第五話 蒸気亭 2/9

『ケッ。オススメだろうが美味かろうがこっちは胃に入れば何でも同じなんだよ』

[やさぐれてんなあ。頼むからそういう身も蓋もない寂しいこと言いなや]

『だいたいお前さ、全然値切れてないじゃないか。値切りの帝王エルデさんともあろうお方が今日はえらく淡泊だな』

[ふふん。エルデ様をなめたらアカン。お楽しみはこれからや。まあ、黙って見ててみ]


 主人は別のカウンターの客にビールの追加を頼まれて、その場を離れた。だが離れ際に立ち止まってエイルを振り返ると、

「それから、見かけによらずってのは余計だ」

 それだけ言ってニヤリと笑って見せた。

 本人はニッコリと笑ったつもりだったのかもしれないが、エイルとエルデにはとてもそうは見えなかった。


『なんというか、アイソがいいのも人によるな』

[いやはや、まったくや]

『でもまあ、カレンの父親が陽気で人が良さそうだってことはわかった』

[会話好きでもあるな]

『でも、やっぱりちょっと性格が細かい』

[確かに。しかし商売人やから当然とも言えるけどな]


 エルデはルドルフに頭を掻いてみせた。それを見たルドルフは満足そうな笑顔で去っていった。


[ええか、エイル? 俺のグラムコールに賭けて、ここの宿代は絶対タダにしてみせたるわ]

『タダ? 値切るんじゃなくて?』

[うん]

『今更どうするんだよ? 四十エキュ五十サインで話がまとまったんじゃないのか? それ以前にだいたいお前、ルーナーのくせにグラムコールなんて持って無いだろ』

[この野暮ちん。グラムコールの有無とかはこの際どうでもええねん。ルーナーが誓いを立てる時の常套句にいちいち文句をつけなや]

『正論を慣例を引き合いにして強引に否定するつもりか? どこかの政治家みたいだな』

[あのな]


 エルデは小さく溜め息をついた後、ゆっくりと視線を上に向けた。壁に直接しつらえてある二つ並んだ飾り絵皿の棚の間に、古い張り紙があった。

 エルデが見たものはすなわちエイルの目にも入る。

 張り紙は、その厚さから紙と言うよりは羊皮紙のようだった。かなり古いもののようで、おそらくもともとは白っぽい色だったのだろうが今では表面が焦げ茶色に完全に変色していた。だが、そこに書かれた黒くたっぷりとした太さの、そしてかなりの達筆と言えるその文字は古い羊皮紙の上でいまだにしっかりとした存在感を醸し出していた。

 羊皮紙には扇動的な文章でこう書かれていた。


 「英雄渇望中!!

 お前たちには絶対食えないもの!

 それは蒸気亭の超激辛大盛りシチューの事だぜ!

 十五分で食い切った奴は四始祖に続く英雄だぜ!

 俺はそんな英雄から宿代とメシ代は受け取れないね(ただし一泊だけだぞ)」


『ヒュー』

 それを読んだエイルは心の中で口笛を吹いた。

『こいつは!』

[な? な? まるで俺達の為にマーリンが用意してくれたような合法的無銭飲食法やろ?]

 エルデはいたずらが成功した子供のようなはしゃぎようだ。

『だったらもっといい部屋でもよかったな』

[まったくや]

『いや、この宿で一番いい部屋だって言ってたっけ』

[そっか]

『なあ、あそこに書かれている四始祖ってのは?』

[昔々英雄がいて大いなる災いから人々を守り、混乱下にあったファランドールに、それぞれが四つの国を作ったっちゅう国作り伝説やな。今ある四大国はそのそもそもその四始祖が五万年前から六万年年前に作ったって言われてる。まあ伝説というか古すぎてほとんど神話の領域やけどな。で、その四始祖がエレメンタルやったという話になるわけや]

『なるほど。どの世界にも似たような英雄伝説ってのはあるんだな』

[ま、その四始祖はファランドールではいまだに不動の偶像的英雄や]

『その伝説の不動の偶像的英雄に次ぐ英雄って……かなりの褒め言葉だよな?』

[ほぼ最上級やな]


「ところでルドルフ。アレ、最近誰か成功した奴いるのかよ?」

奥の方のカウンター客が、件の張り紙を指さして主人に訪ねる声がエイル達の耳に届いた。

「アレを食える奴ぁサラマンダ……いや、ファランドール広しといえどもそうそう居るもんじゃねえ」

 ルドルフはうれしそうにそう言って返す。

「違いねえ。俺はもう二度とアレは口にしたくねえ」

「おいおい、その一口すら全部飲めなかった奴が偉そうに言ってるんじゃねえよ」

「けっ。ありゃ殺人的だぜ、まったく。この店じゃ劇薬を客に売ってますって軍にでも通報しなきゃな」

「劇薬か。確かに俺も味見できないほどの自慢の辛さだからな。だがな」

 ルドルフはそこで意味ありげに声をひそめた。

「ん?」


[ふふ]

 ルドルフと客との会話に聞き耳を立てていたエルデが小さく笑った

『なんだよ?』

[なんでもない]


「おまえさんは二年ぶりにやってきたから知らんだろうがな。実は去年、それをペロっとくっちまった奴がいるんだよ」

「ホントかよ?」

「店主の俺が嘘をついてどうする。しかもそいつは閉店間際にフラっと現れた一人旅のガキでよ。そうだ、ちょうどあそこにいる坊やくらいかな(そう言ってエイル達の方をチラっと見やった)。俺は真剣に止めたんだがな。食えなかったらシチュー代の五エキュをドブに捨てるようなもんだし、食い意地が張ってるだけじゃムリだぞってな」

「で、ソイツは食ったのか?」

「五分もかからずにペロッよ。俺は自分の目を疑ったね。すげえ奴でも三分の一くらいまでには鼻水と涙にまみれて泣きながら降参するはずなんだが、そのガキはそれを食った後に、肉パイと大盛りアイスクリームを追加注文して普通に平らげてた。さすがに大汗かいて涙も鼻水も垂らしちゃいたが、ありゃちょっとハンパな根性じゃねえ」

「すげえやつだな。そりゃ、どこのどいつだ?」

「特徴的なガキんちょだったから今でも顔は覚えてるよ」

「特徴的?」

「ああ、腰まである長い黒髪に……」

「黒髪? ダークアルヴか?」

「話は最後まで聞け。黒いのは髪の毛だけじゃなくて瞳も、だったのさ」

「瞳が黒い? それって瞳髪黒色どうはつこくしき……」

「ああ、どうやらあそこの坊やも『それ』だぜ。だから思い出しちまったよ。多分ピクシィの血が多少入ってるんだろうな。先祖返りってやつだ」

「ほう」

「それからそいつ、言葉に古語なまりがある奴だったが、何者かはわからん。人捜しをしてる風なことは言ってたがな。ああ、そう言えばそいつに頼まれた預かり物もあるんだが、あれ以来、顔を見せやしねえ」

「ほう、預かりものか? 何だい、そりゃ?」

「あ、いや。今のは聞かなかった事にしてくれ。俺としたことが口がすべっちまった。すまねえな」

 その客は気にするなという風に目配せすると話を続けた。

「なるほどな。古語なまりだとすると、ウンディーネあたりから流れてきたって事かい。しかし、その場に居たかったねえ。ルドルフ、お前さんの唖然とした顔が見たかったよ」

「残念だったな。生涯一度のチャンスだったんじゃねえのか?」


『また瞳の色の話か』

[瞳髪黒色……ファランドールでは珍しいからな。というか曰く因縁付きか]

『ん?』

[あ、ううん]

『で、あの話のガキってまさかお前じゃないのか?』

[俺はピクシィなんか?]

『お前の姿形なんか知らねえよっ』

[まあ、つまりあの話の人物は俺の知り合いっちゅう事や]

『ふーん、ひょっとするとその子供があの主人に預けているモノっていうのは?』

[想像通りや。ま、ともかくそっちの話は後や]


「注文は決まったか? それから部屋の方は用意はできてるぜ、食い終わったらすぐに爆睡できる」

 少しして、主人のルドルフがエルデの前にやってきた。手には部屋の鍵を持っていた。鍵には真鍮と思しき板がぶら下げられており、そこには盛大に湯気を放つ薬罐のレリーフがあしらわれていた。

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