第二十六話 ミリア・ペトルウシュカ 2/6
「この、赤い光というのは?」
「やはり、そっちの方が気になるか」
蝋燭の明かりの中で退屈そうな態度を隠しもせず、面倒くさそうに報告書に目を通していたミリア・ペトルウシュカだが、その報告書をあるところまで読み進めたところで顔をあげた。面倒がっていても、内容はきちんと読んでいたのである。
報告書とは、サラマンダの奥地、アクラムで反政府ゲリラの一隊と、シルフィード軍が小競り合いをしたとする内容のものであった。それまで足を机に投げ出して、つまりはかなりだらけた格好でぼんやりと字面を追っていたミリアだが、突然椅子から立ち上がり、部屋の隅の椅子に姿勢良く腰を下ろしていた若者を振り返った。
ミリアのその反応を見て、その若者、アキラ・エウテルペというは満足げにうなずいた。
ミリアは手に持った報告書を、もう片方の手で叩きながら続けた。
「もちろん、こっちの、ル=キリアが極北の雷鳴の回廊で遭難・全滅したという情報もあからさま過ぎてひっかかるけどね」
「うむ」
「それよりこの赤い光にたいする『特殊な稲妻かと思われる』って記述だけどさあ、これってどうなのさ」
「おいおい、気になるって言うのは内容じゃなくて記述についてか?」
「いや、もちろん気になるのは内容だよ。しかし既述がここまでどうかしていると突っ込みたくもなるだろう? 下から上に上がる稲妻は確かに存在する。そこはいい。だがいくら特殊なんて形容をしても『ゆっくり』上がって行く稲妻などこの世にあるものか」
「やっぱりそれは内容についての指摘ではなかろう」
「一体君のところの将校はどうしたらこんな爆笑もののスチャラカ報告書を平気で正式文書として上に提出する気になれるのかね」
ミリアは報告書を持ったまま、こんどは部屋の中を歩き始めた。それはミリアが考え事をする時のいつもの癖だった。こうなると周りの人間の言葉に対してまともに応える状態にないという事をアキラは知っていた。
しかし、とりあえずは弁解と補足のつもりもあり、一言だけ告げることにした。
「心配せずとも、この報告は公文書管理官に全文抹消か改編されるだろうさ。奴らは事実を記録・保管したいのではなくて、矛盾のない整然とした書架を作りたいんだろうからな。それよりそのスチャラカ文書を反古にされる前にゴミ箱から失敬してきた私の活躍について労いの一つもほしいところだがな」
部屋と言っても、そこは壁から天井、床にいたるまで回りがすべて岩でできた洞窟といった方がふさわしい場所であった。しかも一枚ある扉を覗くと、その部屋にはまったく継ぎ目のようなものが存在しない不思議な空間であった。簡単に言ってしまえば大きな一枚岩をくりぬいて作ったような場所だった。言い換えるならば、およそ普通の家の中にはあるはずもない部屋であった。
部屋自体は比較的広く、その中央には丸くて大きい、飾りなどのない質素だが頑丈そうなしっかりとした木のテーブルが置かれていて、ミリアは当初そのテーブルに足を投げ出して報告書を読んでいたのである。
ミリアのいで立ちはいわゆる旅装束と言っていい。一見派手には見えないものの、細部に目をやるとかなり凝った刺繍が施された瀟洒な生地を使い、全体的にはウンディーネ風に仕立てられた上着を羽織っていた。
ミリアはデュナンだが、瞳の色が独特である。薄い茶色と表現する者もいるが、実は殆ど金色と言っていいだろう。その独特の色を持つはっきりとした大きな瞳と、長い焦げ茶色の髪を後ろで無造作に一つに束ねているのが彼の特徴であろう。デュナンとしても貴族としても、やや風変わりな青年であった。
一方で同じデュナンの若者であるアキラの方は、こちらも貴族の息子であるが、かなり見栄えのする青年であった。金褐色の癖のある豊かな髪をもち、理知的な切れ長の目が凛々しくもある。その瞳の色は秋空のような深い青であった。
とは言え、その部屋での二人の違いは容姿よりも服装である。一般的な服装のミリアと違い、アキラはドライアドの軍服姿であった。ミリアと同年代ということは、すなわちまだ若いということである。だがアキラの着ている詰め襟の軍服は将校のそれであった。それも尉官ではなく佐官であることは、襟の階級章でわかる。そのオークの二枚の葉が示す陸軍佐官用階級章の上部には菱形の図形が三つある。それは階級章の持ち主が大佐である事を示していた。しかも通常は金色である階級章の刺繍の色が赤である事から、アキラが一般将校ではなく、特殊部隊に所属する特殊将校である事が読み取れた。
立ち上がって部屋の中をうろうろと歩きだしたミリアを楽しそうに見やると、アキラはサイドテーブルにあるグラスを手にとった。そしてそこに注がれていた泡立つ琥珀色の液体を旨そうに喉に流し込むと、また声をかけた。
「それともう一つ。その『ゆっくり上がる稲妻』だが、面白そうだったからとりあえず調査に当たらせている」
アキラがそう言うとミリアは立ち止まり、報告書から顔をあげた。
「スプリガンか?」
「普通の連中にやらせると爆笑もののスチャラカ報告書が増えるだけだろうからな。文書推敲部の手間を少しでも減らしてやろういう私の配慮だ。もっとも一年も前の出来事だから今更どうしたと言われるとそれまでだが」
「そんな事のためによくスプリガンを動かせたな。いや、まさかシルフィード側に何か動きでもあったのか」
「相変わらず聡いな。その通りだ。諜報にはシルフィードの複数の部隊が何らかの目的でサラマンダ・ウンディーネ・ドライアドの三国に入ったという情報が入って来ている。まあ、そう言うわけだからついでの任務をねじ込むのは楽だったというわけだ」
「シルフィードの部隊が複数か。となると例の【真赭の頤(まそほのおとがい)】の怪文書がらと見て間違いないだろうな」
「あれを怪文書扱いか」
「あれは議論するまでもなく怪文書だ」
「まあいい。おそらくはそれがらみだろう」
「ふむ」
「相変わらず【真赭の頤】の件についてはあまり興味がなさそうだな」
「【真赭の頤】がまだ生きているなんて考えるのはバカげてるよ。いや時間の無駄というべきかな。あいつが突然表に出なくなって、もう何年経つと思っている? しかもあんな文書を各国のてっぺんに送るなんて愚挙、突然集団発狂したのでもない限り、まともな神経ではできないさ。少なくとも正教会がやるわけがない」
「【真赭の頤】は正教会……賢者会に抹殺されていると?」
「ともかく、スプリガンには悪いがこれだけは言える。【真赭の頤】本人どころか、ファランドール中くまなく探しても死体すら見つからないだろうってね。そんなことより今回の報告書には一行も書かれていないけど、そっちじゃ最近の教会側の動きは掴んでいるのか?」
「どっちの教会だ?」
「勿論、両方だ」
「エレメンタルについて尋ねているのなら、どちらもまだ動きはない」
「だからこそ、この稲妻情報は気になるのさ。これが発現だとすると少しやっかいだからね。一年も前の事件ならとっくに教会は動いて、結論を出して仕舞っているはずだよ。一定以上の知識を持っているものがこの情報を得たとなると、考えることは同じだからね。だから、どちらにしろ早く光の発生源を見つけないとまずい」
「水か、炎か、いずれにしろ先にどちらかを見つけた陣営が有利になるわけだな」
「有利になどならないさ。それよりこのスチャラカ報告書に書かれている個人的な見解を除く部分を信じるとするなら、そしてこの光が発現だと仮定すると、そこにいたのは間違いなく炎のエレメンタルだ。というより炎のエレメンタルであるとしか考えられないな。仮にサラマンダに炎のエレメンタルが居たとすると、これで四つのエレメンタルがこの時代に存在することが確定する」
「【真赭の頤】はお前の言う怪文書に『エレメンタルの所在を知りたければ会いに来い』と書いてよこしたらしいが、本当にやっこさんの方が先に各エレメンタルの所在を確定していたなんて事はないのか? だとするとつまりは、それをすでに正教会側が知っているという事になるのだろうが……」
「【真赭の頤】は存在していない。だから怪文書は書けない。つまり怪文書に正教会が絡んでいない以上、そもそもその可能性は殆どないね。まあ、ボクの予想が外れて正教会側が最悪三人の所在を知っていたとしても四人目の特定はムリだろうから、ボクが不利になる事は無いさ」
「俺もそうは思うが」
「【真赭の頤】もしくは正教会側が知っている可能性があるのは水のエレメンタルだ。四人のエレメンタルのうち最も早期に「発現」が確認されその存在が認められていながら、その後忽然と消息が途絶えているのはどこかに徹底してかくまわれている可能性が高いと考えるのが自然だろう。そんなことをたやすくできるのはどちらかの教会というのは自然な論法だろう? あるいは……」
「すでにこの世のものではないか」
「ま、それはいいっこなしでボク達は動かないとね」
「そうだな、つまらんことを言った。すまん」
「そもそも発現したエレメンタルがそう簡単に殺されたりするとは思えないけどね」
「そうだろうな。水のエレメンタルとやらには会ったことはないが、私はお前の言葉を信じられるよ」
「ふむ。姿を隠しているのか匿われているのか。どちらにしても水のエレメンタルにもそろそろ動き出してもらわないとな」
「【合わせ月】の日も近づいているからな」
「まあ、そうだな」
間髪を入れずに返してくるミリアが、珍しくそこで言い淀んだ。アキラにとってそれは違和感である。
「何かほかに理由があるのか?」
「だって大舞台の主役を演じるんだぜ? 誰でもぶっつけ本番は避けたいじゃないか。だから台本を渡して事前に入念な打ち合わせをしておきたいのさ」
そうつぶやくミリアの真面目そうな顔を見てアキラは苦笑して見せた。
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