第二話 カレナドリィ・ノイエ 3/8

「普段の食事そのままだからごちそうでもなんでもないけど、おなかの足しにはなると思います。ランダールにたどり着く前にまた倒れたら大変だもの」

「その、君の用事ってのは?」

 ライ麦パンのサンドウィッチを見つめて大きくつばを飲み込みながらも、まだエイルは遠慮していた。

「えっと。キノコ狩り。えへへ」

 エイルの問いにそう答えた娘は少し顔を赤らめて恥ずかしそうに笑った。

「キノコ狩り?」

 想像もしていなかった返事にエイルの思考が止まった。


『キノコ狩り?』

[キノコ狩りはキノコを採集する行為や】

『ンな事は知ってる』

[そっか、すごいなあ】

『オイブ』

[ハ]

『やっぱ、やめないか、これ』

[なんでや? ええ感じやん]


「ええ。その藪から入ってちょっと行ったあたりにミヤマシメジの群生があって……。ちょうど今日あたりが収穫に最適な日なの。おばあちゃんに教わった私しか知らない秘密の場所」

「ミヤマシメジ?」

「ええ。とってもおいしいのよ。それに貴重品。でも私がここにキノコ採りに来たことはヒミツです。最近はこのあたりも物騒だから、一人で町から外に出るなってうるさく言われているの」

「ああ。それはいいけど」

「ここからだと、その場所までもうあとほんの少しなの。だから本当に私には遠慮しないで下さいな」


[気ぃつけや。毒キノコ入りかもしれへんで]

『この弁当のどこにキノコが入ってるんだよっ』

[パンに練り込んでるとか?]

『あのな、エルデ』

[はいな]

『お前って、オレが思うに相当のワルみたいだしさ、まさか若い女性に毒殺されるような心当たりでもあるのか?』

[うーん、まあ、女なんてみんな敵?みたいな]

 エイルからエルデという名前で呼ばれたもう一つの心の声は、エイルに対して茶化すように応えた。

『おまえって奴は』

[でもまあ、その娘の言うとおり賊や物取りなら寝てる隙にとっくにやられてるやろし、わざわざ毒キノコ入りの食事を差し出すとか、まったくもってありえへんやろ]

『そういう事だな。だいたい毒キノコ程度じゃ死ねない体だし。誰かさんのせいでな』

 エイルはそれでもパンと娘を交互に見比べていた。

「あ、パンだけじゃ食べにくいかな?飲み物もありますよ。残念ながらワインじゃないけど。でもまだお酒を飲める歳じゃないわよね」

 再び籠を探ると、娘は革袋の水筒を取り出した。

「うちの裏にあるわき水なの。すごくおいしいのよ。ランダールが目的地だって言ってたから知ってると思うけど、ワインと並んで水も自慢なんです」

 笑顔で差し出された水筒と手元の弁当を見比べるとエイルは目を伏せた。

「すまん。見ず知らずのオレに」

「いいんです。こんなご時世だから困っているときはお互い様。それに」

「それに?」

「あなた、見たところ弟と同じくらいの歳だから、私ひょっとしたら普段よりずっと親切かもしれません」

「君、歳は幾つ?」

「あらあら、女性に歳を聞くものじゃないって教わりませんでした?」

「なぜ?」

「冗談よ。私は十七歳」

「なんだ。じゃあオレと同い年じゃないか」

「えええええ? そうなの?だってどう見ても」

「どう見ても?」

 エイルは娘が思いっきり驚いた顔をしたので、ちょっとムッとした表情を浮かべた。

「あ、ごめんなさい。えっと、そういうつもりじゃなくって」

 エイルの表情を見て、娘はバツがわるそうに視線を泳がせた。

「いいさ。どうやらオレはここじゃ年下に見られるようだしな」

「ここ?」

「い、いや、なんでもない」

「若く見えるっていうのは、ほら、えっと、なんていうか、元気があって見るからに若々しいから?」

「頬はきっとこけてるし、腹が減ってヘロヘロなのにか?」

「ええっと。だからほら、遠慮しないで食べて食べて」

 青い瞳のタンポポ色の髪の少女はそういってチロリと舌を出すと小さく笑った。

 明るい、いいい笑顔だなとエイルは素直に思った。それによく笑う。

 瞳の大きな人なつっこい綺麗な顔は、普通にしていても柔らかい表情で、見ている人間を優しい気分にしてくれるようだった。おそらく町では誰からも好かれているんだろうな……そうエイルは想像した。少なくともそう思えるような、人を安心させる笑顔をした娘だった。


「ほらほら。おなかが減っているんでしょう? さ、召し上がれ」

 まだグズグズと迷っているエイルに娘は声をかけた。

 たんぽぽ色の長い三つ編みの娘からすると、目の前の黒髪の若者はどう見ても年下にしか見えないのだろう。

 とりあえず同い年だと知った後の娘の言葉遣いは少し親しいものに変わった。

 エイルはやっとのことでうなずいて、パンをかじった。


 久しぶり……おそらくまるまる三日ぶりくらいに口にするまともな食べ物だった。

 一口食べては水筒の水を含む。

 冷たい水が心地よく喉を通過していった。

「ゆっくり、よくかんで食べないとだめよ、ええと」

 娘は笑いながらそんなエイルの仕草をみていた。

「オレは、エイル。エイル・エイミイだ」

「エイル・エイミイ君ね。エイル君って呼んでいい?」

「ああ、オレのことは別に何とでも呼んでくれ。それで、君は?」

「私はカレナドリィ・ノイエっていうの」

「カレナドリィか」

 娘はうなずいた。

[ほう、珍しいな]

『珍しい名前なのか?』

[ディーネ語やな。実際のところはもうほとんど知っている人間はおらへんと考えてたんやけど、一部の単語はまだまだ残ってるいうんはホンマみたいやな]

『また訳のわからんディーネ語か? ルーンに使うとかいう』

[そや。今の言語は俺が使うてる古語を含めてノーム系言語っていわれてるんやけど、ディーネ語はそれとは全く別系統の言語で大昔に廃れてる。ちなみにディーネ語にはいわゆる文字に相当するものが存在してへん。古代のディーネ文字もそうやけど、言葉や文章っていう、ある程度まとまった概念を記号化、音声化するような形で残してたみたいやな。文化人類学的な考察をすると、廃れた原因はそこやろな]

『古代のディーネ文字って、象形文字みたいなものか?』

[いや、そういうんやのうて、一見意味不明な図形の集合体なんやけど、それを一文字とすると、その一文字で本人の自己紹介が全部出来てる、という感じで、およそ普通の人間には解読不能なもんなんや。たぶん相当な知能がある人間しか使いこなせへん言語やったんやろうな]

『なるほど、そういうのなら、フォウにも似たような概念のものがあったような気がする』

[ホンマか?]

『あ、いや、それは人間には読めない特殊な図形なんだけどな。だからちょっと違う』

[お前さん、そういう記憶は残ってるんやな]

『生活習慣みたいなものは結構ちゃんと記憶しているみたいだな』

[ふーん。まあええわ。それで、ディーネ語には普通に現代語に置き換えられる日常単語みたいなもんと、今言うた複雑な単位情報言語とも言うべき記号を使う、より古い体系があって、そっちの方は古代ディーネ語って言うんや]

『逆じゃねえの? 複雑で意味不明な図形の方がより新しい文明って気がするんだけど』

[古代ディーネ語は高度で複雑すぎて、使えるモンはほんの一握りやったというのが、大方の見方やな。より単純に、大衆化されたのがディーネ語で、そっちは文字がないときた。でも実際のところは不明やな」

『ディーネ語を使う文明が大昔に滅びたからか?』

[ディーネ文明は謎に包まれてるからな。遺跡もほとんどないし、ホンマに存在してたんかも怪しいかもしれへねん。まあ、基本的には伝説に近いな]

『ふーん。それで、そのディーネ語だってわかるってことはアレだろ? お前には意味がわかるってことだよな? カレナドリィっていう言葉の』

[『たんぽぽ』や]

『へえ』

[まさに「へえ」やな。名は体を表すというか、そのまんまやな、この娘。ひねりはないけどええ名前や]

『そうだな』

[言うとくけど、エイルっちゅうのもディーネ語なんやで]

『そうなのか? お前、そんなこと言ってなかったじゃないか』

[意味もなく名前はつけへんやろ]

『で、エイルっていうのはどういう意味だよ、教えろ』

[お前には名付け親に対する敬意っちゅうもんが感じられへんから教えたらへん]

『感じ悪いな』

[放っといてんか]

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