第二話 カレナドリィ・ノイエ 2/8
「どうしました?」
心の中でもう一人の声と会話をしていたエイルは少女にはぼんやりした状態に見えたのだろう。心配して声を掛けたのだ。
「いや、ちょっと考え事をしてた。というか、現状把握だ」
「現状把握、ですか?」
「そうなんだ。確か夕べは歩きづめで疲れてて、腹が減ってて……この場所が見えた時には気が遠くなって」
そこまで喋って、エイルはハッと我に返った。
「いや、オレのことはどうでもいい。本当に大丈夫だからもう放っておいてくれ」
「えっと、ずっと何も食べてないんですか?」
「あんた……いや、君には関係ない」
「あらあら、まあ。何も食べてないのは体に良くないですよ」
少女はそういうと心配そうな眼差しでエイルの側に近寄ってきた。エイルはそれに反応して同じだけ後ずさった。
「そんなことは言われなくてもわかってる。いや……そうじゃなくてオレの話を聞け」
「もちろん、ちゃんと聞いていますよ」
努めて無愛想に振る舞うエイルの言葉を聞いてか聞かずか、少女はエイルが後ずさる速度よりも速く間合いを詰めてきた。
大きな青い目が、さらに大きく見えた。それくらい近づいたところで、少女はその目を細めて優しく微笑んで見せた。それはまるですねた幼い弟をあやす姉のような表情で、エイルはなぜか自分がこの娘に対してすっかり安心しているのに気づいた。
「本当に賊の類じゃないんだよな?」
間抜けな質問だとは知りつつ、エイルは笑っている娘に敢えて尋ねた。
娘はそのエイルの問いに今度はけらけらと声に出して笑って見せた。
「何がおかしい」
「私ってそんな風に、賊の類に見えますか?」
[女は見た目ではわからへんからな]
『男だってそうだろ?』
[いや、男はわかりやすい]
『そうなのか?』
[たぶん]
『たぶんかよ』
「その、あれだ。女は見た目ではわからん……と忠告してくれたお節介な奴がいてだな。そうだ、女で油断させておいて物騒な連中が後から現れるなんてザラにある話だろ」
「ザラなんですか?」
「ああ……いや。どうなんだろう」
エイルは答に詰まって頭をかいた。
[おいおい]
『うるさい』
少女は可笑しそうに笑ったままだ。肩が震えている。
「あなた、そんな目に遭ったことがあるんですか?」
エイルはばつが悪そうに答えた。
「幸い、そんな経験はないな」
「うふふ。そうよね。でもホラ、私が賊ならわざわざ助け起こしたりしませんよ」
[あのな]
『なんだよ』
[どう考えてもこの娘は賊っちゅう雰囲気やないやろ?]
『……お前なあ』
エイルはもう一人の声に肩を落とした。
「それもそうだな。すまん」
「いえ、そんなことはもう気にしないで下さい」
『お前、いつかぶっ飛ばすからな』
[その台詞は聞き飽きてもうたな。せや、次からは『オイブ』って言うてくれるか]
『はあ?何だよ、『オイブ』って。』
[オまえ、イつかブっとばす の略や。そう言われたオレも面倒やから『ハ』って答えたる。どや? お互いにかなり無駄が省けるで]
『『オイブ』』
[『ハ』]
『なぜだろうな。ちょっと泣きたくなってきた』
[修行が足りんな]
『くそ、絶対ギタギタにしてやるからな。覚えとけ』
エイルはとりあえず心の中でもう一人の声に悪態をついた後で娘に話しかけた。
「それより君さ、その軽装だとこの近くの集落から来たんだよな」
「ええ」
「君の集落までどれくらいかかる? とにかくどこかで腹ごしらえをしたいんだ。情けない話だけど、このままだとまたすぐ倒れそうなんだ」
たんぽぽ色の長い髪を持つデュナンの娘は、青い目を細めてクスクス笑いながら、何も言わずに背負っていた籠を地面に下ろした。蓋付きの籐で編まれた背負い籠だ。エイルがいぶかしげに見守っているのを横目でみながら、少女は蓋を開けてなにやら中を探り、中から包みを取り出した。それは朴の葉を使ってきちんと包まれた、手のひらより少し大さの包みであった。
「どうぞ」
少女はそういうとその包みをエイルに差し出した。
「え?」
エイルは少女の行動に面食らった。
「この道をしばらく下っていくとすぐに森が開けて、谷間の向こうに町が見えてきます。ここからだと三十分もかかからないかしら」
「けっこう近いんだな」
娘はうなずいた。
「町はランダールと言ってこのあたりじゃ一番にぎやかなところだから、宿屋や食事ができるところは何軒かありますよ」
エイルは少女が口にした町の名前に反応した。
「ランダールだって? あの?」
少女はエイルの反応を見てうれしそうににっこりと笑った。
「ええ、サクランボとワインで有名な『あの』ランダールです」
「君の町ってランダールなのか。オレたちはそこに向かってるんだ」
その言葉を聞くと、娘は少し不思議そうな表情でエイルを見つめた。
「うん?」
エイルがどうした? という風に尋ねたが、娘は首を左右に振るとすぐにもとの笑顔に戻った。
「何でもありません。じゃあ目的地はもうすぐですね」
「そうだな。なんか気が抜けた」
エイルはそういうとため息をついた。娘はそんなエイルに朴葉の包みを差し出した。
「それでも、そんなにおなかが減ってるんじゃそこまでもたないでしょ? だから、よかったらこれをどうぞ」
[おお。ほとんどランダールまで来てたんかあ]
『お前さあ、ランダールはまだかなり先なんやーとか言ってたじゃないか』
[そっか。良かった良かった。夕べは結構距離を稼いだしやなー]
『お前も人の話を聞け』
[聞いてる聞いてる]
『まったく、お前の言うことは肝心な時にアテにならないよな』
[今まで何度もアテにならないヤツのおかげで命拾いしてるやないか]
『フン。まあその点にだけは感謝してる』
[そや。わかればええねん]
『いや、ちょっと待て。オレの命拾いはお前の命拾いでもあるんだろ?』
[いちいち細かいやっちゃな]
エイルは心の中でもう一人とやり合いながらも、差し出された食べ物とおぼしき包みに、不覚にも顔を輝かせた。
思わず手が出そうになったが、ぐっと堪えると微笑する娘の顔と包みとを見比べた。
「でも、これは君の食事なんだろう?」
[ふふ。腹を鳴らしておいて、いまさらその言いぐさはどうかと思うで]
『う、うるさい』
手を差し出すかどうかを決めかねている様子のエイルを見ると、娘はさらに一歩距離を詰め、手にもった包みをエイルの胸のすぐ前に差し出した。間近で見ると娘の身長はエイルより少し高い。娘が大柄というよりはデュナンに比べるとこの世界ではエイルの方が小柄な種族なのだと言うことなのだろう。その事はエイル自身、すでに認識はしていた。
「私は朝ご飯をしっかり食べてきたから大丈夫です。それに私の用事はそれほど時間がかかるわけでもないですし。それにこれは、もともと非常食だから」
「非常食?」
「ええ」
娘はまた、大きな目を糸のように細めて微笑んで見せた。
「非常食が非常時に使われるのはとても正しい事だと思うわ」
エイルはそう言われて手を伸ばし、タンポポ色の髪をした人なつっこそうな微笑みを浮かべる、空色の瞳を持つ美しい娘が差し出した包みを受け取ると、おそるおそるそれを解いた。
大振りな朴の葉は細めの麻の編み紐できちんと結ばれていた。ただし、ほどきやすいように。
それを見たエイルの心が少し和んだ。若い女性のちょっとした気遣いというか、かわいらしい手間が感じられたのだ。たとえ自分の為といえどこういったちょっとした工夫があると、やはりほっとするものだ。そのあたりの情緒を知っている女性だという事だろう。そしてそれは誰かによって優しく育まれてきたものに違いなかった。
そのちょっとした気遣いが自分にない為に、大事な食料を失ってしまうという失態をしでかしたのかもしれないと、自戒の念が頭をもたげてきて、エイルは少し落ち込んだ。
だが、そう落ち込んでばかりも居られない。
気を取り直してゆっくりと開いた包みの中身は、山羊のチーズとキュウリのピクルスを挟んだライ麦のパンだった。
素朴で質素な、行ってみればありふれた弁当だったが、きっといい香りがするサンドウィッチなんだろうな、とエイルは想像した。チーズの香りもさることながら、きっとこのパンも今朝焼いたと思えるバターのいい香りがまだ残っているに違いなかった。
『はあ』
[ため息をつきなや。こればっかりはしゃあないやろ】
『きっと、天国的に良い匂いなんだろうな』
[だからそれは禁句やって】
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