第十話 ルルデ・フィリスティアード 3/5
「いったい何者だ?」
「さっき名乗ったとおりだ。俺はシエナ・フィリスティアードの弟、ルルデ・フィリスティアードだ」
ルルデの怒鳴り声にもアプリリアージェは眉一つ、いや睫一本動かさなかった。動いたのは顔に彩色を施した少年兵の方だった。彼はルルデが名乗りを上げると、それに応えるようにアプリリアージェと同じ小型の弓に短い矢を番え、何の迷いもなくルルデに的を絞ってみせた。そしてそのままピタリと止まった。
「少佐、あれがたぶんドールです」
少年を見て、メビウスがささやいた。
シエナは小さくうなずいた。同じく間違いないと思ったのだ。
事態は最悪と思われた状態からさらに悪い方向へ落ちていく気がした。
眼下に見下ろすダーク・アルヴとアルヴィン。その二人の姿を噂と重ねれば、もはや疑う余地はなさそうであった。
シエナの弟が相手にしようとしているのは……アルヴの王国シルフィードのフェアリー部隊の中でも、国王直轄と言われる特殊な独立部隊「ル=キリア」の二人である。一人はル=キリアの司令官で『白面の悪魔』と呼ばれるダーク・アルヴ。彼女は作戦時は常に白面を被っている為、その二つ名がついているそうだが、今回素顔なのは状況中ではなく急襲された為だと思われた。要するに普段は面を被っていないのであろう。
風評として伝わっている『白面の悪魔』の特徴は、鼻から上を隠す白い面と、金色の耳飾りである。シエナとダゲットはその金色のスフィアの耳飾りで彼女を特定できたと言っていい。
そしてもう一人……その後に現れた『ドール』と呼ばれるアルヴィンの少年は、こと剣の腕に関しては「ル=キリア」でも一番と言われ、若くしてル=キリアの副司令にまで登り詰めた人物だった。
彼は無口で普段は動くこともほとんどなく、その表情も塗り固められたまま変化しないことから、誰言うとなく『ドール』という二つ名で呼ばれるようになったという。
「最後の通告だ。剣を捨てろ。言っておくが我々は気が短い」
そう告げる『白面の悪魔』の声がシエナたちの耳にもはっきりと届いた。
先刻と違い、今度の声には静けさや穏やかさという雰囲気はまったく感じられなかった。これは脅しでも何でもない。本当に最後の通告であると、シエナにはよくわかった。
その『白面の悪魔』の声に呼応して、シエナはすかさず頭上から叫んだ。もちろん一刻も猶予はないという判断からの行動であった。そしてメビウスにはそれを止める時間は与えられなかった。
「待て、部下を殺すな。我々は降伏する」
頭上からの突然の声に、しかし『白面の悪魔』はまたしても表情一つ変えなかった。勿論ルルデを狙った矢は微動だにしない。それはまるでシエナの行動を予測していたかのように思えた。
だが、シエナはそんなことに感じ入っている場合ではなかった。
彼は間を置かずに続けた。
「私はサラマンダ王国正規軍南方方面第三師団所属フィリスティアード独立部隊の隊長を務めるシエナ・フィリスティアード少佐だ。今回の作戦の指揮官でもある。隊長の名において貴官らに対しここに降伏を申し出る」
シエナの呼びかけに、白面の、いや白面を着けていない悪魔が即座に答えた。
「無条件降伏と言い直せ」
「……」
「どうした?」
「了解した。無条件で降伏する」
一瞬の逡巡があった後シエナはそう答えたが、相手は容赦なくさらに畳みかけてきた。
「自称の一部も訂正しろ。【旧】正規軍だ。サラマンダ王国などという国は今は存在していないはずだが?」
「わかった。それも認める」
『白面の悪魔』の要請と指摘に、シエナはこみ上げる悔しさをグッと押さえて承伏した。王国復興を旗印にしているシエナ達反政府ゲリラにとって、それはもちろんこれ以上ない屈辱であった。本来ならば『白面の悪魔』が指摘した事柄は何一つとして受け入れるわけにはいかないものばかりだった。彼ら自身の存在意義を否定するものだからだ。
しかし、それをシエナは曲げたのだ。この短いやりとりはそれ程大きな意味を持つものだったといえよう。
シエナの言葉を黙って聞いていたメビウスは、目を閉じて肩を落とした。
「よし。ではシルフィード王国海軍中将、アプリリアージェ・ユグセルの名においてお前を賊部隊の首領シエナ・フィリスティアードと仮に認識し、無条件降伏の申し出を受け入れる」
アプリリアージェと名乗った『白面の悪魔』は、そう言いながらも自分の背面上方に位置するシエナの方には一切目を向ける事なく、番えた矢はルルデに向けたままであった。
「中将、だと?」
シエナは心に浮かんだ言葉を思わず声に出してしまい、しまったと思った。
シエナが驚いたのも無理はない。見下ろす窪地で弓を番える少女がル=キリアの司令官であるとは認識していた聞ものの、まさか司令官の階級が提督と呼ばれる一国の軍の中枢、それも中将とは予想だにしていなかったであろう。
そもそも急襲部隊という実働部隊に提督という立場の人間が随伴し、自ら白兵戦を行うなど聞いた事もなかった。
そもそもシエナにしてみれば、相手が少女だという先入観が頭から離れず、その階級はせいぜい尉官、高くても自分と同じ少佐止まりであろうと決めつけていたのである。
アプリリアージェはしかし、シエナのその言葉には全く反応しなかった。
シエナは改めてそんなアプリリアージェの後ろ姿を見つめた。
この状態で相手が普通の敵であれば、シエナかメビウスが背後からアプリリアージェを矢で射ることでルルデがおかれた窮地を脱することもできる状況だと言えた。しかし、シエナはその方法をとらなかった。いや、考えもしなかった。それはメビウスとて同様だったに違いない。なぜなら、シエナもメビウスもアプリリアージェの実力を、噂ではあるがよく知っていたからである。言い換えればシエナがアプリリアージェの事を全く知らなければ、不用意に敵に後ろを見せているアプリリアージェに向かって躊躇なく矢を放ったに違いない。
たとえそれが少女だったとしても、相手が兵士であるならば。
しかし、今ルルデに向かって矢をつがえている濡れたようなつややかな黒髪を持つ少女は、シエナの理解しているとおりおよそ普通の相手ではなかった。噂だけではない事は先ほどの目にもとまらぬ動きの速さを見ることで頭でも理解ができていた。
戦いというものが勝利を求める事柄であるのなら、最初から自分たちが戦っていい相手ではなかったのだ。彼女たちはルルデだけではなく既にシエナとメビウスをも標的として捕らえた上で一連の行動をとったに違いない。自らの戦闘力の高さに奢り、袋のネズミになっているルルデを討ち取るために嬉々として森を飛び出し、不用意に崖に背を向けるような真似を彼らは決してしないと確信できた。周りの状況を出来る限り把握し、獲物の上方に別の獲物の影を認めた上で綿密に取られた行動なのであろう。手を出すならよし、出さぬなら無益な殺生は避けてもいい、という意味にも取れる。ともあれル=キリアとはそういう抜け目のない相手なのは確かと言えた。
もしもシエナたちが囮であるアプリリアージェの背中に矢を射ようとしたら?
それは愚問であろう。
勿論『白面の悪魔』は瞬きする間もなくその場を移動して矢を避け、それと同時に『ドール』が手にした弓矢でシエナとメビウスを正確に射貫くだろう。そしてその次の瞬間には魂を失った肉と骨の固まりが二つほど地面に倒れているだけのことなのだ。
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