第五話 蒸気亭 7/9

「それって、女の名前じゃないか?」

 アトラックがそういうと、すかさずファルケンハインが肘でアトラックの脇腹を小突いた。

「い、いや、スマン。独り言だ」


『ほれ、見ろ』

[アホには言わせとけ]

『アホはお前だろ』

[なんやて? ファランドールの智の結晶と言われる俺やで]

『痴の結晶じゃないのかよ』

[微妙な字の違いを言葉で言われてもわからへん]

『わかってるじゃねえかよ!』


 アトラックとファルケンハインの様子を横目で見て苦笑すると、アプリリアージェは続けた。

「見たところエイル君は一人旅のようですが、まさか激辛料理食べ歩きの旅とか?」

「俺もエイルでいいですよ、リリアさん。いろいろあって、何というか、まあ、人捜しかな」

「なるほど」

「で、皆さんは明後日の大市で商売? 見たところシルフィードの人のようだけど」

「ええ。私たちはシルフィードの特産品を見てもらう為に諸国を巡っています」


『あまり人に関わらない方がいいって言ってたんじゃないのか?』

[こいつら、シルフィードの人間やで。俺らなんかにわざわざ声をかけてきたってところが、ちょっと気になるねん。向こうが何かを探っているなら、こっちも情報収集させてもらわなな]

『わざわざカネ使って奢ってまで?』

[何言うてんねん]

『?』

[全部、あのルドルフのおっさんのオゴリや]

『ああ、そうか』

[俺が自分の財布を使うかいな]

『確かに』


「へえ、シルフィードの特産品っていうと、リリスの小物が有名だな。あとは高級品だとアルヴスパイアの生地とか?」

「ええ、よくご存じですね。そうです。織物とか、あとは小物類ですが、どれもファランドール中で人気が高い品々ですよ」

「そりゃ是非見てみたいなあ。特にアルヴスパイアには興味あるな。旅を続けてると羽のように軽いマントとかは憧れだしね。安ければ俺も買いたいなあ、なんてね」

「残念だけどウチは小売りはしてないんだ、エイル君」

 アトラックがお変わりのジョッキを掲げてウィンクして見せた。

「それにこう言っちゃ失礼だが、君が買える値段の商品はウチにはないと思う」

「そっか。やっぱりそうだよな。うーん、残念」

 エルデはアトラックの方を向くと、文字通り残念そうに肩をすくめてみせた。

「ということは、高級店向け専門の卸商売ってこと? 戦争で職人が減ったとかで最近はアルヴスパイアは品不足みたいで滅多にみかけないし、数があるなら大もうけできそうじゃない?」

「ウチとしてもふんだんにあるわけじゃない。とは言え安定した供給は可能だから、継続性が高い相手を探してる。あまり派手に動くより、確実で堅実な伝のある業者を地道に訪ね歩いているという訳だ」

 今度はファルケンハインが話を繋いだ。

「ふむふむ。矛盾はないし、よくできた話だね」

「え?」

「あ、いや。こっちの話。そういや子供も居るんだね」

 エルデは奥にじっと座るリーゼの方を見てそう言った。

「しかもそこはかとなく訳ありっぽい」

「エイミイ君は私たちに興味があるみたいですね」

 アプリリアージェは穏やかに微笑みながら、エルデの言葉をやんわりと遮った。エイル君と言わず、敢えてエイミイ君と言った所にエイルもエルデもアプリリアージェからの牽制をひりひりと感じた。

「いや、さっきから見てるとそっちが俺に興味を持っているみたいなんで、ね」

 エルデのその台詞が場の空気を一瞬にして変えた。

 アトラックはジョッキをテーブルに置いた。


『おいおい、こりゃまた安い挑発だな、旦那?』

[いや、マジでコイツら、ちょっと怪しいで]

『怪しい?』

[こいつらからは商売人の匂いはせえへん。むしろ血の臭いがするわ]

『お前、臭うのかよ?』

[言葉の綾、っつう言葉を知ってるか?]

『お前にそういう指摘をされると妙に腹が立つのは何故なんだろうな』


 アプリリアージェはしかし、眉一つ動かさずに、それでも少し目を伏せて見せた。

「失敬。気づいてましたか……実はエイル君がある人にそっくりで、みんな驚いてたんですよ」


[ついにおいでなすったか]

『ついに?』

[いや、こっちの話]

『あ……』

[なんや?]

『いや』


「なるほど」

「エイルという名前は本名ですか?」

「俺はこのファランドールに生まれ落ちてからこっち、ずっとエイル・エイミイ一筋だけど」


[嘘やないやろ?]

『ああ。というかお前、詐欺師の素質があるよ』


「誰かに似てるって言ってたけど、そのお知り合いはなんて言う名前なの? その、俺に似てる奴が何か皆さんに悪いことでもしでかしたとか? あ、もしかしたら、さてはそのアルヴスパイアの商品をちょろまかしたとか?」

「あなたにそっくりな人の名前はルルデと言います。ルルデ・フィリスティアードです」


『そ、それだ!』

[どないした?]

『思い出した。この女の人と、顔は見えないけど右の奥にいる小さい奴にもたぶん会ったことがある』

[会ったって、どこでや? フォウの知り合いのそっくりさんか?]

『違う。この二人はお前が勝手にオレの中に入り込んだ後に毎晩見ていた夢に出てた』

[夢やて?]

『ああ。毎晩毎晩、同じ筋の繰り返しだ。でも毎日少しずつ話が進むんだ。そう。はっきり思い出したぞ。この女の人は夢の中でもアプリリアージェと名乗ってた。族名は確か……ええっと、ユグセル、そう、アプリリアージェ・ユグセルだ。そして向こうの子供は、仮面をかぶっているけど、夢では確かあだ名で呼ばれていた。えっと、何だったっけ……そうそう、「ドール」だ』

[「ユグセル」と「ドール」やて?]

『ああ。で、その二人は確かシルフィード海軍の兵士で、ルルデ・フィリスティアードというのは、ゲリラの少年兵だ。そして』

[そして?]

『確かに、ルルデはオレに瓜二つだった』

[なんやて?]

『そこの二人が、正確にはそこにいる子供の方がルルデ・フィリスティアードを矢で射て殺したんだ』

[夢で見たんか? ホンマに? 俺と出会った後なんか?]

『ああ、そうだ。おかげで毎晩うなされた』

[そう言えばしばらく唸ってたな。慣れへん境遇で混乱してたんかと思っとったわ]

『俺もなれない境遇で混乱してそういう夢を見たんだって、今の今まで思ってた』

[で、ホンマにそれは夢やねんな?]

『間違いない。こっちへ来て二週間くらい、ずっと見てた夢だ。最初は短くて途中で終わってたんだけど、その夢の話はだんだん進んで行って、最後に見た夢で、ルルデは戦闘中に死んだ。その後は一度も見てない。今まで忘れていたくらいだからな』

[いろいろと興味深い話やな。まあどっちにしろ、今俺で良かったな。お前やったら思い出した瞬間、動揺でエーテルが大きくぶれて怪しまれるとこや]

『エーテルってルーンの原料の?』

[原料とか言うな。そもそも俺ら人間や動物を取り巻いている生命の力って言うか、熱の揺らぎみたいなもんやな。ルーナーやフェアリーの力の源でもあり、生命の力そのものみたいなもんや。学者とかは精霊波とも呼ぶみたいやけど、一部の高位フェアリーにはその精霊波、エーテルが見えるんや。こんなん常識やで。お前さんがおったフォウっちゅう世界にはそういう概念もないんやな]

『無くてわるかったな。ファランドールとオレの居たフォウは世界を構築する組成というか成り立ちというか仕組みそのものが全く違うんだよ。それで、このリリアって人にはそのエーテルの動きがわかるって言うのか?』

[おそらく、こいつら全員強力なフェアリーや。これはちょっとマズいな]

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