第五話 蒸気亭 6/9
その歓声の中、ひときわよく通る声が店中に響いた。
「良いものを見せてもらった。では、この快挙を祝して小さな、しかし偉大なる英雄に私から一曲贈ろう」
よく通る声の主はさっきのアルヴの女吟遊詩人だった。
ポロン、という弦楽器の音がすると、店内は一瞬に静まり、つづいて拍手が広がった。
立ち上がった吟遊詩人が抱えているのは、エイルの目にはフォウにある楽器に似たものに見えた。ただかなり小型である。それは弦楽器で、指先でつま弾いて音を出す仕組みだ。本体は胴と、そこから伸びる首からなっており、胴の部分が角の丸い三角形で、弦の数は三本であった。それはファランドールではダラーラと呼ばれるいわゆる古楽器に属する弦楽器で、緩めの弦が奏でるのんびりとした優しい音を奏でる。音といい、形といい、どちらにしろエイルの知っている楽器とはやや違うようではあった。
「時は知る。英雄の姿……」
その小型の弦楽器を伴奏に吟遊詩人が語り出す英雄を称える短い詩は、厳かな内容にその澄んだ高い声が見事に調和して、まるで一つの世界を作り出しているかのようであった。
[吟遊詩人か]
エルデはアルヴの女吟遊詩人が弾き語りで朗々と歌う様を見ながら、そう独り言のように心の中で呟くと、すぐに囁くような何かを声に出した。
『お前、吟遊詩人の歌を聴くと必ず何かブツブツ言っているよな』
[ん。まあ、おまじないみたいなもんや。気にせんどいて]
『ふーん』
「さらば称えよ。希なる旅人、今宵の英雄を」
〆の句で歌が終わると、またしても拍手喝采の嵐となった。
「いいぞ、姉ちゃん」
「俺は感動した」
その後は口々に今の勝負と歌の感想を話し合ったり皆が口々にビールを注文する声が飛び交ったり、エルデに声をかける者がいたりで、店内は再び喧噪に包まれた。エルデは苦虫を噛み潰したような顔をしたルドルフから部屋の鍵を受け取ると、荷物と上着を手に立ち上がろうとした。するとそこに人の良さそうな給仕の女が現れ、小さなトレイに乗せたカップをエルデの目の前に置いた。
「これは?」
頼んでいない者が来て驚いたエイルは中年の給仕女に尋ねた。
大振りの銅製のビアカップに入っていたのは、白く濁った液体だった。よく冷えているのは、カップについた盛大な結露でわかる。
「あちらの、ほら、アンタと同じ黒い髪をした上品そうなダークアルヴのお嬢様からだよ。あれだね、アンタ、若いのに隅に置けないねえ、この色男」
人の良さそうな給仕女はエルデの背中をドンっとたたくとウィンクして去っていった。
『暴力はよせ』
[祝福や]
『それを言うなら冷やかしだろ?』
「あちら」と言われた方を見やると、エイルと同じくらいの歳とおぼしき黒髪の美少女がエイルを見てにっこりと微笑んだ。エイルが会釈すると、少女は小さく手を振って見せた。
それはもちろんリリア……アプリリアージェであった。
エイルの目には優しそうに下がった緑色の目が特徴的な、可憐で美しい少女だった。
『綺麗な子だな。あれがダークアルヴか。ウワサには聞いていたが、黒髪は初めてだな』
[ふん。まあ、ダークアルヴとしたらそこそこってところやろ。それよりいったい何者なんやろ?]
『お前、相変わらず女の人には辛口だな。女嫌いの変態趣味もたいがいにしろよ』
[おまえさんこそ美人に気を許しすぎや。アルヴ系の若い女を見るたびに鼻のばしてるやろ? 全く、油断してると……]
『うるさいな。わかってるよ』
[ホンマにわかってんのかいな]
「激辛シチューの後には、よく冷えたヨーグルトが一番ですよ。失礼とは思いましたがいいものを見せてもらったので、お礼……いえ、お祝いにおごらせてくださいな」
喧噪の店内にあって凛とした澄んだ声が、かき消されることなくはっきりとエイルの耳に届いた。決して大きな声ではないものの、相手に明瞭に届く不思議な鋭さがその澄んだ声にはあった。二人のやりとり気づいた野次馬から二つ三つ口笛などで冷やかしが飛んだが、多くの客には気づかれない程度のやりとりだった。
[ふーん、声も心に響く美しさとか言うんやろ?]
『あの子……いや、あの人は』
[ん? どうした?]
『以前会ったことがある気がする』
[なんや、カレンに続いてまたそれかいな]
『いや、そう言われても』
[フォウの知り合いに似てるのか?]
『うーん』
[ふん、面倒やけど無視もでけへんやろな。かえってややこしなりそうやし。念のために、ここはもう一回俺に代わってくれへんか]
『ああ、そうだな』
「リリアお嬢様、あまり目立つような行動は……」
アトラックにレイン副司令と呼ばれる一行で一番背が高いアルヴの青年、ファルケンハイン・レインが小声でアプリリアージェを窘めた。
フードをとったファルケンハインは、まさにアルヴと言った彫りが深い端正な美男子であった。
「いえ、どうしても確かめる必要があります。ですが」
エルデのはにかんだ顔の屈託のなさを見ると、アプリリアージェは自分の取り越し苦労であると思いたかった。向こうは全くの初対面と言った風情であり、その証拠に取り巻くエーテル……精霊波には特に乱れがない。状況証拠を見る限りでは取り繕っていると考えること自体に無理があるようだった。
アプリリアージェは小さくため息をついた。
「やはり……本人ではないようですね」
「そうですよ。死んだ人間が生き返ったりはしませんよ」
アトラック・スリーズがようやく運ばれてきたビールを早速飲みながら相づちを打った。
「後はなんらかの原因で記憶を失っている可能性、もしくはルルデ・フィリスティアードが双子であったという可能性ですが」
「司令。まだその線から離れてないんですか? どう考えても他人のそら似ですって」
「ええ、その可能性もありますが……それでも、他人のそら似というにはあまりに似すぎているんです。だいたい、ルルデはフィリスティアード隊長の実の弟ではありませんし」
「髪の色も瞳の色も肌の色も、デュナンの兄とはまったく違いますからね」
ファルケンハインが思い出したように言った言葉に、アトラックは少し肩を竦めると、ジョッキに入った残りのビールを全部飲み干した。
「ぷあーっ。ここのビールはうまいっすねえ。俺達、久しぶりにいい宿屋に泊まれますよ」
飲み干したジョッキをテーブルに置こうとしたとき、エイルにヨーグルトを持ってきた給仕女が代わりのビールをアトラックの前に置いた。
「やあ、お代わりまで頼んでもらっちゃって、恐縮ッス」
「いや」
早速手を伸ばそうとしたアトラックの手を払うと、ファルケンハインはまかない女にたずねた。
「頼んだ覚えはないが」
アトラックは不満げにファルケンハインとまかないの女とを見比べた。
「いえいえ。あの黒い目の英雄さまからの『お返し』ですよ。皆さん全員に冷えたビールのおかわりを、だそうです」
給仕女にそう言われた一行がエルデの方に目をやると、すでにエルデは席を立って、一行のテーブルの近くまで来ていた。
「ヨーグルトをごちそうさま。でも俺、見ず知らずの人に借りを作るのは好きじゃないんで、これはお返しだ」
そういってアプリリアージェににっこり笑って見せた。
「あらあら。それはどうもありがとう。では遠慮無くいただきます。私はアプリリアージェ。リリアと呼んでくださいな」
アプリリアージェはそう言って微笑むと、右手を差し出した。エルデはためらわずにその小さな手を取った。
「俺の名はエイル。エイル・エイミイだ」
「あらあら、ステキな名前ですね」
[ホレ見てみい]
『社交辞令って言葉知ってるか?』
[素直やないと、女にもてへんで]
『言ってろ』
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