第五話 蒸気亭 3/9

「ねえ、大将」

 エルデはテーブルに置いた左手の人差し指を上方に向けて張り紙を指さした。

「俺、あれに挑戦したいんだけど」

「あれだと?」

 ルドルフはエルデの指さす方向を振り返った。そしてたった今別の客と話題になっていた激辛シチュー挑戦の張り紙こそが指し示す者である事を確認すると、ニヤリと笑って、だが手を振って見せた。

「やめときな。ありゃお子様メニューじゃねえんだぞ。子供がアレを食うと死ぬかもしれねえ。だいたい失敗したら五エキュだぞ、ボウズ」

「わかってるよ」

 エルデは懐から茶色いスウェードの巾着型の財布を取り出すと、五エキュ銅貨を1枚摘まみ、バーガンディー色に深く染まった堅い木製のカウンターの上にカチンと涼しい音を鳴らして置いた。

「本気か? 冗談抜きに成功者はほとんどいねえんだぞ?」

「辛いの、大好きなんだ」

「食べ残しは水に薄めて除草剤に使えるくらいすごいんだぞ?」

「そりゃ残念だね。しばらくは手で草むしりしてもらわなくっちゃ」

「おいボウズ、その不貞不貞しげな態度からするとたぶんお前さんはけっこうたいした奴で、おおかた他の町でその手の店をカモってきたんだろうが、ウチのは本当にヤバいんだぞ。こう見えて俺も他の町じゃちっとは名前のしれた激辛王なんだが、さすがにここのは俺でも三口食えるかどうかのシロモノだ。つまり全くの別格なんだぜ? 作っている俺が言うんだから間違いない」

「大丈夫。なんなら、失敗したときは倍の十エキュ払ってもいいよ。もちろん、宿代とは別にね」

 エルデはそういうと懐からさっきの財布を取り出して中をあけようとしたが、ルドルフがそれを制した。

「宿代は四十エキュ五十サインだ。だが、ふむ……よし。そこまで言われて挑戦者たる俺が引き下がるわけにはいかねえやな。じゃあ、その挑戦に乗ろうじゃねえか。さらに、おまえさんの挑発が気に入ったから、こっちも成功報酬は特別に二泊分って事にしてやるぜ。二泊したいって言ってたよな?」

「うん。じゃあ、交渉成立。早く食べさせてよ。実はオレ、おなかペコペコで死にそうなんだよ」

 エルデはそういって屈託のないさわやかな笑顔でにっこりと笑って見せた。

「よし。後で泣くなよ?」

 ルドルフはエイルの笑顔にしかし首を横に振って見せた。


「ああ、それから」

 厨房に入ろうとするルドルフをエルデが呼び止めた。

「ん?」

「俺をボウズって呼ぶな」

 ルドルフはそれには答えず頭をかく振りをして嬉しそうにニヤリと笑うと、厨房に消えた。


[よっしゃ!]

『やったな。二泊ともタダか』

[仕込みがよかったからな]

『ちょっと見直したぞ』

[ちょっとかいっ]


 少しするとルドルフは厨房の中からフライパンと大きな鉄のシャモジを持ち出してカウンターの中に戻ってきた。そしてそれをガンガンと打ち鳴らし、皆の注目を集めた後、息を深く吸い込み、店中に響く太い声で勝負の開催を告げた。


「お集まりの紳士淑女の皆さん」

 建物全体が震えるかのような太く大きな声が発せられると、店内の喧噪は一瞬で嘘のように静まり、すべての客の視線はカウンターのルドルフに釘付けになった。

「本日もランダールの至宝、我が『蒸気亭』にお越しいただきまして誠にありがとうございます」

「なんだ?」

「どうした、ルドルフ!」

「って言うか、至宝ってなんだよ」

「痴呆の間違いじゃねえのか」

「うまいっ!」

 一瞬の静寂のあと、今度は口々にルドルフに質問とヤジが飛んだ。

 ルドルフは両手を挙げてそれらを制すると、再び店内が静まるのを待ってから言葉を継いだ。

「ご静粛にしろってんだ。とりあえず俺にしゃべらせろ!」

「客商売やってる店の主人とは思えない言葉遣いだな、おい」

「『ご』がついてるからいいんじゃねえか?」

「まあまあ。とりあえず話を聞こうぜ」

 カウンターの中で仁王立ちするルドルフに対し、今度こそ話を聞こうとする雰囲気が店内に漂った。

「えー、まず、申し上げます。本日今ここにお集まりいただいた皆さんは実に幸運です。なぜなら皆さんは新しい英雄誕生の歴史的な瞬間に立ち会える可能性を得たからです」

 そういうとルドルフはうれしそうな顔で客の反応を確かめるように店中を見渡した。

「おい、こりゃひょっとして?」

「うほっ、まさか?」

「おお!」

「すげえ、久しぶりに命知らずのバカが現れたのか?」

「へえ、そりゃ見物だぜ。俺たちゃ、マジでツイているな」

「おい、急いでその辺の奴呼んでこい、蒸気亭で『例の見世物』があるってな」

 ルドルフはざわめく客の様子を満足そうに眺めると、エルデに向かって席を立つように促した。

「ただいまより私の目の前に居るこの若き英雄候補……ええっと」

「オレはエイル」

「お生まれは?」

「ウンディーネだ」

「ウンディーネ出身、四始祖の末裔にして若き英雄候補。命知らずの男の名は【オレワエイル】。そしてサラマンダの理想郷ランダールの偉大なる勇者、このルドルフ・ノイエとの名誉と、そして二泊分の宿代をかけた決闘を今ここに開催いたします」

「エイルだ、エイル」

 エイルは憮然として訂正した。

「オレの名前はエイル、だ」

「おお、すまん」

 ルドルフはエイルの抗議に素直に謝ると口調を変えて付け加えた。

「ま、名前は女みたいだが、根性はそんじょそこらの自称豪傑が裸足で逃げ出すほどの男前だぜ」


『わざと間違えたな、このオヤジ』

[ものごっつぅ、わざとやな]

『と言うか、女みたいは余計だろ、オヤジ』

[何度聞いてもええ名前や。それより今度は至宝から理想郷になっとるな、この店]

『問題をすり替えるなよ』

[おまえさんも最初は気に入ってたやん]

『女の名前だなんて知らなかったからだろうが!』

[それはアレやな。ウマいウマいって食べてたお菓子にニンジンとピーマンがたっぷり入ってたって知ったガキんちょが泣き叫ぶようなもんやな]

『全然違うだろっ って、さすがにピーマンはお菓子に入らないだろ?』

[それに言うとくけどな、エイルっていう名前を選んだんはおまえさん自身やん]

『よく言った。エイルかケロンかビロンの三つのうちからどれか一つ選べって言われてほかの二つを選ぶやつなんかいねえよ! というか、あんなのは選択肢があるとは言わないだろ!』

[興奮したらムダに体力使うで]

『させてるのはお前だろ!』

[まあまあ、落ち着き。ウンディーネあたりじゃ、女性名男性名とかはあんまり関係ないんや]

『それ、絶対嘘だよな? もうお前の言うことなんか信じるかよ』

[心の安寧のためには、信心は大事やで]

『オレは無宗教だ』

[老人になったら、安息日はひとりぼっちか。そして末路はきっと孤独死やな]

『や・か・ま・し・い』


 ルドルフの宣言が終わると、店内は盛大な歓声と拍手、そして口笛で満ちた。酔っぱらいの多くはさらに床を靴で踏みならしている。

「いいぞ、ボウズ、がんばれ」

「死んだら骨は拾ってやるぜ」

「棺桶の発注は俺の叔父貴のところに頼む」

「棺桶の前に医者だ、誰かガウンジ先生を呼んできてくれ」

「おいおい、そりゃ助かるものの助からねえぞ?」

「お前、いつも世話になっているんだろ? 冗談でもそりゃあ言っちゃいけねえぜ」

「うるせえ、あのヤブは俺に会う度に酒を飲むなってうるせえんだよ」

「そりゃ確かに無意味な忠告だな」

「だろ?」

「ガタガタ言わずに連れてこい」

「わかったよ。でも俺が戻るまではじめる無いようにルドルフに言っとけ」

「お前はどうでもいいが、ガウンジ先生が来るまで始まらないから心配すんな」


『あ、行った』

[ホンマに呼びに行ったんか]

 冗談ともとれる会話だったが、どうやら本当に町医者が呼ばれるようであった。

 医者を待つまでの間、いや料理が用意されるまでの間、店内の興奮は醒めることを知らなかった。

「若いの、応援するぜ。ルドルフに一泡吹かせてやれ」

「燃え尽きるまで食い続けろぉ!」

「おい、珍しいな、このボウズ、瞳の色が黒だぜ?」

「おお、本当だ。先祖返りか。こいつは期待できるかもしれねえな」

「この勝負に目の色が関係あんのかよ?」

「珍しいヤツが珍しく勝つにきまってんだろ?」

「なるほど!」

「それで納得するのか?」

「伝説にそうある」

「ホントかよ?」

「そんな与太話にマジで反応するんじゃねえよ」

「俺は応援するぜ~」

「俺もだ」

「まさに現代の決闘だな」

「ああ、命がかかってるぜえ」

 数杯のビールでいい具合に軽く酔った連中が、準備にの為にルドルフが厨房にこもっている間中、店内で口々に軽快な野次の空中戦を繰り広げていた。

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