第三話 風のフェアリー 3/3

「おとなしく身ぐるみ置いていくならよし。命だけは助けてやる。ただし、そのお嬢さんには色々と事情聴取をする必要があるから、俺たちが一晩預かってやる」

「おい、一晩は寂しいぜ」

「俺たち全員相手じゃ一晩しかもたないだろ?」

「大事に扱えば一週間くらいは持つだろ?」

「うぇっへっへ」

 兵たちは口々に汚い言葉を吐きながらリリアの頭の先からつま先まで、なめ回すように眺めていた。

「やれやれ」

 若い方の青年が兵士達の汚い言葉のやりとりを聞いてうんざりしたという風に頭を掻きながらそう言った。

「本当に腐りきってますね、こいつら」

「なんだと?」

「てめえ」

「司令、もう茶番はいいですか?」

 動じず、デュナンの青年はリリアを振り返って許しを請うた。

「仕方ないですね。でも何度も言っていますが、司令と呼ぶのはおやめなさい、アトル」

「了解です。お嬢様」

「何トボけたやりとりしてやがる。おい、かまやしねえ。面倒だからやっちまえ」

「『お嬢様』とやらは殺すなよ」

 隊長格の一言を待っていたかのように、後方から矢がアトルと呼ばれた青年に放たれた。だがアトルは顔色一つ変えず、飛んできたその矢を手で掴んで止めて見せた。いや、若者が掴む直前に一瞬矢が止まったと表現した方がより正確であろう。

「な、何だ、こいつ」

「やっちまえ」

 アトルの技に数人が一瞬ひるんだが、戦意をむき出しにした一人のかけ声で、彼らはすぐに血気を取り戻した。そして四人ほどの兵士が剣を構えると、一斉にアトルと背の高いアルヴの青年に襲いかかっていった。

 残る二人は素手のまま、ぎらついた目をしてリリアに襲いかかろうとしたが、彼らの突撃は空を切ることになった。そこにいたはずのリリアの姿が忽然と消えていたのだ。

 何が起こったのかをじっくりと考える間もなく、二人の兵士の視界は暗転した。そして同時にアトルに襲いかかったはずの四人の兵士達も全員その場に崩れ落ちていた。


 それはまさに目にもとまらぬ動きと言うべきものであった。少なくともドライアド兵はリリアとアトルの動きを追うことができなかったのだ。

 アトルと呼ばれたデュナンの青年は襲いかかる兵士達をまさに紙一重でひらりとかわして巧みに彼らの背後に回り込み、いつの間にか手にしていた短剣で次々と兵士達の首筋を斬りつけた。その首筋からは血しぶきが高く上がったが、返り血を浴びる前にアトルはその場を離れていた。

 リリアを狙ったはずの二人の兵士の後頭部にはそれぞれ一本ずつごく細く短い特殊な矢が刺さっていた。そして二つの死体の後方にポツンと立つリリアの左手には異様に小さい弓が握られていた。

 つまり、リリアはアトルと同じように兵士達をかわして彼らの後方に回ると、続けざまに二本の矢を正確無比に兵達の急所に放ったということだろう。付け加えるならば、リリアの動きはアトルのそれよりもさらに速いものであった。


 二人はほんの十数秒でその場にいた六人の小隊を全て葬り去っていたのだ。

 アトルは二人の兵士に刺さった矢を抜いて、鏃についた血を死体の兵装でぬぐいながら小型の弓を折りたたんでいるリリアに尋ねた。

「埋めますか?」

 二人の兵士を一瞬で屠ったばかりの美しい少女の顔はそれまでと変わらず、静かに微笑していた。それは地面が血で染まったその場の情景にはおよそ似合わぬ穏やかな表情だった。

 リリアお嬢様と呼ばれる少女は、折りたたんだ弓を懐にしまいながら、よく通る声で静かに答えた。

「作業中に誰かに見られてもまた面倒事が増えますから、そのままにして先を急ぎましょう」

「了解です」

 アトルはうなずいた。

「まったく、この国は旅人が普通に街道も歩けなくなっているのか……それもゲリラや山賊ではなく、本来一般人を守るはずの軍の人間が一番危ない敵になっているとは」

 背の高い方の男が、低い声でそうつぶやくと、アトルもやりきれないという風に応えた。

「戦争に負け、国が無くなるというのはこう言うことなんでしょうかね」

「いらぬ殺生はしたくはないですが、たとえ情けをかけてこの兵士達を生かしていたとしても、この時代そしてこの場所では不幸な人が増えるだけでしょう」

 アルヴの青年に向かってか、あるいはアトルに対してなのかは定かではなかったが、リリアはそう言うとフードを被りなおし、マントの前を閉じ合わせて何事も無かったかのような歩みで街道を進み始めた。


 リリアのその小柄な後ろ姿を見て、アトルは小さく敬礼した。そのアトルの肩にアルヴの青年が手を載せた。

「いつだってあの人は部下だけに手を汚させようとはしないな」

 アトルは黙ってうなずいた。

 どういう理由があれ、人をあやめる事に対してどうしても自戒の念が積もる。人である以上、彼らにも善良な家族や罪のない友人がいるに違いないと、つい考えてしまうのだ。

 彼らの司令官はそれを知ってか知らずか、このような場面では部下だけに手を汚させることは決してしない。一人で片が付く場合は部下の手を借りることすらないほどである。つまりその行為は、少しではあるが自戒を和らげる助けになっていた。

 今回、やや離れた後方でじっと成り行きを見守っていただけの小柄な少年が、リリアが歩き出すのを見てそれに続いた。

 歩き出した少年の背中を見て、アルヴの青年はアトルの肩をポンポンと軽く二度叩いた。アトルは返事の代わりに苦笑すると頭を掻いて歩き出した。自分のいつもの位置、すなわちリリアの前へ。


「さあ、もうすぐランダールです。あそこはたしか、大粒でうまいサクランボで有名です」

 アトルはリリアに追いつくと、快活な声でそう呼びかけた。

「私がサクランボの砂糖漬けを喜ぶとでも?」

 それに応えるようにリリアもよく通る明るい声で反応した。

「あれ、お嫌いでしたか?」

「まさか。大好きですよ」

 リリアはそういうとにっこりと微笑んで見せた。

「なんですか、それ」

「ちょっとスネてみたかっただけです。」

「わかりましたよ。もちろん他にも特産はございまして」

「あらあら」

「実はこのあたりはサクランボだけでなく、残念な事にブドウ栽培も盛んでしてね」

「そっちを先に言ってくれなくてはね」

 アトルの言葉に「リリアお嬢様」の顔が輝いた。

「そういうわけでランダールはこのあたりのワインの集積地でもあるんです。さらに言えば生産量は少なくて流通はしてませんが、土地のビールもコクがあって美味いってので有名なんですよ。我らが呑ンべのリリアお嬢様」

 アトルの声は、もういつもの通りだった。

「ふふ。このところ山野での野宿続きでしたし、せっかく来たのですから特産を無視するわけにもいきませんね。ということで、不本意ではありますが今日は久しぶりに飲まなければならないでしょうね」

「いいですねえ。不承不承ながら、おつきあいしますよ」

 だんだん盛り上がる二人の背後に、太い声が届いた。

「飲まれるのはいいのですが、路銀にも限りがございますので、なにとぞそれなりのお心配りを」

 背の高いアルヴは振り向いたリリアと視線を合わせると、静かな微笑を浮かべた。リリアはいつもよりいっそう優しい表情になると部下のアルヴにこう言った。

「お金は生きているうちに使うものですよ、ファル」

 そして思い出したように付け加えた。

「そうそう、大市にはあなたの大好きな骨董屋が何軒も軒を連ねているでしょうね。合流の都合で二三日は滞在する予定ですし、冷やかしがてら息抜きをしてきたらどうですか? お金の勘定ばかりしていては額に皺ができますよ」

「例え私の額に皺が出来たとしても、それは金勘定のせいではなく、金に無頓着な人間のせいだと言い切れますが」

 ファルと呼ばれた背の高いアルヴは微笑を苦笑に変えると歩みを止めて振り返り、今まで辿ってきた道の上に青く高く広がる空を見上げた。

「でも、そうですね。骨董屋が魅力的なのはおっしゃる通りです。私もなんとなく掘り出し物が見つかるような気がしてきました」

 秋晴れの澄んだランダール高原の青い空が彼らの頭上高くに広がっていた。

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