第二十六話 ミリア・ペトルウシュカ 1/6

 ファランドール史上、もっとも有名な兄弟であろうと思われるペトルウシュカ兄弟。その兄であるミリア・ペトルウシュカはあの「薔薇の王」ことエスカ・ペトルウシュカの生誕に先立つこと一年前、すなわち星歴四〇〇一年白の二月に当時のペトルウシュカ公爵であった父ドルムと母ミカに見守られてドライアドにある自領エスタリアの首府、ソリュートにあるエスタリア城の四龍の間で生を受けたと言われている。

 人徳家として知られている父ドルムと考古学者としても著名な母ミカに大切に育てられたミリアは、大過なく幸せな幼少時代を過ごしたものと思われる。彼の幼少期については特筆される文献がほとんど無いことがそれを証明していると言い換えてもいいだろう。

 母ミカの影響であろうか、幼い頃より学究心が強く書物が好きだったミリアは、文字の読み書きができるようになるともっぱら書庫が遊び場であったと言われている。

 しかし、そんなペトルウシュカ家の平和な日々が突然失われる運命の日が訪れた。兄弟は突然両親を失うのである。

 星歴四〇〇九年黒の六月の事である。

 事故によりドライアドの首都ミュゼで両親が客死した後、ミリアは公爵家の嫡子として家督を継ぐ事となった。ペトルウシュカ公ミリアの誕生である。

 齢わずか八歳で公爵となったミリアだが、この事件を境に物静かで聡明・勤勉だったとされる彼が一変する。


 ミリア・ペトルウシュカと言えば「ばか殿」の代名詞として有名だが、これはもちろん、遊興にふけり浪費三昧の生活を送っていた事に対して付いたあだ名である。

「ばか殿」と呼ばれるようになった頃の常軌を逸した彼の振る舞いは枚挙にいとまがない。

 全国、いやファランドール中の吟遊詩人や絵描きや小説家、楽団や劇団、道化や大道芸人などを城に招き入れ、連日連夜にわたる大音楽会と観劇会、大舞踏会などを延々何十日も開催し、夜は夜で豪華絢爛な夜会続き。要するにおよそ尋常ならざる饗宴を長きに渡り続けていた事もその一例である。しばらくするとその催しは不定期に開催されるようになっていった。規模は引き続き大きなもので、会場は夜中であっても昼のように明るく照らし出されており、昼夜の区別がもはや付かないほどであったと言われる。

 その頃彼が行った事の中の一つに、エスタリア大吟遊会がある。三ヶ月に一度、我と思わん吟遊詩人達が集い、自慢の歌を披露するのである。観客による審査で大賞を決め、金銀宝石に加え一生遊んで暮らせるほどの多額の金銭も贈られたと言われている。

 そんな事もあり、芸術の守り人としての評価が高いミリアだが、自身も画家として著名であった。「構図の魔術師」「空間表現の父」などとも呼ばれるミリアは、その独特な遠近感を駆使して視点の位置を自在に操ることにより、日常の一こまを非日常に切り取って描写する事を可能とした。なにより優しくしっかりとした色に目が奪われる。そして時には大胆に、時には緻密な筆致で描かれる奔放な画風は見る者をことごとく魅了した。特に色使いには定評があり、彼が使う絵の具の成分は画家の間では大きな謎とされていた。

 絵の具の材料もそうだが、一般にはその不思議な視点から生まれる独特な構図の方が有名であろう。地を這うほどの低い位置から煽り気味の視点で近影を誇張する様や、およそ鳥の目からしか見る事のできない角度……すなわち人が現実には見ることのできない俯瞰構図も得意としており、それらの技法で多くの作品を描き、世に送り出される作品の多くは名作とされていた。その作風はごく初期の頃から既に確立されていた感があり、つまりミリアはこの分野では凡才ではなかった事を照明しているといえるだろう。


 彼の芸術的な才能や素養についてではなく、話を生い立ち関するものに戻そう。

 ドライアドでは、貴族の子息は十歳から十七歳まで、首都ミュゼにある王立貴族学校、通称「アカデミー」で寄宿舎生活を送ることが不文律となっている。ミリアもアカデミーの出であるが、不名誉な事に彼は「アカデミー始まって以来の劣等生」と言われていたようである。結局ミリアは入学二年目で一度落第し、一つ違いの弟であるエスカ・ペトルウシュカと同級生となった。弟であるエスカは全方位に非凡な才能を示し、最終的には学年次席という優秀な成績で卒業した。


 アカデミー卒業後の貴族の子息達は通常ドライアド軍の軍籍を得る。ドライアド軍には海軍と陸軍があり、そのどちらかに属することになるのだが、どちらを選ぶかは本人の意志ではなく彼らの「家」の政治的な事情で決められることが通例である。要するに自分の家がどちらの軍閥の系列に属しているかで決まるのである。だが貴族の子息ではなく、入学当時、既に公爵であったミリアは例外であった。アカデミー卒業者は特権で『少佐』階級が得られるにもかかわらず、彼は軍籍を取得する権利を放棄して故郷エスタリアに戻ると、そこで創作と遊興にふける毎日を送る事になった。何をして過ごしたかは、既述のとおりである。


 だが、このころから既にエスタリア城内に不穏な動きがあったと言われている。具体的には劣等生で浪費家の現公爵ミリアよりも、快活にして頭脳明晰、かつ思慮深く剣の腕前もすこぶる付きであると評判の弟、エスカを領主に据えたいと考える一派が城内で目立つ動きを始めたのである。卒業後、陸軍少佐の地位を得て出世街道を歩みはじめた弟のエスカと、家督を食いつぶしていく一方の「ばか殿」ミリアはアカデミー卒業後は一度も相まみえることは無かったようである。いや、アカデミーの中でさえ顔を合わせたところを目撃した人間はいないとされる。理由は明白で、歴史上もっとも有名な兄弟は、かなり仲が悪い兄弟であったのだ。


 ミリアが帰省して放蕩三昧を初めてしばらく経つと、豊かだったエスタリアの財政は、当然のように緩やかに傾いていった。ご想像通りミリアは自領の経営については全くの無関心で、家臣に一任、いや丸投げをしていた。つまり金を使う事が専門で、得る方には無頓着だったのである。

 だがそれが幸いしたと言うべきか、ペトルウシュカ家には優秀な人材がいて、そのおかげでかろうじて破産の危機を免れていたのである。優秀かつ献身的な家臣の知恵と努力はペトルウシュカの最後の砦と言えた。

 公爵家の金庫番とも言える忠臣の名をロンド・キリエンカ。噂によると彼は、ミリアに気づかれることなく、ペトルウシュカ家の財産を首都ミュゼにいるエスカの下に移動していたという。

 財産とは金銭だけではない。ロンド・キリエンカは何よりも「人材」を重視した忠臣である。彼がまず行った事は、ペトルウシュカが所有していたエスタリア公爵軍の兵士の殆どをエッダのエスカの下に派遣し、これをそっくりそのまま陸軍に独立部隊として提供した。多額の持参金込みで、である。この事はすなわちエスカが出世街道を駆け上がる事ができそもそもの原動力であろうとさえ言われている。

 そんな華やかなエスカの出世舞台の楽屋を取り仕切っていた人物が、このロンド・キリエンカなのである。彼はペトルウシュカ家所蔵の宝物を放出するなど、なりふり構わずあらゆる手を尽くしてミリアの放蕩の始末をしつつ、政治的にも、また人的な見地からもミリアに対する包囲網を築き「バカ殿」の行動を徐々に狭めることに成功していった。結局二十歳になった頃、公爵であるミリアが自由にできたのは、半年に一度の大吟遊会の開催程度であった。その頃になるとすでに居城のある首府ソリュートからは追われ、ミリアは普段、エスタリア中央部のエイビタルにあるペトルウシュカ家の別荘に幽閉された格好になっており、その境遇は隠居暮らしに近いものだったと言われている。


 豊かな天然資源と、海や陸からの豊富な恵みにより、元々国力のあったエスタリアだが、新しい公爵の出現で領地経営が傾いてもなお、領民に対する重税対策が取られなかったのは、ひとえにロンド・キリエンカの活躍であるとされている。

 もともと長く善政を敷き、領民には「我らが殿様」と言われ尊敬され慕われていたペトルウシュカ公爵家である。そういうわけだから、そこに突然生まれた「バカ殿」であるミリアを彼らは心配しながらも親しみの感情をもって見守っていたと考えられる。彼が幽閉されていたエイビタル地方にずっと暮らす人々などは、ミリア・ペトルウシュカについて語るとき、自らの誉れのように胸を張り目を輝かせるという。そして「公爵様」にまつわるいくつかの逸話を語った後、異口同音にこう締めくくるのだ。

「あの方はエスタリアの誇りだよ」と。

 気まぐれでお人好しで人なつっこく、そして芸術に深い理解と保護を行った金に無頓着な地方領主。ミリア・ペトルウシュカを簡単に紹介するとそういう人物になるのであろう。

 幽閉とは言え比較的自由に行動はできていたようである彼が、供も連れずに領地を気ままに散歩するのは日常茶飯時であった。彼は領民に気軽に声をかけて回り、彼らの生活の中に溶け込んでいたようである。散歩ついでにそのまま行方不明になる事も多々あり、その度にお守り役の家臣達が舌打ちをしながら領地を駆け回るのも、日常の出来事になっていたと言われている。そして彼らはすぐに公爵を見つけるのだ。葡萄農家で泊まり込みの収穫作業を行う公爵を。大勢の女達にまじって牛小屋で搾乳の手伝いをしている公爵を。日曜学校で熱心に子供達に絵を教えている公爵を。そして鉱山町の酒場で屈強な男達と裸踊りをしている公爵を。

 つまりミリア・ペトルウシュカについてのエピソードは実に多く、その奔放振り故、あまりに有名でもある。

 しかし「エスタリアのばか殿」の、ほほえましいエピソードを事細かく描くことが目的ではない。

 前置きが長くなったが、ここでは家臣や民衆どころか、実の弟すら知らないであろうミリア・ペトルウシュカの別の顔を紹介することにしよう。


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