第五話 蒸気亭 4/9

「あらあら。いったい何事ですか?」

 その時、店の扉を開けて入ってきた四人連れの旅の一団がいた。全員まだ長旅用の似たようなマントを羽織ったままで詳細な姿はわからないが、背格好からは大人が二人に子供二人といった構成であった。フードをかぶっているので表情はよく見えないが、若い一行で、声を発したのは子供に見える、その中で唯一の女だった。

 女の声を受けて大人の一人がフードを下ろして顔を出し、ルドルフの前口上で盛り上がっている近くの客の一人に声をかけた。

「まさかとは思うけど、ここで決闘でもあるんですかね?」

 声をかけられた男は、ニヤリと笑って店の中央に急遽用意された決闘の舞台……いや、特設テーブルを顎で示した。

「なんだ、お前さん知らないのか? ここの殺人シチューを食おうって奴が久しぶりにあらわれたんだよ。完食すると宿泊代とここでの食事代がタダになるっていうヤツさ。ホレ、あれだ」

 客が指さす方向には先ほどエイル達が見ていた例の扇動的な文章が書かれた羊皮紙の張り紙があった。

「決闘って、つまり早食い競争みたいなものか。物騒な言葉が飛び交ってたんでびっくりしましたよ」

 最初に声をかけたデュナンの男はその張り紙に書かれた扇動文を見て、ちょっと残念そうな声でそう言った。だが、その男の隣にいた若い女は身を乗り出すようにして店の客に尋ねた。さっきの声の主だった。

「あの、辛いんですか? そのシチュー?」

 尋ねられた男はニヤリと笑うと、うれしそうに説明を始めた。

「お前さん達、どうやらこの店は初めてのようだから教えといてやるが、ここの激辛シチューはな」

「『超激辛』だ。ノーム山の溶岩よりヤバいぜ」

 隣の相棒が横合いから訂正した。

「うるせえな、お前は黙ってろ。まあ、つまりその超激辛シチューは、そんじょそこらの激辛料理とはワケが違ってな、俺が知る限りじゃここ二十年で成功したヤツは三、四人ほどしかいねえんだよ」

「そんなに? 私も辛いのが好きなので、面白そうだから挑戦しようかと思ったんですが」

「お嬢さん、まだ若くて綺麗なのに涙と鼻水とよだれにまみれて死にたいのかい? 悪いことは言わねえよ、逝き急ぐ必要はない。まあ、あのボウズもまず完食はムリだろうが、いったいどれくらい食えるかが見物だな。一口食って泡吹いて医者に担ぎ込まれるヤツが何人もいるくらいだからな」

「それもあって、今回は予め医者を呼んであるくらいだ」

「うーん。想像できませんけど、まさに命がけの決闘なんですね」

「そうよ。お前さん達、本当に運がいいぜ。こりゃ滅多にない面白い見物なんだぜ」

 男たちはそれだけ言うとビールのお代わりを注文にカウンターへ向かっていった。


「挑戦者は子供のようですね」

 給仕に案内されたテーブルに着きながら、一行は偶然出くわしたイベントの話題に花を咲かせていた。

「ふふ。楽しそうですね。なるほど、挑戦者はあの子ですか」

 声をかけられた女は、そこでやっとフード付きのマントを脱ぐと、顎の下あたりの長さにきれいに切りそろえられた癖のないサラっとした豊かな黒い髪を左手で少し上げながら、頭を軽く左右に振って乱れた髪型を直した。その際、左耳の耳朶じだに金色のスフィアがキラリと見えた。

 リリアであった。

 そう。街道でドライアド兵を屠った一行がランダールに着いたのだ。


 リリアの目はこの対決の主人公であるエイル……いや、今はエルデと言った方がいいだろう……がカウンター席の方から店の常連と思しき客達に激励とともに取り巻かれながらに近づいてくる様子を捉えていた。リリア達のテーブル派、食堂の中央にある特設のテーブルにほど近い位置にあった。

「ここは特等席じゃないですか」

「ええ、運がよかった……」

 リリアは言葉を途中で切り、息を呑んだ。

 近づいてきエイルの顔がはっきりと見えたからである。

「あの子は!」

 珍しくリリアが動揺をみせた。

「どうしました? リリアお嬢様」

 目を見開き、いまにも席を立ち上ろうとしたリリアだが、すんでの所で思いとどまった。椅子の背もたれに背中を預けてゆっくりと深呼吸をすると、リリアは目を閉じて呟いた。

「いえ、大丈夫です」

 普段、よほどの事がないかぎり動じない沈着冷静のお手本のようなリリアが動揺する様を見て、他の仲間は少なからず驚いていた。特に最初に客に声をかけた若いデュナンの青年……そう、アトルは不安げな視線をがっしりとした体格のもう一人の若いアルヴの男、ファルケンハインに注いだ。

「リーゼ、お願い。挑戦者の顔をよく見て。そしてあなたの率直な意見を聞かせて」


 その声をかき消すように、店内に歓声が響いた。

 ルドルフが皿を携えて、テーブルにやってきたのだ。

「決闘方法は、ご存じ蒸気亭自慢の超激辛シチュー大盛りを、この砂時計の砂が落ちきる前に食べきる事。時間はだいたい十五分だ。途中で席を立ったり口に入れたものをはき出したりしたらその時点で失格。水はいくら飲んでもかまわねえ。パンのおかわりも自由だ」

 そこまで言うと、ルドルフは店内を見渡した。

「ガウンジ先生は?」

「ここにおるぞ」

 ルドルフの呼びかけに、どこからかか細い声が応えた。

「前から言うとるが、体に悪いもんを食わせるのはワシは反……」

「という事で、ヤブだが医者もいる。命の心配はないぞ!」

 ガウンジ老医師の声はルドルフの大声でかき消された。


『ヤブかよ』

[いや、直感やけどけっこう腕のええ医者ちゃうかな]

『なんでわかる?』

[ムリヤリ連れてきた医者が本当にヤブなら、ヤブ呼ばわりせえへんと思うんやけどな]

『そんなもんかね』

[そんなもんちゃうかな]


「では皆さん。挑戦者に暖かいご声援を。そして決闘の観戦には、よく冷えたビールと当店自慢のソーセージの盛り合わせを是非どうぞ!」

 噂を聞きつけて駆け込んできた立ち見客でいつの間にか店内は足の踏み場もない状態になっていた。店に響く盛大な拍手。飛び交うビールとソーセージの注文、そして声援とヤジの中、エルデはルドルフに促されて準備が整った決闘の場……いや、テーブルに着いた。

 そしてついにその時はやってきた。ルドルフがエルデの前に仁王立ちになったのだ。両手で小さな鍋を抱えて。

「さあ、これが蒸気亭特製、超激辛大盛りシチューだ」

 おおっというどよめきがあがる。

「気をつけろよ、ボウズ! 湯気に当たっただけで三日は寝込むぞ!」

 誰かの声で店内に笑いがはじけた。

 両側に取っ手がついた真っ白い上等の磁器製の大きな深皿に、ルドルフの手で赤黒くて粘度の高そうな液体が今たっぷりと注がれた。遠目には中に浮いている具はよくわからなかったが、牛の舌の肉と細長い唐辛子、そしてニンジンやアスパラガスのようであった。


 リリアにリーゼと呼ばれたのは、一行の中の四人目の仲間である小柄な少年だった。フードをとると、腰まで届く長い輝くような銀髪を後ろで一つに無造作にくくっているのがわかった。その少年が普通の少年……いや人間と違って異様なのは、目の周りを覆う仮面を付けている点にあった。フードマントの高い襟によって口元はもちろん顔の下半分は覆われ、垂らした銀色の前髪で顔の残りのほとんどが隠されていた為それと気づきにくいが、もちろんそれは彼にしてみれば顔を隠す為の手段なのであった

 エルデを背にして座っていたリーゼは、リリアの依頼を受けて振り返った。そしてエルデの顔を見るなり、即座にリリアの方に向き直った。

「あれは……ルルデ。……ルルデ・フィリスティアード」

 精霊会話……エーテルトークと呼ばれる話法でリーゼはリリアにそう告げた。

 エーテルトークとは、一部のフェアリーだけに可能な会話法である。声を発する事なく相手に言葉を伝える事ができるものだ。耳元で誰かが小さく囁くように聞こえることから、まるで精霊が耳元で言葉を伝えているようだということで、精霊会話と言われる。同じテーブルについていながらその精霊会話を敢えて使ったということは、その少年は何らかの理由で言葉を発する事ができないのであろう。

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