第二話 カレナドリィ・ノイエ 8/8

「それより本当に町に行ったらウチに寄ってね。『蒸気亭』っていう宿屋なの。中央広場の近くよ。値段も良心的だし私が腕によりをかけて……」

「へえ、カレンの料理が食べられるのか?」

「きちんと掃除・洗濯をしているから。部屋も夜具も清潔で綺麗よ」

「……」

「大丈夫。お父さんはかなり腕のいい料理人だから食事も結構いけるわ。自警団の団長だっていったでしょ? つまりお父さんの顔が広いっていうこともあって自慢じゃないけどこの辺りじゃちょっと有名な宿屋なのよ。詳しい場所はランダールの町に入ってから誰かに聞けば教えてくれるわ。みんな知っているから」

「メシがうまくて、安くて有名な宿屋か。願ったりかなったりだな」

「ええ。それで、いちおう私はそこの看板娘」

 カレナドリィはそれだけ言うと悪びれずにニッコリと笑って見せた。

「料理はできないけどね」

 エイルはその少し懐かしいようなカレナドリィの笑顔を見ていると、また少し心が軽くなる気がした。


『ああ、まただ』

[え?]

『この子の笑顔にはルーンがかかってるのかもな』

[は?]

『あ、いや。何でもない。こっちの話だ』


「さすがは看板娘だな。その宣伝文にはクラっと来た」

「ふふふ。あ、でも明後日は市の立つ日で、特にこんどの市は大精霊祭にやる大市だからお客さんが多くて宿はどこもふさがっているかも知れないわね。たしかウチも満室だもの。でも、どこにも部屋が取れなくてもあきらめずに絶対最後にウチに来て。お父さんに私の名前を出して予約したとか言ったら死んでも何とかしてくれると思うから。私も日が落ちるまでには帰るし、私がいれば絶対大丈夫」

「心強いな。その時は世話になるよ」

 カレナドリィは大きくうなずくと、

「約束よ」

 そう言った。

 だが、カレナドリィがその言葉を発したとたんにエイルの顔から穏やかな雰囲気がさっと消えた。当のカレナドリィはその変化を見逃さなかった。


「どうしたの?」

「いや」

「まあ、いいわ。じゃあ約束の握手よ。ウンディーネの人は知らないみたいだけど、サラマンダでは約束の握手はこうやるのよ」

 そう言ってカレナドリィは右手を差し出してエイルの顔の前に持ってきた。

「こうやってお互いの顔の近くに手を挙げて、右手で握手するの。そして左手はこう」

 カレナドリィは今度は左の掌を相手に見せるようにして肩の横にあげてみせた。

「なんでも、もともとは左の掌に約束の言葉を書いて相手に見せ合ってたんですって。いまはそれは省略されて掌を見せるだけになっているけど」

 だがエイルはカレナドリィが差し出した右手に手を伸ばさなかった。

「エイル君?」

 カレナドリィは険しい表情をしたエイルを心配そうに見つめて声をかけた。

「約束は、できない」

 エイルは小さく深呼吸すると、意を決したようにそう言った。

[あーあ。毎度毎度めんどくさいやっちゃ]

『うるさい』

[せっかく可愛い子ちゃんとええ雰囲気かなーって思ってたのに、最後にこれや。好感度急降下って感じ?]

『黙れと言ってる』

[はいはい]


「悪いけど、オレ、誰とも約束はしないことにしてるんだ」

「え?」

「そういう主義なんだ」

「あらあら、そうなの。でも、なぜ?」

「それは……言えない」

「どうしても?」

「どうしても、だ」

「うーん」

 カレナドリィは一度差し出した手を引っ込めると腕組みをして思案して見せたが、すぐに元の笑顔に戻った。

「じゃあ、約束はなし。でもエイル君にできる範囲で最大限の努力はするぞーっていうのはどうかな?」

 エイルは済まなそうな顔をするとうなずいた。

「そうだな。それなら、問題ない」

 その言葉にカレナドリィの表情が嬉しそうに輝いた。そしてニッコリ微笑むと再び右手を腰の高さで差し出した。

 左手は挙げなかった。

「じゃあ、最大限の努力をしてくれることになったエイル君の言葉を二人が忘れないようにするおまじないの握手」

「なんだよ、それ」

「いいから、ほら」

 促されてエイルは差し出されたカレナドリィの細くて白い手をもう一度そっと握った。カレナドリィは遠慮がちなエイルとは逆に、ぎゅっと握り返してきた。それは女の子とは思えない程強い力だった。

「いててっ」

「えー、そんなに痛いはずはないわ。大げさね」

 そう言ってあははっと笑うと、カレナドリィは手を離して籐の籠を背負った。

「それじゃあ」

 その姿に向かって、エイルは別れの言葉を告げた。出来るだけ軽い別れの言葉を選んで。

「ええ。じゃあ、また後でね」

「そうだな」

「きっとよ」

「ああ。最大限の努力はしよう」

「ふふふ。おまじないが効くといいな」

 二人はお互いに手を振って別れた。

 エイルは軽やかな足取りで山道を登っていくカレナドリィの後ろ姿を少しの間見送ったあと、改めて近くにあった道標を確認するとランダールへ向かう街道をみやった。

 昨夜は道標の存在など気にもしていなかったが、そこにはカレナドリィの言うように、ランダールの町まで半時間ほどの距離だと言うことが表示されていた。


『さて、いくか』

[夕べまでのことを思うと、今日はけっこういい朝やな、って思ってるやろ?]

『もう昼を過ぎてるけどな』

[おまえさんが寝過ぎたせいやろ]

『おまえのせいでこんな目にあってるんじゃないかよ。昨日は殆ど道なんか無くて、ずっと藪こぎだったんだぞ。しかもオレ一人で。おまけに夜中にアレだしな』

[仕方ないやろ、近道やねんから。同じ二点を結ぶ線は、直線の方が曲線より短い、の法則や]

『なんだよ、それ』

[おかげで予想よりずっと早くランダールに着いたし』

『ったく』


「まあ、とにかく」

 これは声に出した。

「今日は風呂に入るぞ。メシも食う。そして清潔で柔らかいベッドで爆睡だ」


[まったくや。お前さんは体力の配分効率がめっちゃ悪いからなぁ]

 エイルは軽く舌打ちすると、歩みを早めた。

『はいはい。お前の回復ルーンのおかげでいつもずいぶん助かってますとも。今のオレがこうして生きているのもカラスが黒いのも全部エルデ様のおかげでございますだ』

[おおきに。というかカラスって何や?]

 昨夜までの疲労がとれたわけではない。まだ体は重く、けだるい。

 しかし、目的地が近いことは気分的な負担を軽くする。そして間違いなくカレナドリィから力をもらっていると感じていた。

 足を踏み出すことがおっくうではないのだ。まだ疲れてはいたが、気持ちはすっきりとしていた。


[さっきのアレな。「癒やすもの」や]

 突然心の中で脈絡のない話題が振られた。

『は?』

[エイルの意味]

『そうか』

[そうや]

 エイルはそれ以上は何も言わず、前方に姿を現した城塞の町へ向けて歩を速めた。

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