第八話 賢者とエレメンタル 1/4

 マーリン正教会は全能神マーリンを信仰する宗教で、ファランドール中にあまねく信者が存在する最大規模の宗教である。

 本山はヴェリタス。ウンディーネの南部、ノーム山脈の中央部に紀元前より存在する、世界で最大かつ最も古い宗教でもある。

 組織が形式化・巨大化する中で既存の組織のあり方に疑問を持ち、改革を進めたものの結果として排除された一部の神官が、支持者とともに離反し新たな教義を掲げたのが、星歴三千五百年頃であるとされる。それが正教会から分裂・発足した新教、すなわちクリングラ派マーリン教である。

 本山はウンディーネ南部のノーム山脈の麓にあるヴェリーユ。正教会のヴェリタスとは数百キロしか離れていない。

 なおクリングラとはディーネ語で「聖なる力」という意味である

 新教会の教義を簡単に説明すると、乱れた世を直し人々の救済をするのはエレメンタルであり、そのエレメンタルやその眷属である特に強いエーテルの力を具現化できる精霊達を祀ることに依って現世利益が得られるという考え方である。

 三聖や賢者会といった上部組織の存在もあって、秘密主義ととられている正教会と違い、新教会は実質的な教義を盛り込んだ比較的奔放自由な宗教で、各地の伝承などにある英雄や神格化された土着精霊の概念などもエレメンタルの眷属であり、つまりは精霊として信仰対象に加えるなど、正教会では異端とされるアニミズム的な考えを取り込んでいる。それは親しみやすさに繋がり、短期間に信者を増やしている。

 ただし、正教会・新教会ともにいわゆる「帰依」を絶対としない上、双方ともお互いに排除行動をとってはいない。その為に、ファランドールの人々はその時の都合によって都合のいい方を使うといった、つまりは使い分けをするようになっており、言ってみれば微妙な共生が行われている状況であった。

 通常はマーリン正教会を正教、マーリン新教会を新教と呼び区別する。

 正教がどちらかというと厳しい戒律による自己救済を目的とした宗教であるのにたいし、新教は救世主到来を掲げ、現世的な救いを旨とする。その為か新教会は正教会を指して「小乗的宗教」と評することが多い。


 正教と新教の間には宗教論争が一応存在するが、既に述べたとおり、それほど表立った対立があるわけではない。

 これは一般には正教側が静観あるいは無視を決め込んでいるからだと見られているが、ファランドールの戦争の歴史と各国の軍事事情をある程度知る事ができる人間は違う考えを持っている。すなわち両教会の軍事力の差に起因する均衡だという考え方である。


 国家でもない宗教が軍事力を持つと聞くと奇異に聞こえるが、現実的に両教会は一つの国家体制といえるものを持っており、自衛に特化した組織を有している。それは警備隊という言葉を当てはめるには非現実的なほど強大であり、まさしく軍と言った方が理解しやすい。

 しかしその軍事力には両者で大きな違いがある。

 正教会には教会組織には組み入れられていない「賢者」と呼ばれる存在があり、彼らは実質的に教会を牛耳る立場にある。賢者を名乗る者は百五人いると言われており、彼らは唯一神であるマーリンが「合わせ月」の日に復活し、降臨する場所である「マーリンの座」を守護する「三聖」の配下にあって「賢者会」という組織を成している。

 賢者は皆、それぞれ特異な、そして強力なエーテルの力を有しており、特にその戦闘能力は高いとされる。過去の歴史書には賢者十人で十万人の大軍団を全滅させた事例が公式記録として残っている。もちろんそれは歴史の表面に出た事例であり、それとは別に明かされることのない軍事介入は多数行われていたであろう事は、いわば公然の秘密と言っていい。

 すなわち賢者そのもの、つまり人そのもの兵器であり軍事力であり、ヴェリタスには大がかりな弩弓や大量の弓矢や剣といった武器の備蓄などはないとされている。

「賢者」には正教会配下の組織にいる者から、老若男女問わずずば抜けた能力を持つものが選ばれるとされているが、その選考内容や実体については全く明かされていない。また百五人いると言われている賢者の名前や素性はほとんど外部に洩れることがない。

 正教会側の外交窓口としては、通常「賢者会」の下に位置する「神官」と呼ばれる地位にあるものがこれにあたる。したがって「賢者」が表に出ることはほとんどない。

 正教会に置ける重要案件はすべてこの「賢者会」がなすとされているが、こちらも組織や決定にいたる段階などの詳細はもちろん概要すら一切不明である。一節には、新教は主にこの「賢者」候補の選に漏れた不満分子である神官職が組織的に離反して作られたとされている。

 新教側の組織には「賢者」職はなく「堂頭」と呼ばれる代表者の直下に「神官」が来る形となっている。

 「賢者」が盾であり鉾でもありその武力の全てであり、それ以外の軍備、すなわち「僧兵」組織を持たない正教会に対して、新教会のそれは一般の国家に準じていてわかりやすい。すなわち訓練された僧兵からなる軍隊のような組織を有しているのである。その軍隊の長は「僧正」と呼ばれるルーナーで、一説には賢者と同等の力を持つとされる。

 大規模な軍隊組織を有しながらも新教側が弾圧活動などを一切行わないのは、正教会の賢者という存在が抑止力になっている為だと言えた。

 それはつまり「たった百五人」がいかに強力かつ重い存在なのかという証拠でもある。

 問題はその「均衡」がいつ崩れるのか、であろう。

「合わせ月」の日が間近に迫ってくるに従い、両者に対する各国の注目度も上がっていた。

 それは近いうちに両教会共通の聖地とされる「マーリンの座」を巡る争いが何らかの形で勃発するのではないかと考えられていたからだ。



「なるほど。今まで我々は教会側の情勢については殆ど知らされていませんでしたが、この状況下にあって実は彼らは極めて重要な位置にあるという事ですね」

 アトラック・スリーズに請われたファルケンハインが教会についての一般的な概略を披露し、アプリリアージェが自らの立場で知り得ている知識で補足を行い、ル=キリア一行は「賢者」に対する認識を共有する作業を行っていた。

「この程度の事も知らないとは【歩く図書館】が聞いて呆れるぞ」

「この世にある全ての書物を保管している図書館など存在しませんよ、副司令」

 最後に放たれたファルケンハインの嫌味を、アトラックはさらりとかわした。

「まあ確かに、お前の立場では知り得ない情報かもしれんな。軍人は命令されたことを遂行するのが本分だ。こういったことは司令部の特秘事項の範疇になる。従って俺が知っているのもこの程度にとどまる。とにかくもしも百五人全ての賢者の名前が載っている名簿があったとして、それを手に入れたら一生豪遊できるくらいの値段で取り引きされる事だけはまちがいないだろうな。賢者とはそれほどの要人だということだ」

「もっとも」

 ファルケンハインの説明にアプリリアージェが言葉を継いだ。

そんなものを普通の人間が手に入れてしまったら、一生豪遊どころか、それを手にした瞬間に誰かに奪われるでしょうね。命と一緒に」

 そして両手を合わせて打ち、乾いた音を立てた。

「この話はこれくらいにしておきましょう。あとは憶測にしかなりません。私たちはエイル・エイミイという賢者そのものを確保しました。運が良ければ内実は徐々にわかるでしょう」

 何か言いたげに自分を見たファルケンハインを、アプリリアージェは目で制した。

「もちろん、彼が真実を話すとは限りません。情報を取捨選択するのが我々の役目です。ただ」

 アプリリアージェはそこまで言うと窓のそばに歩み寄ると、建物の間から少し見える夜空を見上げた。そして独り言のようにこうつぶやいた。

「これは私の勝手な願いですが、できれば彼が私たちの本当の味方になってくれるといいですね」

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