第五話 蒸気亭 8/9

「フィリスティアードねえ……。そもそもそれってウンディーネ系にはない苗字だし、知り合いとか親戚にも俺が知る限りはそういう族名持った奴はいないなあ」

「やっぱり、他人のそら似ですか」

「そのルルデという人とあんた達はどういう関係なんだい?」

「それはあなたには関係のないこと」

 アプリリアージェはそういうとにっこりと笑った。とろけるような優しい笑顔だったが、相手の正体を知った今、エルデはその笑顔の裏に黒いものを見た気がした。

「あ、そりゃそうだよね。俺はまた自分が殺したと思った相手がなぜか生きててびっくりしてるのかと思っちゃった。あっはっは」


『おい』

[こうなったら、しゃあないって]


 エルデがそういって笑い声を上げた瞬間、アトラック・スリーズとファルケンハイン・レインが同時に立ち上がった。だがアプリリアージェはその二人を振り返ることなく、左手を少し上げてそれ以上の行動を制した。そしてにこやかな顔のままで静かな口調でエルデに言った。

「あなた、何者ですか? ただの辛いもの好きの旅の坊やじゃなさそうですね」


『別に辛いものはそれほど好きじゃないんだがな』

[同感や]


「あんたらこそ何者や? 特産品の卸売り人やなんて、白々しいにも程がある。もう少しマシな嘘をついた方がええで」

「白々しい、ですか? 先ほどはよくできた話だと?」

「そんな嫌味を言われるくらい白々しいっちゅうことやん」

「なるほど。高額のために、そう思った理由を聞かせてもらえますか、エイル君?」

「そんなもん、理由もクソもないやろ? あんたらからは、さっきから隠しきれへん血の臭いがプンプンするわ」

 エルデは俗に南部語と呼ばれるファランドールの標準語使うのをやめて、『地』である古語なまりでそう牽制した。


『おいってば』

[もう目をつけられてんねん。後ろから刺されるのはごめんやから牽制しとかんとな……それにウチ、南部語を長く使うのは肩こるねん]

『ウチ? というか、ここで刺されたらどうするんだよ』

[まあ、見たところ向こうもお忍びっぽいからそれはないやろ]

『いつもいつも、もめ事は極力起こすなとオレには言っているくせに、相変わらず自分勝手な奴だな。どうなってもオレは知らないからな』

[はいはい、おおきに]


 武器を隠しているのであろう。アトラックが懐にのばそうとした手をファルケンハイン・レインが目にもとまらぬ早業で掴んで止めた。目で問いかけるアトラックに対し、ファルケンハインはアプリリアージェを目で指し示しただけだった。

 この場は司令官である彼女に任せろという無言の命である。副司令と呼ばれるファルケンハインは、アトラックとの年齢の差もさることながらアプリリアージェとの付き合いが長いのであろう。場慣れしていると言ってよかった。

 エルデはそれを視界の端で捕らえ、すぐに攻撃される心配がないと判断すると落ち着いた口調で話を続けた。それはまったく子供らしくない肝の据わった態度で、この点だけでもアプリリアージェから「何者か?」と問われるだけの資質があると言えた。


「見たところ、向こうの仮面をかぶったお坊ちゃんが訳ありのお忍びで、男二人は腕に覚えのある用心棒ってところやな。で、リリア姉さんは用心棒の依頼主ってところか。どや? 当たらずとも遠からずやろ?」

 すでに正体を知りつつもそう言ってトボけて見せたのは、もちろんエルデの策略だった。だが、アプリリアージェのにこやかな表情には全く変化がなかった。

「ま。商売人気取るなら、もうちょっとそれらしい雰囲気やないと誰も信用せえへんってことや。いや、マジで」

 エルデはそれだけ言うと、きびすを返してその場を去ろうとしたが、アプリリアージェの方が放ってはおかなかった。

「待ってください」

「えー? まだ何か?」

 エルデは不満そうな声色でそういうと立ち止り、ゆっくりとアプリリアージェを振り返った。

「ご存じの通り、私たちアルヴ族は他の種族から見れば滑稽なほど面子を重んじるタチなのです。ですから奢られっぱなしは我々の流儀に反します。だいたいヨーグルト一杯とビール四杯では釣り合いがとれないですし。そもそも私はあなたの成果に対して純粋に感動してお役に立てればと思ってやった行為ですから、お返しをいただくなんてそんなつもりではありませんでした。失礼があった事はお詫びします」

「お。そやった。一人は子供やったな。ヨーグルトかこの辺の特産のコケモモのジュースとかの方がよかったかな。遠目やったから全員大人やと思ってん。堪忍な」

 エルデのそらぞらしい返答をアプリリアージェも泰然と無視した。

「こちらもあなたの見た目が若いから子供扱いしてしまって申し訳ありません。失礼しました。あなたはなかなか鋭い観察眼をお持ちのようですが、それは長い間旅をしている経験から来たものですか? そうそう、差し支えなければ、あなたが探しているという方を教えていただければお力になれるかもしれません。私たちもそれなりに諸国に通じていますから」


[さあ、ここからが勝負や]

『勝負?』


「ふーん。そいつは、おおきに。ではお言葉に甘えて言うけど、俺が探しているのは、シグ・ザルカバードっちゅう名前の禿げたアルヴのじいさんや」

「え?」

 ファルケンハインとアトラックが同時に声を発した。そしてさしものアプリリアージェも、その微笑みが一瞬固まったように見えた。それはエイルとエルデがアプリリアージェの表情に初めて見る変化でもあった。

 いや、顔色が変わったのはアプリリアージェ達だけではなかった。

「まさか、シグの爺さんを知ってんのか?」

 これは演技ではなかった。エルデは驚いてファルケンハインとアプリリアージェを見比べてたずねた。

「頼む、何か知ってるなら教えてくれ」

「エイル・エイミイ君……と言いましたね」

 少し目を伏せて、すぐに顔を上げたアプリリアージェの雰囲気が変わった。そこには先ほどのにこやかな優しい少女はもう居なかった。

 さっきと同様にアプリリアージェの目尻は下がっていて顔は笑っているいるように見えるのだが、どうやらそれが彼女の真顔のようだった。エルデがのぞき込んだアプリリアージェの緑色の瞳には、見るものをすくませるような光が宿っていた。

「どうやら、あなたと私達の間にはなんだか微妙な因縁がありそうですね。いえ、奇妙といった方がいいかもしれませんね」

「知ってんのか、知らんのか? 質問に答えろ!」

 エルデもそういうと、負けじとばかりにリリアを睨んだ。

「マーリン教が誇る大賢者にして炎の術の専門家と言われる偉大なるルーナー、【真赭の頤まそほのおとがい】 しかし、その現名まで知る者はファランドール広しといえどもそう多くはいないはずです」

「そんな事言われてもな。俺はその少ない方の人間やねんからしゃあないやろ?」

「残念ながら、実は私たちも彼の行方を追っています」

「なんやて」


 エイルはエルデの視界を共有して改めてまじまじとアプリリアージェの顔を見つめた。

 濡れたように光る、几帳面に切りそろえられた黒い髪。吸い込まれそうに明るい緑色の美しい瞳はアルヴの血が濃いことを証明している。座っているので正確な身長はわからないが、エイルよりかなり小柄に見えること、そして肌の色が浅黒いことから、一般にダークアルヴと呼ばれる血統にあることがわかる。

 年の頃は……いや、アルヴ族は見た目と年齢は一致しない。見た目は十代半ばの成人したての少女に過ぎないのだが、場数を踏んだ者にしか備わらないのではないかと思える沈着冷静な物腰や言葉づかいなどから、相手は自分より遙かに上の年齢に違いないと確信していた。

 ふと気づくと、黒く美しい髪の間から少し見え隠れしている左の耳には、小さいながらも金色に光る宝石が付けられていた。

 アプリリアージェの表情や容姿に気をとられていたエイルに、エルデが問いかけた。


[お前さんの夢やけど、仕組みはともかく、どうやら登場人物は本物みたいやな]

『うん』

[と言うことは、や。俺達はとんでもない連中にコナかけてもうたかも、なんやで]

『達って言うな。言っておくがコナをかけたのはお前だろ。オレは知らん』

[ええい、ままよ。当たって砕けてみよか]

『砕けるのかよ?』

[まあ、何とかなるやろ。大丈夫大丈夫]

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