第一話 赤い瞳 3/6

[しっ]

 若者の心の中のもう一人の声が注意を促した。彼は思わず立ち止まった。

[静かに。立ち止まらんと、何も無かったようにそのまま歩け]

『どうした?』

[しっ]

『「しっ」て、オレ達って頭の中で会話しているんだろ? その注意喚起にいったい何の意味がある?』

[う……。まあ、気分やな]

『気分て、お前なあ。……緊張感があるのか無いのか解らん』

[緊張感がないんはそっちや。集中せえ、やのうて集中させろ、言うてんねん]

『やれやれ。またやっかいなスカルモールドじゃないだろうな? あいつらは打たれ強すぎだ。ありえない。だいたいこの地域にはスカルモールドなんか居ないと豪語したのはお前だぞ。この嘘つきめ』

[嘘つきは余計や。想定の範囲外と言うてもらおか。あるいはこの世は不思議に満ちている、でもええで]

『よく言うよ。で、何なんだよ、今度は?』

 文句を言いつつも若者はもう一つの言葉の忠告に素直に従い、間を置かずに再び歩き出した。

[この先に誰かおる。ちゃんとした意識みたいなもんが伝わるからスカルモールドやない]

『例の存在感を消す結界ってやつ、張ってなかったのか?』

[アレを維持するのは結構キツイねんで。常時かけっぱなしはまず無理や。だいたい体力使いとうない言うたんはお前さんやろ?]

『くそったれ』

[おっと。悪態つくんは後からや。どうやら挟み撃ちされたようやで]

『やれやれ、こうなるのを避けるために夜にやばいところを突破してたんじゃないのかよ? こんな事なら休んでおくんだったぜ』

[そのグチも後から聞いたる。人生は思い通りにいかへんからおもろいんや]

『オレはそういう自虐的かつ黒っぽい喜びにはまだ目覚めてないよ。ああ、先に言っとくが、いまのところそうなる予定もない。まったく体力温存の折に面倒な話だな。で、一体何人いる?』

[ひいふう……けっこう多い。十人やな]

『なるほど。でもオレの間合いまでにまだ距離があるな。というか全部やったら今度は間違いなく倒れるぞ』

[そやな。ここはお前の嫌いな効率重視で短期決戦の方がええやろ。替わろか]

『ああ、任せたぞ、魔法使いさん。できるだけ楽に頼む』

[魔法使いやないって言うてるやろ。「ルーナー」と呼べ]


 外見からは一見なんの変化もない様に見えたが、この会話の後で若者の体を支配する意識が入れかわった。

 若者は右手を広げて、中指にはめている黒・茶・白の三色に塗り分けられた少し大きめの木製の指輪を見つめると、小さくつぶやいた。

「出でよ、ノルン」

 するとどうだ。その指輪は一瞬で形を変え、長い木の棒に変わった。

 彼が握るその棒はよく見ると一本の杖、それも精杖と呼ばれる装飾が施された長い杖だった。その長さは若者の身長よりも頭一つ分以上はある。やや太くなって曲がっている頭部にはいくつかの小さな水晶のような玉が埋め込まれていて、月明かりを受けてそれぞれが様々な色でキラリと光った。

[おいおいおい。ホンマに体、ヘトヘトやないか]

『だから言ったろ。しばらく飲まず食わずなんだからな』

[こら……ごまかして逃げるどころやないやん。そもそも高位のルーンなんて使われへんで]

『いまさら泣き言を言うな。任せたんだから、ちゃんとやってくれよ』

[とほほほ〜、やな]

 若者は何かを小さく呟くと、杖を左手に持ったままで再び歩き始めた。


 その頃になると、気配だけではなく折からの風が、後ろから迫る複数の足音を運んできた。隠れる場所のないこの一本道である。振り返ればおそらくそこに足音の主達の影を見ることができるだろう。

 だが、若者は振り返ることはせずに行く手の森の方をじっと見やっていた。

[前後合わせて十人。もれなく低俗な殺気というか邪気ムンムン付きやで。たぶん追いはぎ、山賊のたぐいやろうな]

 声が独り言の様に呟く。もう一つの声は何も返さない。

 若者は小さな声で手に持った杖にある丸い水晶玉のようなものを見ながら、何かを呟いた。

[さて。しんどいけど一通りの準備は完了]

 心で一人が呟いた瞬間、もう一人の声が重なる。

『気をつけろ。正面、左後ろ側の奴が矢を射るぞ。左に来る』

 同時に何かが風を切る音がして、若者の左足 付近を矢が通り過ぎて後方の地面に刺さった。

 片方の声が言った通り、前からやってきた賊のうち、左後ろの太った兵が弓を下ろすところだった。

 ただ、双方の距離の短さを考えるとその矢は若者を直接狙ったものではなく、威嚇のためにわざと外したものとも思われた。

[さあて、何者やろな。山賊か、ゲリラか、ケチな追いはぎか]

『どれでもあんまり変わり映えしないけどな』

[反政府ゲリラならまだ話し合う余地はあるかも知れへんし、うまくいったら食料を分けてもらえるかも知れへんっちゅうところが他の二つとは決定的に違うな。まあけど、確かにあとは同じやな。言葉が通じへんスカルモールドよりちょっとだけマシってとこ?]

『その意見に同意するには比較対象が微妙だな。むしろゴキブリよりマシって感じかな』

[ゴキブリ]

『ああ、こっちには居ないんだったな。いや、悪い。忘れてくれ。』

[なんやねん、それ?]

『オレが悪かった。この通りだ。だから説明はかんべんしてくれ。というか、あーっ克明に姿形を思い出しちまったじゃないかよ!』

[しらんがな!]

『とにかく忘れろ。ただ……」

[ただ?]

『これだけはいえる。ヤツら、下手に言葉が通じるだけスカルモールドよりもムカつくと思う』

[うふふ。確かに]

『「うふふ」っておまえ、時々気持ち悪い言い方になるよな』

[やかましい。育ちがええんや。ほっとけ!]

『それ、とても育ちがいいヤツの言葉とは思えないんだけど』

[なんやて?]


「おいおい。ちゃんと狙えよ、キース。えらく外れてるじゃねえか」

 前方から男のダミ声がした。

「さっきちょっと飲み過ぎちまってよぉ。的が四つくらいに見えるのさ。それに的がかなりちっちゃいしな。だがまあ見てろ、今度は外さねえ」

「待て待て。ゲリラから情報を仕入れるのも俺達の仕事だ」


『おい、さっきのは威嚇じゃないぞ』

[おーこわ。問答無用かい、こいつら]

『話す前から既にちょっとムカついてきた』

[同感や。いや、『ちょっと』やないな]

 若者は後方から数人の男達が近づくのを認識しながらも、声を上げた前方の敵をゆっくりと観察した。

 そこには月明かりに照らされた五人の男達の姿が見えた。満月に近い月齢と言うこともあり、煌々と照らされる月明かりのおかげで若者は賊達の服装を確認することができた。

[ちょっとちょっと、この兵装……山賊どころか、こいつらドライアド軍の正規兵やん]

 月明かりで敵の様子がよく見える距離まで近づいていた。彼らは全員が黄色と黒を基調とした兵士の装備を纏っていた。

『デュナンのドライアド兵なら、たぶんサラマンダの委嘱軍の所属のはずよだな?なぜオレ達を襲うんだ?』

[フン、なるほどな。多分こいつらは分類上『ケチな追いはぎ』やな。サラマンダ軍の名を借りて、追いはぎ行為をやってるんやろ]

『追いはぎで、しかもケチって最低じゃないか。でもちゃんとした兵隊なんだろ? なぜそんなことを?』

[簡単やん。民間人を殺したって「反政府ゲリラが抵抗したので仕方なくやった」って報告したら全部正当行為やろ?]

『なんだって?』

[言うたやろ、おまえさんのいた異世界「フォウ」と違うて、このファランドールはそういうとこなんや。特に先の大戦で負けたサラマンダは無法地帯や]


「反政府ゲリラの本体はどこだ? おとなしく教えないとお前の命はないぞ……っと。これで既成事実は作ったぞ」

 近づいてきたドライアド兵の一人が声をかけた。だが、それは旅の若者に向かって言ったというよりは、仲間内に対してのそれであった。兵士の右手には既に抜き身の片手剣が握られている。その剣に二つの月が映ったが、かなり鈍くぼやけていた。

 全然手入れなどしていないのだろうな、と若者はその武器を見て苦々しい気分になった。

「まあ、おとなしく教えたって命はないんだがな。ふぇっへっへ」

 飲み過ぎた、と言っていた男の声だ。だらしない声色と笑い声だと若者は思った。

「オレは反政府ゲリラじゃない。ウンディーネ共和国籍の民間人だ。今は人捜しの途中でサラマンダに居るだけだ」

 若者はそう答えた。

 だが、その回答は彼らにとって特に意味があるものではなかった。

「おいおい、みんな聞いたか?」

「聞いた、聞いた。反政府ゲリラだけど、アジトの位置は死んでも言えないって言ってたよな?」

「そうそう」

「だいたいそんな感じだったな」


『こいつらっ!』

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