第四話 ランダール

 城塞で囲まれたランダールはこの地域の集落としてはかなり大きな町である。

 それというのも二つの渓谷にある街道同士をつなぐ基点になっており、ランダール高地の要衝としての役割を古くから担っているからだ。谷間にある盆地全体が町で、三方を急峻な渓谷に守られたこの町は天然の要害といえた。ここから北に行くにも南に行くにも、あるいは東へ戻るにも、いったんはこのランダールで人々は一時の休息を取ることを常とした。またランダール高地は夏は冷涼で過ごしやすい気候ながら季節風の影響で冬期は意外に降雪が少なく、その日当たりの良さもあって農作物が安定して収穫・供給できる地域でもあった。

 特に有名なものはブドウと大粒の酸味が高いサクランボで、前者は良質なワインをこの地から生み出し、後者は庶民のちょっとした贅沢品であるサクランボの砂糖漬けの原料となる。

 ランダール自体には酪農家は少ないが周辺地域ではさかんな為、市には酪農製品の種類も豊富で、活気があった。

 それら主となる産業はここのところ比較的安定しており、故に長く続いた先の戦乱で荒れたサラマンダ大侯国にあってささやかながらも比較的ゆとりある暮らし向きの住民が多かった。

 城塞の町と呼ばれているが、すでに町に城主はおらず、代わりに城跡にはランダールの象徴とも言える二つの鐘楼が町を見守るかのようにそびえていた。

 マーリン正教会がその二つの鐘楼の管理にあたっており、日中に三度、その荘厳な鐘の音を谷間に響かせている。畑仕事をする人間は、一つ目の鐘で昼をとり、二つ目の鐘で休憩をとったりその日の段取りを調整し、三つ目の鐘を合図に帰路に就く。

 城主は何度か変わったようだが歴史の記述にランダールの名が初出する九百年前には既に現在の商業組合の自治都市としての体裁をとっていたようである。サラマンダ侯国の首都であるトリムトからは遠く離れていることもあり幸運にも常に中央での戦乱を避けてこられた事も幸運だったのだろうが、もともと独立心の強い、つまり強引な支配に対する抵抗意識が根強い山岳部族ばかりの土地でもある。従って中央からの積極的な武力介入もあまり行われなかったようである。そう言った背景もあって王国崩壊後のランダール高地は今なお活発な活動を続けるゲリラと呼ばれる旧王国軍の潜伏場所として中央政府からは要注意とされている地域でもあった。言い換えるならば町自体が旧王国軍の標的にもなり得る可能性もあり、それを反映してか、この地域の村落はどこも武装されているのが常と言えた。 ランダールでも町の出入り口や城壁の物見櫓には哨戒の私兵らしきものが立ち、平野部にある集落とは違い、物々しいと感じざるを得ない空気が漂っていた。

 警備にあたっているのはおそらくカレナドリィの言う「自警団」の一員なのだろうが、エイルの目には自警団の一員というよりはちゃんとした軍の兵士と言った方がよさそうに見えた。それほど本格的な兵装の者達ばかりだった。


 黒髪の少年エイル・エイミイがランダールの城壁の前にさしかかった時、丁度町から「二の鐘」の音が聞こえた。

 ランダールの象徴と言われる二つの大きな鐘楼とは別に、この町には学校を兼ねた大小いくつかの教会があり、午後三時には鐘楼に合わせて町中の教会の鐘を鳴らすのが慣例であった。大小取り混ぜたいくつもの鐘が遠く近くで鳴り響き、様々な音色による競演が披露される。

 ランダールの城壁を目の前にしたエイルの耳に、それはまるでおごそかな交響楽のように響いた。


[この音を聞くと、城下町というよりは門前町みたいな雰囲気やな]

『オレは宗教には全く関心ないけど、この鐘の音はいい雰囲気だとは思うな』

[この町の人達は比較的信心深いと見るべきやろか……]

『オレに聞かれても知るかよ』

[スマンな。お前なんかに聞いた俺がアホやったわ]

『フン』


 エイルは土台が石造りの頑丈そうな城壁の中に入る折に、ヒゲ面の自警団の歩哨から簡単な質問を受けた。だがそれは一人旅の黒い瞳を持った少年に対する単なる興味からのもののようで、敵愾心のあるものではなかった。

 先の大戦の主戦場となったサラマンダでは人を訪ねて旅をしている者は珍しくない。したがって人を探していると答えたエイルは「そうか。早く見つかるといいな」という友好的な社交辞令とともにあっけなく通過を許された。

 もともと交易の町である。武器を持たない人間には基本的に友好的なのだろう。


「あ、そうだ」

 一見したところ中が通路になっていて人が一人くらい通れそうな石土台の厚い城壁をくぐろうとして、エイルは思い出したようにそのひげ面の歩哨に声をかけた。

「蒸気亭って宿屋は、ここから遠いのかな?」

「あんた、蒸気亭に泊まるのか? だったらこの先の大通りを西に入ってずっと行くと中央広場に出るから、そこいらでもう一度聞くといい。蒸気亭は広場から一本入った道に面しているんだが、ここで説明するより近くで聞いた方がいいだろう。この辺じゃけっこうな有名店だし、そもそもこの町の人間で蒸気亭をしらないヤツはもぐりと言っていい」

「そっか。ありがとう」

「なあに、俺達のランダールの町を楽しんでくれ」

 城門を後に歩き出したエイルの耳には、まだ鐘の音が響いていた。いくつもの方向から届く色合いの違う鐘の音を聞くと、この町がそこそこの規模なのだと言うことが実感できる。ヒゲ面の歩哨が言う「この先の大通り」までも結構な距離があった。


[と。その前に]

『あ、ああ。いつものやつか』


 エイルは直接大通りには向かわず、最初の路地を右に折れた。

 城塞にそって町を一周しようというのだ。それが見知らぬ町に入ったエイルの習慣のようだった。

 少し歩くだけで、小さな教会に出くわした。

 エルデが言うように単純に考えれば複数の教会が建っているということは、熱心な信者が多いと言うことなのだろう。エイルにはその鐘の音がマーリン正教会のものなのか、クリングラ派マーリン教……すなわち新教と言われる教会のものなのかはわかりかねたが、響き合う鐘の音に、いきおい厳かな気持ちになっていった。


『カレンの言うとおり有名な宿屋みたいだな』

[まあ、自警団の代表いうたら町ではちょっとした顔役やもんな。でも、「蒸気亭」なあ……。蒸気亭、蒸気亭]

『知っているのか?』

[うーん。俺の記憶が正しければ]

『正しければ?』

[カレンという、エイル好みのかなりかわいい金髪娘の店やな]

『エルデ。お前、いつか絶対ぶっ飛ばす。それからカレンがオレ好みとかっていうのは余計だ』

[早くぶっ飛ばされてみたいなー。つうかそこは『オイブ』やろ?]

『いや、あれはもういいから。というかお前、友達いないだろ?』

[俺は選民やからな。周りにはクズしか居らへんかったし。ま、お前さんみたいなぬるま湯の世界で育った凡人にはわからへん辛さやな]

『言ってろ』

[おまえさんこそ、そのブアイソな性格で友達なんておったんか?]

『……』

[フン、自分のことになるとダンマリかいな。賢いことで]

『お前、オレに記憶がないのを知ってて喧嘩を売っているんだよな?』

[あ……]

『あ……じゃねえよっ』

[す、すまん……。でも、心配はいらへん。請け合ってもええけど絶対友達なんておらへんって]

『よし、決めた。いつか絶対お前を百回くらいぶっ飛ばす』


「それにしても山間のちっぽけな町かと思ってたのに、規模も大きいし人も教会も多いし、かなりにぎやかだな」

 エイルは心の中でエルデに悪態をつきながらも行き交う人々の多さに驚いて思わず声に出してつぶやいた。

[ランダールはこの辺りやと都市言うてもええくらいの規模の町やから、いわゆる『町』とは規模がちゃうな。主立った建物を見てみ。上屋こそ普通の煉瓦と木造の組み合わせみたいやけど土台はどれもしっかりした石で組んである。裕福とかそういう価値観とは違うかもしれへんけど、それなりの力をもった町なんは確かやな]

『そうみたいだな』

[そう言えば精霊祭の大市があるって言うてたな。各地から人が集まりそうやし、なんか情報があるかもしれんし、さらに言うとさすがに体もいちどきちんと休めたほうが良さそうやし、ここでは久しぶりに何日か逗留してみよか]

『その意見には反対意見はねえよ。というか大賛成だ』

[ほな決定や]

『ところで市と大市って何が違うんだ? 規模が違うってのはわかるが、それだけの違いなのか?』

[市は多分毎月とか2ヶ月にいっぺんとか、定期的にやる普通の市やろけど、大市は年に一回ないし数回開かれて、主に商売人同士の大規模な商いが行われるのが普通やな。単純に言うと会場の規模も集まる物資の量も人の数も普段より多いっちゅうことやろな」

『なるほど、大市というのは見本市みたいなものか』

[見本市?]

『すまん、フォウの話だ』

[そうか。カレンが言うてたようにこの町はワインの出荷基地としても機能してるからな。北の街道は商人の国ウンディーネ共和国への貿易拠点になっとるモロウっちゅう港湾都市に通じてるし、かなりの商人が集まるやろな]

『なるほど、これから行く先のウンディーネの情報も集まるって事だな』

[そういうことやな。これから北に行く訳やし冬の装備もいるな。ついでにそっちの準備もここでしとこか]

『そうだな』

 エイルは広場に行く途中で見つけた二、三軒の宿で冷やかしがてら部屋の値段と空き具合を訪ねたが、どこも満室の状態だった。


「悪いけど、今からじゃどこも難しいんじゃねえか?」

 宿屋の主人達は異口同音に申し訳なさそうにそう言った。

『カレンの言ったとおりだな』

[あ、向こうに見える左側の大きな通りに入って最初の路地を右に入るんや]

 じっくり時間をかけて一通り町の概要を把握したエイルは、宿探しの為に大通りをぼんやりと眺めながらゆっくりと歩いて中央広場にたどり着いた。そこで思い出したようにエルデが指示を出してきた。

『宿に落ち着く前にどこかに寄るのか?』

[うん。ルドルフってオッサンがやっている宿があって、そこでちょっとした『ブツ』を受け取るのがランダールに寄った最大の目的や]

『ランダールでやらなきゃいけない用事ってそれか』

[ああ、かなり大事、っちゅうか俺たちにとっても重要なものなんや]

『ふーん』

 広場から一歩入った路地は、路地とは言えそれでも結構な道幅があり、大型の馬車が十分通れるほどの広さだった。表面がすっかり平らになった石畳がこの町の歴史を表しているかのようだ。


 エルデの言うとおり、その路地の少し先に宿屋の看板が掛かっていた。

『ここだな』

[せや]

 無骨な筆致で大きく「蒸気亭」と文字を打ち出された銅板が、やや古めかしい木製のドアにはめ込まれていた。

『エルデ』

[なにかな?エイルくん]

『知ってるなら、最初に言え。それともお前にはそのねじくれた性格障害とは別に記憶障害もあるのか?』

[いや、こう見えても俺も驚いてんねん]

『うそつけ』

[ホンマに宿の名前まで知らんかってん。聞いてた場所だけは覚えててんけどな]

『カレンの事も聞いてたんじゃないのか?』

[疑り深いやっちゃな。教わった宿の場所しか覚えてへん。嘘やない]

『全くお前さんは天才だぜ。人を怒らせる、な』

[お褒めにあずかり光栄やわ]

 エイルは小さくため息をつくと、仕方なさそうにその頑丈そうな扉をゆっくりと引いた。

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