第一話 赤い瞳 6/6
「おいおい、どうした?」
「い、いや、こ、こ、こいつは本物だあああああ」
「ああ?」
「お、俺は確かに斬りつけたんだ、だが、剣が体をすり抜けちまった」
「なんだと?寝ぼけたこと言ってんじゃねえ」
「このガキ、笑ってやがるぜ」
「信じられないなら、あのガキの持っている精杖のスフィアを見ろぉぉぉ」
兵士が告げた通りに若者の精杖に埋め込まれたスフィアと言われる球体に目をやった男達から一瞬にしてニヤニヤ笑いが消えた。
「ヤバい。こいつ、マジで教会のルーナーじゃねえのか?」
「なんだと? てことはまさか本当に賢者なのか?」
「ガキだぜ?」
「賢者にゃ年齢なんて関係ねえらしい」
「だが、動けないんだろ? だったら俺たちの勝ちじゃないのか?」
若者は「動けない」という言葉に反応した。
「誰が動けへんねん?」
そう言って『曹長殿』に斬りかかられたあたりを手で叩いて見せた。
「う、動いているっ」
「お、おい、そ、そんなことよりあのガキのひ、ひ、額を見ろ!」
誰かがそう言った。
ドライアド正規軍の軍装をつけた男達は、目をこらして月明かりを背にして立つ若者の額を見た。
「うわあああああああああああ!!」
「絶対、本物だああああああっ!」
「なんでこんな所に本物がいるんだよっ!」
「俺が知るかぁ!」
「マ、マズい。に、逃げろ!」
若者は兵士達が大慌てでそれぞれやってきた方向を目指して走りだそうとするのを見ると精杖を片手に握って前方に突き出し、何かを短く一言唱えた。すると逃げだそうとしていた兵士達の動きが金縛りにあったように固まって動かなくなった。
「ヌルいエクセラーのへっぽこルーンがもはや別世界の境地にあると言っても過言ではないルーナーである余に効くわけがなかろう?」
そういうと、腰を抜かして這って逃げようとしていた『曹長殿』に向かって短く何かを唱えた。
「ゆ、許してくれっ」
だが、若者は首を横に振った。
「お前が余に許される人間かどうかを改めて自らに問え」
そう言われた『曹長殿』は、その場でルーンを唱え始めた。
「わ、我はドライアドのラメルデ・ダウ……」
涙と鼻水を流しながら、ルーンを唱え始めた『曹長殿』を感情のない目で見つめると、若者は精杖の頭を『曹長殿』の腹に当てた。
「今度は火炎のルーンか? 言うたやろ? 三流エクセラーごときが、余にショボいルーンをいくらかけても無駄や」
そう言われた『曹長殿』だが、詠唱を唱えるのを止めなかった。
「よしよし、そうか。詠唱始めたら途中で終わられへんわな。ほならこういうのはどうや?お前の腹に当てたこの精杖でお前をドドドンッと押しやるちゅうのは?」
若者の言葉に『曹長殿』の顔が引きつった。
目が見開かれて恐怖の色が濃く浮かんでいた。止めろと言っているのだろう。
だが、若者は容赦しなかった。無表情のまま、『曹長殿』の腹に当てた精杖を無造作に押し出した。ズルッと『曹長殿』の体が動いた。
するとそれまでルーンを唱え続けていた『曹長殿』は詠唱を止め、悲鳴を上げた。
「うわああああっ」
そしてそれが彼の断末魔になった。
悲鳴をあげた『曹長殿』の体はあっという間に火だるまになったのだ。
『おい、これってどういう事だ?』
[詠唱を終了せえへん間に座標軸をズラしてやったんや。要するに詠唱失敗やな]
『なるほど、それで自分に返ってきたって訳か』
[ああ]
燃え上がり、だが若者のルーンで体を動かすことが出来ない哀れな三流のエクセラーは獣のような悲鳴を上げていたが、それもやがて消えると、ただ燃えるだけになっていった。
それを見やった後、若者は他の兵士達を見渡した。
どの兵の目にも恐怖の色が浮かんでいたが、若者は同じように無表情だった。
「お前達の汚れきった肉体と魂が余のルーンに依りここで浄化される事をお前達が信じる神に感謝しろ。もっともそんな神がいればだけどな」
兵士達が次の言葉を発する事はなかった。
そもそも悲鳴さえ聞こえずに事は終わった。
若者が何かを唱えた瞬間、彼のまわりに四本の白色の光柱が発生した。そして十人の兵士達はあっという間に白い炎に包まれ、声を発する間もなくその場でことごとく灰になった。それは一瞬の出来事で、そこには焼死体すら残らなかった。
若者が放ったのは圧倒的な高温を発する炎のようだった。炎の渦の中心に立っていた当の若者は黒い髪を少し揺らしただけで、自らは炎の影響を全く受けていないように見えた。
小さな竜巻のように炎が白から赤に色を変えながら渦を巻いて空に消えた後、賢者と名乗る若者はその場に残ったものを吟味していた。
あまりの高温の為に、ほとんどの物が灰になるか蒸発していた。だがいくつかの残骸……多くは金属製のものだ……があった。熱で溶けて変形したまま、いまだ赤く光る剣が散乱しているのを見つけると、若者は即座にまた何かを唱えた。すると今度はあたりにキラキラと光る細かいものが降り始めた。しかし雪ではない。空気中の水分が瞬時に凍ったものだ。つまり、今度は冷却系のルーンを使ったということであろう。
空気中の水分は、二つの月の光を受けてキラキラと光りながら地面に舞い降りはじめた。それは残骸に溶け込むように降り注ぐと、赤い光をすぐさま暗く鈍らせ、あっという間に黒く冷え固まらせた。
元の剣に戻った鉄の板は、その鈍い表面に天空の二つの月をぼんやりと映し出してみせた。
[やれやれ、やな]
若者は独り言を心の中で呟くと、冷たくなった金属を拾い集め、道端の雑草の茂みにまとめて放り投げた。
『相変わらずあっけないな』
[燃え残りは大してないしな]
『いや、そっちじゃない』
[また虐殺やとか言うて俺を責めるつもりか? 別にええで。気の済むまで責めたらええ]
『さすがに、それはもう慣れたよ。慣れてしまった自分が信じられないけど、な』
[まあ、しゃあないやろ。少なくとも何が起こったかもわからんうちに、それも全く苦しまずに死んだはずや。あいつらの罪を考えるとじわじわ苦しみを味わわせて殺す方がふさわしいんやけど、今回はお前さんに免じて慈悲を与えたっちゅうやつやな。全く自分の底知れん優しさにあきれるわ]
『そもそもあんな弱い奴ら、殺すにも値しないだろ。ちょっかいを出さずに最初から全員眠らせておいてやり過ごしても良かったんじゃないのか?』
[それは名案やな、心優しい若者さんよ。でもな、それは子供の論理や]
『ふん』
[これは俺の弁解とはとらんでほしいんやけど……考えてみ? この場でたとえあんな奴らを生かしておいても、誰も幸せにはならへんやろ。明日には俺達の代わりにここを通りかかった誰かが犠牲になるんや。それが証拠にあいつらの一人が言うとったやろ? 「女子供ばかり殺してた」ってな。それにこれは、本来の仕事の一部でもある。知っての通り、そういう判断と権利がマーリンの賢者にはあるんや]
『さすが、聖職者様は我々一般人とは言うことが違うな』
[ええか、エイル]
『なんだよ』
[お前さんがおった世界はここでは想像でけへんような善男善女ばっかりのシアワセな理想郷やったんかもしれんけど、ここは全っ然違う。いい加減わかってるんやろ? ここはお前さんの世界、フォウとは違うんや。ここ、ファランドールではつまらん同情や甘さは他の人間の迷惑になる。そもそも即自分の死に繋がるんやで]
もう一つの声にエイルと呼ばれた若者は小さく首を振った。
『わかってるさ、この世界のデタラメさ加減は。それに、オレの世界だってお前が言うような善人ばかりだった訳じゃない。むしろ……』
[むしろ?]
『いや、いい』
[フン。それにしてもお前さん、体ちょっと疲れすぎやろ? 代わった瞬間気ぃ失うとこやったわ]
『言わなかったか? 本当にもう限界だったんだぞ。安全なところでとにかく休もう』
[全くもって同感や。あのデルワのグラムコールのルーナーに敬意を表して一応中位のルーンを使こたから、実はマジでもうかなりヤバイんや。ふわぁ……]
そういうと若者は大きなあくびをして見せた。
『おい、意識を失う前にオレに替わっておけよ』
[ああ、あとは任せた……ホンマにもう限界や]
その場にしばらく立ち止まっていた若者は二つの月を見上げた。
月明かりに照らされた若者の額にはなんと第三の眼が開いており、その瞳は燃える様な真っ赤な色で、そこに二つの月を映し出してていた。
若者はすべての眼をそっと閉じると、まるでその場では何事もなかったかのように再びゆったりとした足取りで、切り立った崖に両側を挟まれた谷間の一本道を歩き始めた。
谷を抜ける折からの夜風が若者の黒い髪を少し乱したが、その時にはもう額の眼は跡形もなく消えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます