第二話 カレナドリィ・ノイエ 4/8
エイルは今得たばかりの知識を娘に披露する事にした。わざわざそんなことをする自分を不思議に思いながら。
「それって、タンポポっていう意味だろ?」
カレナドリィはエイルのその言葉を聞くと目を見開いた。しかし、すぐに満面の笑みを浮かべて大きく首を縦に振った。
「うんうん。でも、すごい。よく知ってるわね」
「たまたま、だよ」
「ふーん。これって、なんでももう廃れてしまったすごく古い言葉なんだって。お母さんがその言葉をけっこう知っていて……。ああ、お母さんの名前もその古い言葉なのよ。リザルフェルチェっていうんだけど」
[「ひまわり」っちゅう意味やな]
「ひまわりっていう意味なの。いつも笑顔で本当にひまわりみたいな人だったわ。でも、リザルフェルチェは呼びにくいからっていう理由でリサ、リサって呼ばれてたんだけど」
[おい]
『え?』
[気ぃつけや。母親の話題は過去形やった]
『そう……だな』
「お母さんは言語学者か何かなのか?」
「言語学者?」
「いや、そんな文字も持たないような古代の言葉を知ってるなんて」
「ああ」
カレナドリィは不思議そうな顔をすぐに笑顔に変えた。
「お母さんはウンディーネの少数民族の末裔で、お母さんの一族にはまだなんとか口伝えでいくつかの言葉が残っているみたい。でも、それってみんな花の名前ばかり」
「なるほど」
[ディーネ語を伝える少数民族? 少々興味のわく話やな。どこの部族やろ]
『お前が他人にそういう興味を持つのは珍しいな』
[持ち前の学究心が目覚めてもうたかな]
『ほおー』
「それより、そんな言葉を知っているあなたの方が不思議だわ」
「まあ、ちょっとそっち方面はカジったことがあっただけだ」
[ほおー]
『し、社交辞令だっ。黙ってろ!』
「ふーん。あ、でも私の事はカレンって呼んで」
「カレン?」
「ええ。カレナドリィって言いにくいでしょ? なんか修道女みたいな禁欲生活してますーっていう感じの名前だもの。それに『カレナドリィ』って言うのは叱られる時の名前なの。お父さんも普段は『カレン』なのに、お小言を言う時は必ず『カレナドリィ』」
「なるほど」
「でも修道女の禁欲生活って実際はどうなのかな? エイル君は知ってる? ランダールには女修道院はないし、私にはよくわからないのよね。禁欲的っていう言葉がどうしても窮屈そうなのはわかるんだけど。でも誤解しないでね。私、自分の名前が嫌いな訳じゃないのよ。どっちかっていうと気に入ってるんだけど、カレナドリィって呼ばれるよりカレンの方が若い女の子っぽいし、だいいち気さくな感じでしょ? 私がもっとずっと歳を取って、そうね、おばあさんになったらカレンよりカレナドリィの方が似合いそうだわ。カレン婆さんよりカレナドリィ婆さんって呼ばれた方が威厳がありそうじゃない? 子供達も言うことを聞きそうな気がしない? でも今はカレンの方がいいかなって思うの。そうそう。ちっちゃい時はみんなヴィーって呼んでたんだけど、さすがにこの年になってヴィーだと子供過ぎる感じでしょ? だから今はカレン。で、実際にいつカレナドリィって呼んでもらうかは考え中なの。でも今からお婆さんになった時の事まで考えるのってちょっと変よね。うふふ。あ、そうそう。それよりもエイル君って、女の子の名前みたいねえ」
エイルはしゃべり続けるカレナドリィに毒気を抜かれていった。そしてカレナドリィのおしゃべりに合いの手や突っ込みを的確に入れるのは並大抵の事ではない、と即座に悟った。
なにしろ口を挟む隙が見えない。
カレナドリィは決して早口ではない。でも、会話に全く切れ目がないのだ。
話題に対して合いの手や訂正をしようと思っても、次の瞬間にはなぜか違う話題を喋っていて用意した言葉はもはや過去の遺物にされてしまう。
たぶん、こういう状態になってしまったら最後、カレナドリィが話をやめるか、こっちに質問を投げかけて答えを待つ間合いを狙うしかないようだった。
エイルの考えは当たっていた。一方的な話はしばらく続き、そしてようやくエイルに向けられた質問はしかし、彼にとってあまり愉快な話題ではなかった……のだが、不思議とカレナドリィに対してはいつものようには腹が立たなかった。
だから、素直な答えが口から出た。
「よく言われる。だからそう言われる度にいつも名付け親を呪う事にしてる」
「呪うって……ひょっとして今も?」
「ああ、今、呪いの言葉を唱え終えたところだ」
『ったく』
[ホンマにええ名前なんやけどなあ]
「ダメよ、呪うなんて」
カレナドリィはそう言ってエイルをたしなめた。
「綺麗な名前だもの。それに優しい響き……そんな素敵な名前を付ける人に絶対悪い人はいないわ。だからご両親を呪ったりしちゃダメよ」
「ご両親って」
「そうそう、女の子みたいな名前の男の人と言えば私が今まで知ってる中で一番ヘンだったのは」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「え?」
「いや、なんというか、そう。お世辞は別にいい」
エイルはカレナドリィの終わりなきおしゃべりが再び始まるのを止めることが出来た。
『やれやれ』
[偉いな。よう止められた]
『オレも自分をほめてやりたい気分だよ』
「ううん、ホントよ。私、お世辞はいわない主義なの。でもごめんなさい。気にしてたんだ?」
「名前のことか?」
「ええ。どう考えても女の子みたい、って言ったこと」
[『どう考えても』とか言うてないやろ?]
『この子、無自覚にひどい奴なのかも』
「気にするだろ、普通。というか、ずっと気にし続けている」
「ふふ。でしょうねえ。私もダニエルとかジェイコブなんて名前を付けられたらいい気はしないし、それよりやっぱりエイル君みたいに名付け親を恨んじゃうかも知れないわね。あ、別にダニエルっていう名前は嫌いじゃないわよ。父方のお爺さんの名前だし。それにエイルっていう名前がいい名前なのは間違いないわよ。アニーだってきっとそういうわ。アニーって言うのは私のお友達で、サクランボの農家の娘なんだけど、本名はアナハイムって言うの。でも本人はそれが気に入らなくてアニーって呼ばないと怒るのよ。でも普段のアニーはとっても優しいいい子で私は大好き。髪の毛も栗色でまっすぐで長くて、さらさらで私みたいなこんな癖っ毛じゃなくて憧れてるの。アニーの髪の毛をとかしてあげるのが私の密かな楽しみなのよ。アニーも気持ちいいって言ってくれるし二人とも楽しくなれる作業ってすごいと思わない? アニーはすごいのよ。最近サクランボの砂糖漬けの独自製法を考案したって言ってたわ。でもアニーのお父さんは絶対アニーをサクランボ倉庫に近寄らせないらしいの。鍵がかかってて、その鍵は眠る時もお父さんが肌身離さず持っていて、奪うことが出来ないんだって。お母さんに頼んだら『あんたの砂糖漬けは個性的過ぎてウチじゃ無理』って言われて協力してくれなかったんだって。でもそこまで言われると是非一度食べてみたいと思わない? 来年の春は絶対試食しなくちゃ。だって、個性的な味なのよ。でも個性って言っても、いったいどんな個性なのかしら? 今から楽しみで仕方ないわ。そう言えばアニーのお母さんはウンディーネの生まれだって言うから、きっとエイル君の名前を聞いたらステキだって言ってくれると思うわ」
「そ、そいつは、どうも」
少し照れたようにそう言って目をそらしたエイルを見て、カレナドリィはにっこりと微笑むと、今度は遠慮がちに尋ねた。
「あの……それと、これもよく言われるかも知れないけど」
その言葉にエイルは即座に反応した。今し方の照れくさそうな雰囲気はかききえていた。
「オレの目の色が黒い事か?」
エイルはあからさまにうんざりしたように答えて見せた。
「あ、あの……ええ、ご、ごめんなさい。でも私、黒い瞳って見るのは初めなの。だから……。でも、気に触ったのならごめんなさい」
先ほどのお喋りの時の元気さと勢いはどこへやらと言った風にカレナドリィは背中を丸めて小さくなってうつむいて見せた。それはまるでいたずらを叱られた子供のよう姿だった。
その姿を見て、エイルは思わず苦笑するしかなかった。
「なあ、黒い目はそんなに珍しいものなのか?」
だから、無愛想を装いながらも口調が穏やかになるように気を遣ってそう尋ねた。
同時にそんな事を考えた自分にエイルは愕然とした。ファランドールに来てからこっち、相手のことを思いやって会話をするのは初めてのような気がしたのだ。
「ええ、もちろんよ。お父さん……父は昔一度だけ見たことがあるって言ってたけど私は初めて。たぶんこの辺じゃ見たことある人はほとんどいないんじゃないかしら。でも、黒い瞳って実物を見ると、すごく綺麗ね。神秘的って言うか……。エイル君の瞳は茶色も灰色も混じってなくて、本当に黒くて深くて吸い込まれそう。それにその目はあなたの黒い髪にとっても似合っているわ」
「そ、そうか」
エイルは褒められてまたもや思わず少し赤面した。
[あの、もしもし?ひょっとして照れてる?]
『お前、いちいちうるさいぞ』
[ちょっとかわいい女の子に褒められて頬を赤らめるやなんて、ウブ過ぎやろ。こっちが恥ずかしいわ]
『ええい、やかましいっ!』
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