都合の悪いことを隠蔽して信徒を騙しているのではないか、と信心の浅い私などは考えてしまうのですが」
ファルケンハインの質問にエイルは頭を掻いたまま苦笑いした。
「いやあ、それができたら便利なんやろうけど、あんな事ができる人間って、その辺の教会あたりにはまず居らへんから」
「より高位の者でないと使えない、と?」
「そうやなあ。高位……いわゆる神官言うても能力についちゃ色々やし、一般的な事を言うと司教や神官程度の連中に手が出せる術やない。つまり信者に直接どうのこうのというのはないっちゅうことや。それに見てのとおり全員に効くわけやないから危なっかしいし、この術自体を習得しているヤツはそもそも少ないやろな。ルドルフのおっちゃんとかカレンなんかは術者の俺との関わりが深くなってるから効かへんしな。たまたまここにいた連中は酒が入ってたし、直近のきわめて強烈な、しかも客観的な印象やから面白いほど簡単にかかったけどな」
「マーリンの賢者なら、【真赭の頤】を探しているというのもうなずける」
「まったく。しかも賢者に炎のフェアリーがいたってのも驚きだね」
『ん? フェアリー?』
[そう思わせとこうや]
『それに何の意味が?』
[勘違いは多い方が助かる。こいつらに俺らの手の内を見せることはあらへん]
『ふむ』
「まあ、賢者と言うても色々な奴らがおるからな」
「あの剣術も構えからしてかなり独特なようだが、あれもマーリン正教会風なのか?」
「ああ……あれは……俺流かな」
「我流なのか。初めて見る構えと太刀筋だった」
「まあ、ね。それよりこれで俺の疑いは晴れたやろ? ルルデ・フィリスティアードっていう奴とは本当に会うたこともないし他人のそら似や。そんな事で俺がシルフィードの特殊部隊に付け狙われるのはちょっとごめん被りたいっちゅうか、こっちのいらぬ仕事が増えるっちゅうか」
アプリリアージェはにっこり笑うとうなずいた。
「邪魔するようならマーリンの賢者の名において排除する、と?」
「いや、そういう訳やないんやけど……こっちもあんたらの言いなりになるわけに行かん事情がいろいろあるって事や」
「失礼ながら、賢者さま。フェアリーと言ってもあの程度の力で我々四人を相手に勝てるとでも?」
これはファルケンハインだ。
顔は真顔で、声には冷静さが漂っていた。エルデは唇を少し噛んで見せた。
『あの程度ではこの連中には脅しにもならないか……』といった自嘲が混じった表情である。
だが、イヤミにはイヤミで返すのがエイル……いやエルデの流儀であった。さらにこの場では強気の方がいいだろうとエルデは判断した。
「店を焼いたらマズいから調整してたんやけど、お望みなら今ここで店の客が気づかんうちに一瞬であんたら全員を灰も残らんように蒸発させる事もできるで」
『灰にする、じゃなくて灰も残らないなんてできるのかよ?』
[俺を誰やと思ってんねん? 賢者の中でもその能力の高さで一目を置かれる大賢者【真赭の頤】をしてマーリン教の賢者会始まって以来と言わしめた……]
『わかったわかった』
[ま、もっともそんなことしてもうたら、この店の全員を巻き込むけどな]
『そりゃマズいだろ……』
[一瞬でガチガチに凍り付かせることもできるんやけどな。そっちやと凍らせた後にガラスみたいに個別破壊できるし、結構芸術的やし、効率的かもな]
『そういや、お前が使う攻撃系ルーンって炎系が多いよな』
[見た目が派手な方がええやん?]
『は? それだけの理由?』
[もちろんや。綺麗やん、赤い炎]
『……』
「こちらも一瞬で敵ののど笛に矢を放つこともできる」
ファルケンハインの動じない応酬にエイルはやれやれという感じで苦笑した。
「さすがというか何というか、アルヴは負けん気が強いなあ。そやけどアンタ見てへんかったんか? 俺に矢や刀は一切役に立たへん。いや、俺だけやのうてマーリンの賢者にはあんた達の物理的な攻撃なんか無効やと思っといた方がええで。死にたくなければ賢者には手を出さん事や。まあ、もっともその様子やと今まで賢者には会うたことがないようやな」
「なるほど。さっきの防御能力はあのドライアドのならず者に向けたものではなくて、私たちに自分の力を見せる為にだったということですね」
「そうか……。考えてみればあんな回りくどいことをせずに奴らが入ってきた時に、すぐ賢者だ、やめろと言えば事は終わったはずですね」
「わかってもらえるとありがたいんやけど……。お互いに、な」
[ま、あいつをぶん殴りたかっただけなんやけどな]
『だな』
「賢者エイミイ。失礼ながら、それは我々に対する脅しですか?」
「シルフィードの国王直轄部隊……それも『白面の悪魔』を脅すなんて、そんな恐ろしいことするかいな」
アプリリアージェの静かな問いかけにエイルは肩を竦めておどけて見せた。
「確かにあなたの特権を使いマーリンの賢者の名前において我々のことをサラマンダ政府に報告すれば我々でなくシルフィード……いえ、国王の政治的な立場は国際社会でかなり悪くなりますね。ご存じの通りの今の情勢下では極力避けたいところです」
アプリリアージェは微笑みを絶やさないながらも、小さくため息混じりにそう言った。
エイルはうなずいた。
「俺もあんた達と同じであまり、というか思いっきり目立ちたくないんや。だからそこまでしようなんて思ってへん。ただ、俺が言いたいのは」
エイルは一行を見渡して真顔になると、小さく、鋭く言い放った。
「俺の邪魔をするなら、本気でぶちのめす」
そしてニヤリと笑うとアプリリアージェに軽く礼をした。
「それだけや」
[我ながらええ啖呵やなあ。惚れる?]
『言ってろ』
マーリン正教会の賢者とシルフィード国王軍の提督との、ファランドールの政治情勢にとって影響を及ぼしかねない物騒な会見が密かに行われているともしらず、辺境の商業都市にある酒場はいつも通りの夜の喧噪の中にあった。
ただ、カウンターの隅に座っているアルヴの女吟遊詩人だけが彼らの方をそれとなく注目していた。
(「忘却の暗珠」を使うエイル・エイミイか。しかし、どうにも賢者とは思えない……いったい何者だ?)
彼女もまた、エイルの術が効いていない人物だった。
(任務の範囲外だけど、これはすこし仕掛けてみる必要がありそうだ)
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